「いい加減捨てたらどうだ?」
「やだよ、みっちぃがいないと寝れないもん」
「お前、いい年をして・・」
呆れ顔でため息をつく手塚を尻目に周はくたびれた熊のぬいぐるみをベットの脇にちょこんと座らせた。
周は必ずこのみっちぃを抱きながら眠る。
嬉しくてはしゃぎながら眠る日も、悲しくて泣きながら眠る日も、それはもう来る日も来る日もみっちぃを胸の中に押し込んで瞳を閉じる。
それだけ年季がはいれば当然みっちぃはオンボロ状態。
真っ白だった身体は薄黒くなり、毛並みはぱさぱさで中の綿も萎んで硬くなっている。
ところどころ破れて、あちこち継いだ跡もある。
端から見たら汚いだけこのぬいぐるみ。
けれど周にとったら世界に一つしかない宝物なのだ。
愛しげにみっちぃを見つめ
「じゃあ、帰ってくるまで泣かないでね」
ぱふぱふっとみっちぃの頭に手をやって、荷物を持ち部屋を出る。
こいつどこがいいのだろうと残されたみっちぃを手塚は暫く見つめていた。
「何してるの?遅刻するよ!!」
「あ、ああ」
迎えにきておいて一向に部屋から出てこない手塚を再び周が呼びに来る。
「ほら早く、お兄ちゃん!」
とき
時間の扉 1
「お早う、周!あ・・お早うございます、手塚先輩」
「ああ、お早う」
正門を潜ったところで駆け寄ってきたクラスメイト。
横にいる手塚に一瞬緊張の表情を浮かべ、真っ赤になって挨拶をする。
周はそんな友人に気付きもせず、心の中の心配ごとをさらさらと吐き出した。
「お早う!ね、数学の小テスト勉強した?私全然だめだぁ〜!」
「え・・テスト?あ、そうだったね・・」
「そうだったねって・・全然余裕じゃん!ちぇ〜っ」
文句を言ったところで始まるものでもないのだが、ぷっと唇を尖らせてぶつぶつ不平を垂れる周の肩を、手塚がぽんとあやす様に軽く叩いた。
「昨日教えてやっただろう。落ち着いて解けば大丈夫だ」
「お兄ちゃんのようにはいかないもん」
普段はポジティブな周だが、一旦否定的になると何を言っても聞かないところがある。
それを分かりすぎているほど分かっているだけにこれ以上は糠に釘。
「じゃあな、頑張れよ」
それにここからは友人達との時間でもある。
いつまでも兄妹でくっついていては問題だ。
軽く左手を上げて一人昇降口へ消えていく。
手塚にしてみたらここでの退散は最善の選択だったが、
「何さ、冷たいの」
素っ気無く行ってしまったその態度が周は気に入らない。
「そんなことないわよ。『大丈夫だ』なんて優しいお兄さんじゃない」
「あんなの!ヨイショだもん」
「だからー、普通は妹にヨイショなんてしないもんよ。うちの兄貴だったら『ばかだから仕方ない』って、こうよ」
「だって・・・」
分かっている。
兄に大切にされていることくらい誰よりも分かっている。
だからこそ、周は兄妹と他人の線引きをする手塚に淋しさを覚えてしまう。
僕はどんな時もお兄ちゃんといたいのに・・・
不機嫌そうにバンッ!と音を立て靴箱を閉める周の様子を手塚は影でそっと伺って、額を押さえながら小さく首を振った。
呆れているのは周のぞんざいな振る舞いではなく、結局気になって最後まで見放せない自分自身。
兄妹だからと割り切っていたこの行動も、今は度を越えていると自覚があった。
だが、あまり前面に出して煙たい存在にはなりたくない。
だから表面的には付かず離れずの距離を保っているわけだが、本音は心配でたまらない。
こうやって影で周の様子を伺っては己の不甲斐なさにため息を吐く。
一方手塚の気持ちを知らない周は学校での淡白なその態度が逆に不服であり。
結局は互いの想いの先が反対の方向を向いているわけだ。
しかしながらそれはそれ、他人でないことも事実であり。
どんなに面白くなくても周は手塚が自分に向ける愛情は信じていたし、手塚もまた何を差し置いても周が一番という根本的な姿勢を崩すつもりはなかった。
だから最終的には負けてしまう。
「周――満点とったら何でも欲しいもの買ってやる」
とっくに行ったはずの手塚の声が背後から聞こえ、サラサラの髪で弧を描くように振り返った周の顔は、さっきの不機嫌は何処へやら!と言いたくなるほど、まるで花が綻んでいくばかりにふわぁっと咲き乱れた。
「90点!」
両の指で9を示しておねだりのポーズをとってみるが、
「満点だ」
「へーい!」
そこは兄の貫禄か、ぴしっと厳しく言い切った。しかし周はさっきと違って至極嬉しそうだ。
正直ご褒美なんてどうでもいい。
手塚が自分の為にまだそこに居てくれた事が周にとっては重要なのだ。
「じゃあね、お兄ちゃん。また帰りに」
「ああ」
軽快な足取りで階段を上っていく周を今度は手塚が見送る。
「現金な奴だ」
あんな一言でころっと元気になる周にほっと安心している自分、現金なのは同じか・・と手塚は苦笑しながら教室へ向かった。
***********
「ホントに自信がなかったのか?」
「そうだよ?」
得意げな顔でひらひらと手塚に見せる答案用紙はまさに100点満点。
「何だかしてやられた気がする・・・」
額を縮めながらもう一度テストの答案に目を通すが、何度見ても完璧だ。
苦手と言っても他の教科に比べてというだけで、もともと成績自体悪くない。
今回も何だかんだ言いつつ、それなりの点数は取るだろうと教えながら思っていたが・・・、
まさか本当に満点をとるとは手塚も予想してなかった。
「何か買ってあげるってお兄ちゃんの方から言ったんだからね!!ホントは自信あるのにお兄ちゃんに何か買わそうとわざとぐずぐず言って策略に掛けたわけじゃないんだからっ!」
必死で自分の潔白を証明する周。
誰もそこまで言ってないのだが・・・。
「たまたま前日にお兄ちゃんとやった問題がたくさん出て―――」
「分かった、分かった。そういうことにしといてやる」
「もうっ!ホントなんだからぁ」
くっくっと笑いながら意地の悪いことを言ってみても、本気で周がそんなことを策略したなんて思っているわけではない。
そもそもそんなこと計算出来る複雑な思考なんて持ち合わせてないことは百も承知だ。
それに周に物欲がないことも知っている。
だから、どちらかと言えばこれは手塚の策略と言っても良かった。
まさか満点とは思わなかったが、頑張ったを理由に周に買ってやりたいものがあったのだ。
どうせいざ何か買う段になれば、遠慮するに決まっている。
周はそういう性格だ。表面的な我侭は口にすることはあっても、本心から何かを委ねることは決してない。
特に金銭が絡んでくることは両親にすら甘えようとはなかった。
よく言えば控えめでしっかりしているのだろうが、そこには見えない壁が存在しているように思えてならない。
物欲がないというよりは、望むことをいけないことのように思っているというか、家族なのにどこかで遠慮してしまう周を手塚は日頃からもどかしくて仕様がなかった。
けれどこっちで選んで買ってきてやれば周も気安いはずだ。
幸いもうすぐ周の誕生日、それも兼ねてということにすればなおさら素直に受け取るだろう。
手塚の中ではコレというものが決まっていたのだが、ある程度のリサーチはするつもりで、先に周の希望を聞きだすのに「テストでのご褒美」は好都合だった。
「どこへ買い物へ行く?」
「へ?」
「約束だろう」
「え・・と、あの、それはいいよ。ホントにそれが目的じゃないし」
ああ、やっぱり。
手塚は思った通りの返答をする周に内心ため息を吐きつつ、こちらも用意していた台詞を口に乗せた。
「そんなことは分かっているさ。だがこういう機会に一緒に出掛けるのもいいんじゃないか。それとも俺と行くのは嫌か?」
「そ、そんなことないっ!嫌だなんて!!」
こちらの答えも予想通り。
ずるいかもしれないが、周の性格からしてこういう問い方をすれば否定する事は見えていた。
少々強引なやり方、しかしこれくらいしないといつまでも気を遣って事が進まないので仕方がない。
周が内心どう思ってるかは正直気になるところではあるが、手塚もまさか本気で嫌がるとは思ってないからこんな駆け引きも出来るのだ。
「じゃあ、決まりだな。今度の土曜、午後から空けとけよ」
このまま一緒にいたらまた妙な事を言い出しかねない。
さっさと退散したほうが懸命だと手塚は周の部屋を出た。
手塚が自室の扉を閉めた音を確認してから、周はクローゼットへ小走りに向かう。
「何着て行こうかな!」
クローゼットの内側にある鏡に映る顔は、我ながらへらへら緩んでいて。
いけないっ!とばかりに両手で頬を挟んで吊り上げるものの、弾む気持ちは抑えることは出来ず、そのまま「ふふっ」と声が零れ落ちた。
上機嫌で色んな洋服を身体に宛がって、あーでもない、こーでもないと繰り返す。
いつまでも妹離れできない事が情けなく、こんな自分をどう思ってるのか手塚は気にするところだったが、当の周はブラコンもいいところ。
兄と二人で出掛けるなんて、まさに至福の境地である。
初恋の人は兄、誰よりも大好きで特別な存在だった。
『お兄ちゃんのお嫁さんになる!』
幼い頃願ったささやかな夢、あれから何年経ったのだろうか―――
想いは今尚周の中で膨らみ続ける。
それが何を意味しているのか。
時は確実に刻まれて、手塚も周も一歩ずつ大人への階段を上っている。
優しい兄と可愛い妹、仲が良いだけでは片付けられない時間がもうすぐ訪れようとしていることに周はまだ気付いていない。
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