とき
時間の扉 2 

怖いくらい真剣な顔で考え込む周を向かいの席で手塚はじっと見つめていた。
彼是十分程の時間が経とうとしているが、周は口を開く事もせず黙りこくったまま。
急かすことは性分ではないが、そろそろ踏ん切りをつけてもいいのではないか。
手塚は組んでいた腕を解いて、自分の方から切り出そうとほんの少し身を前に動かした時、弾みで前にあったグラスに触れてしまった。


カランッ――

グラスの中に所狭しと詰め込まれた氷が水中でバランスを崩して冷たい音を立てる。
それに気付いて漸く周が顔を上げた。

「あ・・・ごめん、先に頼んでいいよ」
「俺は構わないが、まだ決まらないのか?」
「だって、どっちも美味しそうなんだもん」

先ほどから周は、生の苺がふんだんに使われた「恋する乙女のほんのり甘い休日」と、メロンをすっぽりくりぬいて作られた「プリンセスのちょっぴり危険な大人の午後」のどちらにしようか苦渋の選択に迫られているのだ。
手塚にしてみたらいくら食べたくても絶対に注文しないメニューだ。

「う・・・ん」

これはまだ暫くかかるだろうと踏んだ手塚は、左手を軽く上げ近くの店員を呼んだ。

「アメリカンと――― その苺のと、メロンのを一つずつ。後ロイヤルミルクティをお願いします」

えっ?と驚いて手塚を見るが、店員が注文を繰り返しオーダーが入ってしまった。

「お兄ちゃん、僕二つも食べれないよ」
「俺が食べるんだ」
「・・・・・」

甘いの苦手なくせに・・・

それでも敢えてそういう言い方をする手塚に周はまた不思議な気持ちに駆られてしまう。
胸の奥底にある自分しか知らないはずの場所なのに、兄は容易く入り込んでくるのだ。
一つ一つ本当の自分を見透かされてるようで、そういうのは酷く居心地が悪いはずなのに、何故か安心してしまう。

「どっちを食べるの?」
「お前が要らないほうでいい」
「決められないから困ってたんでしょ」
「苺」
「ねぇ、『苺』なんてメニューないよ。どっちを食べるの?」

にやにや笑いながら周が何を言わそうとしてるのか瞬時に悟った手塚は、眉間の間をギュッと狭めて周を睨みつけた。
この表情で凝視されたら泣く子も黙る・・・いいや笑う子も強張ってしまう手塚国光の迫力は周にだけは通用しない。

「ねぇねぇ、どっちぃ?」
「今すぐ帰ってもいいんだが」
「うっ」

それでも周を黙らせることなんてお手の物。
手塚は言葉に詰まった周にまだまだ甘いと勝ち誇った表情を浮かべるが、その時―――

「お待たせしました。『恋する乙女のほんのり甘い休日』のお客様?」

爽やかな笑顔で問いかけてくる店員は返答を待っている。
ちらと周に目配せをするが、わざと窓の外へ視線を外している。

「あの・・?『恋する乙女のほんのり甘い休日』のお客様は?」

一度ならずも二度までもご丁寧に長い名前を復唱する店員。
周は変わらずそ知らぬ顔。

「俺・・です・・・」
「『恋する乙女のほんのり甘い休日』です。お待たせいたしました」

3度目の正直、にこやかにフルネームで発音して「恋する乙女のほんのり甘い休日」が手塚の前に置かれた。

ぶっ―――

我慢できず噴出した周をもう一睨みするが、元より効果なし。
暫く苺を見るたび嫌な気分になりそうだ。




*********




「楽しかったね」
「そうか」
「お兄ちゃんは楽しくなかったの?」
「そんなことはないが・・」

繁華街をぶらぶらしていただけで、結局何もしていない。
唯一買い物に入ったのはスポーツショップ。
それもどちらかと言えば手塚の買い物に周が付き合ったようなもの。
リストバンドを手にしていたので、手塚が一緒に支払おうとしたが、いつものように頑として首を振った。

「親しき仲にも礼儀ありっていうでしょう?僕だって同じようにお小遣いもらってるんだし」

間違ってはいないが手塚にしたらあまりに他人行儀だ。
たかがリストバンド一つ兄に甘えるくらい、なんでもないことではないか。
それに小遣いは決して同じようには貰っていない。
年齢は一つ違いこそすれ、周の小遣いは手塚の半分にも満たない。
女の子にあまり多くのお金を持たせることは望ましくないとの祖父の考えだったが、同年代の女の子と同じように過ごすには少々きついだろう。
もちろん必要最低限のものは用意してもらっているし、幸か不幸か、普段は部活に追われて遊びに出掛けることも殆どなく、周は別段困ってもいないようだが。
それでも本当に男女の区別だけなのだろうかと手塚は疑問を持たずにはいられない。
幼い頃から祖父は周に厳しすぎる嫌いがあった。
もちろん手塚にも厳格な人ではあったが、周に対するそれとは種類が違うような気がするのだ。
思いたくはないが祖父の個人的感情を感じずにはいられなかった。

「急に黙っちゃってどうしたの?」
「いや、なんでもない。何か食べに行くか?」

そろそろ日が暮れてきた。
折角出てきたのだから、夕飯でもと思ったのだが、

「ううん、もう帰ろう?遅くなると・・・」 

お爺ちゃまに叱られるから・・・
周が飲み込んだ言葉の先は大体想像が付く。
少し淋しげに微笑んだ後に、えへへと笑いながら照れたふりして誤魔化すように続けた。

「だって結局さっきのケーキ、二つとも殆ど僕が食べちゃったし。その上外食なんてしたら太っちゃう」

口にこそ出さないがきっと周も感じているのだ。
例え手塚と一緒だとしても、門限を過ぎれば酷く叱られるに違いない。
そんな周を見るのは手塚としても忍びなく。

「そうだな、そろそろ帰るか。すまないが通り道にある店、もう一軒だけ寄ってくれ。お前に見て欲しいものがあるんだ」

時間を確認してそう言う手塚に周も快く応答する。

「いいよ。何か買うの?」
「いや、ちょっと見るだけだ」

今日の本来の目的、周へのバースデープレゼントを選ぶことだ。
周のことだ。一緒に行っても素直には買わせてくれないだろう。
だが予め好みを聞く手段はある。
手塚はカントリー調の木彫が施された扉の前で足を止めた。

「こ・・こ?」
「ああ」

テディベア専門店
扉と同種の木で作られたプレート、店名の下にそう書かれていた。

「テディベアってあのテディベア・・?」

店構えといい、他に思いつくものはないのだが、どうしても手塚とテディベアが結びつかない。
しかし何の迷いもなく扉を開ける手塚に周も慌てて中に続いた。

「うわぁ〜!!」

メルヘンの世界にタイムスリップしたような。
暖かで優しげで一体一体それぞれの個性を持つテディベア達が所狭しと並んでいた。
大きさも種類も色も様々で、シンプルに首にリボンを巻いただけのものや、ベストやドレス、民族衣装を着たものもある。

「かっわいい〜」

これの良さは手塚にはよく分からなかったが、目を輝かせて見つめる周をみて、やはりプレゼントはコレで決まりだと確信した。
後はこの中でどれが周の好みかだ。何しろ一体一体手作りとあってそれらは全部違うのだ。
身体の生地はもちろん、目の色や表情、細かいものを言い出したらきりがないが、好きな色や大きさくらい分かれば大まかには選ぶことはできる。
どういったものが好みか聞こうと思ったとき、

「ねぇ、この子みっちぃみたい!」

仮にもテディベア、あのボロ熊に似ている要素などないのだが、白い身体に紺のサロペット、後大きさは確かに少し似ていると思った。
決まったか・・・漸く目処がついてほんの少し安堵した瞬間、周が驚きの声を上げた。

「たっかーい!テディベアってこんなにするんだね」
「俺も最初は驚いたが、これはシュタイフと言って所謂ブランドなんだそうだ」
「ブランド?」
「ああ、シュタイフ社というドイツのメーカーが作ってるらしいんだが、テディベアの本家ってわけだな。全部手作りだから同じものはないし表情にも個性がある。値が張るのもそれなりってことだろう」
「へ・・ぇ・・」

感心するのは、こんなものには全く無縁に思える手塚が、すらすらとやけに詳しく語っている事だ。
おそらくここに来る前から情報を持っていたのだろう。
そもそも何を見てほしくて自分をこの店に連れてきたのだろうか。
兄がテディベアに興味があるとは思えないし・・・。

「ねぇお兄ちゃん、まさかと思うけど、これをテストのご褒美になんて思ってないよね?」

真面目な顔で行き成り確信をついた質問をする周に手塚も戸惑う。
今日はそのまま帰って、周の誕生日にサプライズの意味も含めてプレゼントしようと思っていた。
だが、周もそれほど鈍感ではない。
兄が行くはずもない店、考えられない知識、兄以外の誰かが絡んでるに違いない。
だからと言って他人への贈り物にしてはあまりにも高価な品。
そう考えたら行き着く答えは見えている。
返答までの数秒の間。それが何よりも肯定を意味していた。

「もう・・何考えてるんだよ。テストの度にそんなことしてたら・・」

呆れてため息を吐きながら、まるで諭すように続ける周に、手塚もこれ以上誤魔化すよりは本当の事を言う方が懸命だと思った。

「テストはついでだ。もうすぐ・・・誕生日だろう」
「え・・?」


忘れていたわけではない。
中学生の女の子にとって誕生日はまだまだ特別な一日だ。
バースデーケーキを囲んで、お祝いの歌を歌ってもらう。
おめでとうの声と共に、年の数だけ灯された火を吹き消して、皆から祝福の拍手を貰う。
いつもよりちょっぴり豪華な食事。その日だけは特別に好きなものがずらりと並ぶ。
目の前には家族の笑顔。暖かさに囲まれながら生まれた幸せを実感する。
忘れていたわけではないのだ。でも・・・考えないようにしていた。
望めばきっと悲しくなる。悲しみを悟れば失うものがある。
だから与えられた今以上を望んではいけない。
このままで十分幸せだから。

「そんなの・・・」
「そんなのじゃないだろう。お前の誕生日だ」
「お兄ちゃん・・・」



あれは小学校へ入学する少し前―――

『入学に向けて沢山のものを揃えたんだ。それ以上は贅沢だ』
『ですがお義父さん、それとこれとは・・・』
『同じことだ。良いな、甘やかしてはならん』

幼いながらに周自身も分かっていた。
個室を与えられ、自分専用のベッドやクローゼットを用意してもらった。
立派な学習机にはぴかぴかのランドセルが掛けてあって、中に新しい筆箱や下敷き、ノートや鉛筆も入っていた。
一度にこんなに沢山の物を買ってもらったことは初めてで、嬉しい反面、良心が咎めるような何処となく重たい気分でもあった。
だから誕生日にプレゼントが貰えなくても、それで十分だったのだ。
なのに聞いてしまった祖父と母の会話。
分かっていても改めて言葉にされると痛みになる。
自分が生まれたことを喜んではもらえないのかと・・・切なくなった。



『プレゼントだ』


何の期待もせず迎えた誕生日。
案の定、その日特別なことは何一つなかった。
4年に一度の周の誕生日。本当の誕生日がない年は、同じ2月生まれの父の誕生日といつも合同だった。
それでも母がプレートに「周」の文字を入れてくれて、大好きな父とそれを吹き消すことは周にとって楽しくて幸せな一時。
自分は皆に可愛がられ、愛されているのだと―――。

呪文のように繰り返されるそれが、空虚な一日を何とか支えていた。
そうしていれば、そのうち今日は終わる。
また明日からいつもの日々が始まるから―――

だから目の前に差し出された大きな包みの理由が分からなかった。

『何で?』
『何でじゃないだろう。お前の誕生日だ』


お前の誕生日だ―――


あの時と同じ。
忘れようとしていることをこの人が思い出させる。



「ありがとう、お兄ちゃん。覚えててくれて、ありがとう」

兄の気持ちが心の隙間をじんわり埋めて、暖かな春に包まれているかのような、いや確かにぬくもりの中にいることを実感する。
素直に感謝を口にする周の顔は至極幸せそうで、手塚もその笑みに釣られてほんの少し目元を綻ばせた。

「受け取ってくれるか?」

今度こそ素直に快い返事をくれると思ったが、周は黙って首を横に振る。

「何故だ?これは気に入らないのか?」
「違うよ、お兄ちゃん。テディベアは可愛いけど・・・」
「だったら・・」
「みっちぃがいるから。もう随分古くなっちゃったし・・こんな綺麗な子がやってきたらさすがにちょっと可哀相でしょ」
「それならこの際、買いかえても―――」
「お兄ちゃんっ!」

手塚が最後まで言う前に、突然周が大きな声で叫んだ。
唇を噛んで手塚を真直ぐに見つめる瞳は、さっきまでとは打って変わって酷く淋しげで、僅かに潤んでいるように見えた。

「とにかく僕はいらないから・・・」

もう帰ろう、と周は店の外へとゆっくり歩を進める。
迷いなく立ち去ろうとするその後ろ姿には、テディベアへの思いなど微塵もなく。けれど―――
昔、周の誕生日にあげた白いクマのぬいぐるみ、「みっちぃ、みっちぃ」とそれはもうこれ以上ないくらいの可愛がり様で、よほど嬉しかったのかと手塚も満足だった。
未だにそのクマを肌身離さず持って眠る周に、まだまだ幼さがぬけないと呆れながらもそのあどけなさが愛しくもあった。
だからこそ手塚にも想いがある。
テディベアなんて中学生が簡単に買えるものではない。しかも妹へのプレゼントだ。
それでも手塚がそれを選んだのは―――

「すみません、また来ます」

二人の様子を黙って見ていた店員に頭を下げ、先に行く周を追うように手塚も店を出た。

「ねぇお兄ちゃん、お夕飯何かなあ・・」

振り返った周はもういつものように笑っている。
何事もなかったように会話する姿はあまりに普段通りで、それが反って真実ではないように見える。
先ほどみせた淋しそうな瞳が手塚の脳裏を離れない。
トレードマークのようにいつも笑顔を絶やさない周。
でもその狭間に時折影が揺れるのを手塚は知っていた。

「お前・・・・いや・・」

今はまだ聞きだす時期ではない。
ただ、周が少しでも安心できる場所に自分がなろうと誓う。

「・・・ケーキ食べ過ぎて腹がいっぱいなんじゃないのか?」
「『太る』って言っただけで、腹いっぱいとは言ってない。お夕飯楽しみだねぇ」
「懸念するだけ時間の無駄というやつだな・・・」
「何か言った!?」
「いや・・・」

コロコロと喉を転がして笑う声が夕焼け空へ吸い込まれていく。
手塚は願わずにはいられない。

この声が、この笑顔が、周の幸せが本物であるようにと―――。



next / back