奈良歴史漫歩 No.017  再発見された條ウル神古墳の巨大な石室   橋川紀夫   


 
●ひさびさの大型現地説明会

 「巨大な石室、石棺発見」とマスコミはいっせいに大きく報じた。奈良県御所市教育委員会が巨勢山古墳群の調査で「石舞台」級の石室を持つ古墳を発見したと発表したのは、3月14日であった。石室(玄室)の長さ7.1m、幅2.4〜2.7m、高さ3.8mは、石室の床が泥で埋まっているためにいずれもまだ数十センチ大きくなる可能性があるという。数値だけを聞いてもピンとこないが、明日香の石舞台が石室の長さ7.6m、幅3.4m、高さ4.8mというと、おおよその大きさが想像できるだろう。こんな古墳が「未発見」のままよく今まで放置されていたものだ。現地説明会が3月23日と24日にあるという。もちろん行かない訳にいかない。

 24日は幸い天気に恵まれた。近鉄御所駅に着く前から電車の中は、説明会に行くとそれとなくわかる人たちで座席は埋まっていた。駅を出ると係員の誘導があって、シャトルバスに乗り込む。国道24号を右手、西に葛城金剛の山腹を見ながら南へ走る。約10分してバスは左折して葛城川を渡り、埃っぽい空き地に着いた。

 空き地の一画には人がかたまり、説明会が始まっていた。テントの受付で資料をもらって、説明会の人の輪に加わる。新聞によれば昨日は5,500人の見学者があったという。今日は日曜だからさらに増えるかもわからない。受付のこの会場では説明だけ聞いて、発掘現場は見学のみとなる。 説明会は約10分間あり、1時間に2回の割合で繰り返して、大勢の見学者をさばいていた。

 ●往復5kmの見学コース

 見学地は條ウル神古墳だけではない。室(むろ)地区の群集墳も発掘調査されて、そこから平安初期の木炭を敷きつめた墓が出土した。これも珍しいお墓ということで、今日の現地説明会に加わわっていた。

 また見学コースは、葛城地区最大規模の前方後円墳である室宮山古墳の前も通る。5世紀前半の築造で、全長240mにおよぶ。長持形石棺が石室に埋まった形で保存され、普段からその一部は見学できるのだが、せっかく近くまで来たのだからこれも見逃すことはできない。橿原考古学研究所附属博物館には室宮山古墳出土の埴輪を展示したコーナーがあって、家形や盾形の立派な形象埴輪には驚かされる。被葬者はもちろんはっきりしないが、この時期の地域の盟主であった葛城氏の首長墓と見られ、その強大な勢力がしのばれる。

 受付会場から見学コースを往復すると約5km。巨勢丘陵の裾に展開する集落を通り抜ける里道は、土蔵、白壁の重厚な民家を左右に見ながら、おりしも春の日を浴びてちょっとしたハイキング気分を味わえた。

 それにしても今日の現地説明会を準備した御所市教育委員会の労力は大変だっただろう。コースの途中には救護所のテントも設け、簡易トイレを何カ所も設置、係員が要所で誘導する。足場の悪い現地見学場所は階段をこしらえ、手すりもめぐらしてあった。そしてシャトルバスの手配。おまけに石室内部のビデオ映像まで放映する力の入れようだったが、これは屋外の日ざしが邪魔してほとんど見えなかった。御所市商工会婦人部の地元の銘茶サービスもあった。


條ウル神古墳遠景 行列は説明会の見学者


條ウル神古墳石室 御所市教委公表の写真

 ●木炭墓の被葬者は桓武朝の高級貴族

 今回の見学地が含まれる巨勢山古墳群は、南北2km、東西3kmの地域に総数約700基の墓が密集するという全国最大級の群集墳である。

 この墓の分布密度は、木炭墓(巨勢山室古墓)が出土した場所においても典型的にあらわれる。5世紀後半の築造と推定される数十m級の前方後円墳から木棺直葬墓3、横穴式石室2、不明墓1、木炭墓1の合計8基が検出された。埋葬時期も5世後半から9世紀初頭までに渡り、同じ場所に次々とお墓がつくられている。

 木炭墓は前方後円墳の前方部を削ってつくられていた。長さ3.4m、幅1.5mの墓穴を掘り、底に木炭を敷きつめた後、長さ2.2m、幅1mの木槨を設置して、さらにこの中に遺体を納める木棺を置くという構造である。木炭は木槨を包み込むように周囲に分厚い層をなして残っていた。木炭は湿気を取り去り防腐のために用いられたと思われる。

 副葬品には、金銅装太刀、刀子、水晶丸玉、石帯、碁石などがあった。石帯の色が緑であることから、被葬者が五位以上の貴族であることがわかるという。木炭墓は平安初頭の時期に限られており、手の込んだ墓の構造や豪華な副葬品から桓武朝のかなり高位な身分の貴族が葬られたと考えられる。

 ●盗掘穴から数十秒間だけ覗く石室

 條ウル神古墳が所在するのは巨勢山古墳群の北東で、尾根筋が平地に接する先端部にあたる。柿畑となった小さな丘があり、西側の室地区から歩いていくと、道は丘にぶつかって分岐する。1つは丘を断ち割って東へ直進し、1つは迂回して左手、北に曲がり條の集落へ入っていく。

 丘の手前に見学者の行列が続き、その後端に「待ち時間40分」という手書きの紙を持った係員が誘導していた。行列は徐々に詰まっていきやがて丘にとりつく。急造の木製の階段を一列になって上っていった。階段状の進入コースは丘を一周して石室へ近づいていく。石室の入り口は東向きで、梯子を下りてその前に立つ。係員から「4人ずつ進んでください」とうながされ、入り口に近づくが、鉄パイプがガッシリと行く手を阻む。

 盗掘穴とおぼしき小さな穴から中を覗き込んだ。羨道の側壁の石膚がまず見える。その奥に光り輝く空間があって、縦に置かれた家形石棺の蓋が見える。石室の壁や天井はわからなかったが、非常に奥行きの深い空間に感じられた。もっと見ようと身を乗り出したが、「ハイ、交代してください」という無情の声には逆らえず、その場を離れたのだった。

 もう一度並んで見たのであるが、印象は奥行きの深さに尽きる。盗掘穴から覗き見るだけであるから、これぐらいの印象しか得られないのも仕方ないが、それだけにかえつて強烈な印象だった。

 石室内部に入れることを期待していたのだが、現場を見れば無理であることはすぐに納得した。石室内部への通路は盗掘穴しかなく、調査員がそれを発見したのはわずか2カ月前である。調査も内部の測量しかすんでおらず、石室や副葬品の詳しいことや墳形についてもまだ何もわかっていない。説明会のあと石室はいったん埋め戻し、改めて調査にかかるという。その後整備して一般公開できるようになるまでは、10年はかかるという担当者の話であった。


巨勢山室古墓の木槨を覆う木炭層


條ウル神古墳石室の入口盗掘穴より覗く

 ●巨大な家形石棺に8個もの縄掛突起

 説明会での話や資料、新聞報道から條ウル神古墳の概要をまとめておこう。
 條ウル神古墳はすでに大正時代には発見されていた。「奈良県史跡勝地調査会第三回報告書」の中で、奈良県技手・西崎辰之助氏が「條ノ古墳」として報告する。そこには、東西1町、南北2町の前方後円墳であり、石室内は水に浸かり、縄掛け突起8個を持つ石棺の蓋が水面に現れているとある。また、石室内部の実測図も掲げてある。当時、盗掘穴は地上部に開いていたらしい。

 しかし、何故だかこれまでまともに検討されることなく、盗掘穴も何時しか埋もれてしまった。報告の数値が大きすぎて、その信憑性に疑問がもたれたともいう。今回の再発見により、西崎氏の報告の正しさが立証されたことになる。

 石室とともに石棺も最大級のスケールである。刳り抜き式家形石棺の蓋の全長は278cm、幅147cm、高さ53cmを測る。これは、見瀬丸山古墳の家形石棺(蓋の全長289cm、幅145cm、高さ63cm)に匹敵する。縄掛突起が蓋の長辺に各3個ずつあり、合計8個を数える。縄掛突起は蓋の長辺に各2個、合計6個が一般的な中で、こういう形のものは近畿では初めての出土らしい。石材は二上山(奈良県當麻町)の凝灰岩である。

 副葬品は盗掘を受けていたが、棺の上に冠の飾りを取り付けるための金銅製の針金やガラス玉が散乱していた。棺内には耳飾りの一部である鎖の破片も見つかった。

 ●被葬者は巨勢氏か

 説明会でよく質問が出ていたのは、古墳の名前である。「ウル神」は小字名ということだが、その意味はわからないという。西崎氏の報告にも「墳は俗にウル神山と称するものの山嘴にあり」と出てくる。しかし、古墳の隣で畑を耕していた地元のおばあさんに尋ねたところ「ウル神なんてこれまで聞いたことがなかった」とのことである。

 石室や石棺の特長から、古墳は6世紀後半の築造と推定される。

 葛城氏本宗家は5世紀の後半に大和朝廷によって滅ぼされた。代わってこの地域に勢力を伸張したのが、東の巨勢谷を本拠地にする巨勢氏だという。巨勢氏は6世紀、7世紀を通じて大臣、将軍を輩出し、大和朝廷の中で重要な地位を占め続けた。條ウル神古墳ほどの巨大な石室を築ける被葬者は、巨勢氏である可能性が高いというのが調査担当者の説明であった。

 その傍証として、條ウル神古墳のすぐ近くにある條池南古墳から石枕のついた家形石棺が出土したが、巨勢氏を葬った巨勢谷の樋野権現堂古墳の石棺とよく似ていることをあげる。それは、とりもなおさず巨勢氏の勢力がこのあたりに入り込んでいたことを語るという。

●條ウル神古墳が5月3〜6日に再公開されます。午前10時〜午後3時。近鉄御所駅から奈良交通バス寺田橋下車。徒歩40分。問い合わせは御所市教育委員会(0745・62・3001)


 


穴より覗いた石室内の眺め


條ウル神古墳の家形石棺の蓋 御所市教委の公表写真

●参考 「巨勢山古墳群確認調査現地説明会資料」御所市教育委員会
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