奈良歴史漫歩 ●「奈良歴史漫歩」は、古代史の話題や地元奈良の史跡をめぐるレポートエッセイです。●ご質問、ご感想、ご批判、ご教示、大歓迎します。●引用・リンクはご自由ですが、ご一報くださればうれしいです。●最新Update2015/5/29。Copyright(c) ブックハウス ●「奈良歴史漫歩」No.75〜は、こちらのブログにあります。
 総目次  テーマ別索引  時代別索引  地域別索引  マガジン登録  リンク  メール
What's New           『奈良歴史漫歩』電子書籍版発売中!!


奈良歴史漫歩No.074

無垢の木の家とセイタカアワダチソウ―幸田文の斑鳩
’14/3/22
法輪寺三重塔の再建のため斑鳩に住んだ幸田文が当時の斑鳩の風景を語る。


奈良歴史漫歩No.073

朱雀門に次ぐ興福寺南大門
'09/10/10up
朱雀門に次ぐ規模を誇った興福寺南大門は6回再建され、創建時の柱位置の上に繰り返し建てられた。


奈良歴史漫歩No.072


隆福院から霊山寺へ
'09/8/20up
行基創建の隆福院だとされる追分廃寺。その近くには行基創建の伝承を持つ古刹、霊山寺がある。


奈良歴史漫歩No.071

大御輪寺の滅亡 
09/2/28up
大御輪寺は大神神社神宮寺として奈良時代以来の歴史を持つが、神仏分離令により寺宝は離散した。
   Series
大和路・礎石のある風景 2

長い歳月のなかで寺院も興亡を繰り返す。無常は他ならぬ仏陀の教えだ。きらびやかな堂塔伽藍も良いが、礎石のみを残す堂塔跡にこそ、仏陀の教えを感じる。そこは、想像力がかきたてられる場でもある。そして想像力の中に歴史がある。礎石のある風景を見て回ることも大和路を歩く楽しみだ。
●法輪寺三重塔の心礎
白鳳期創建の三重塔は、法隆寺の五重塔、法起寺の三重塔とともに斑鳩三塔として1200年以上の長きにわたって斑鳩の風景を形づくってきたが、
昭和19年の夏、落雷のため一瞬にして灰塵に帰した。戦後になり長い勧進活動の末に、ようやく昭和50年に再建が果たされた。
心礎に埋納されていた舎利は幸いに無事で、再建の塔に納められた。元の心礎は塔の並びに展示される。縦横目測1m以上ある大石の表面を磨き、心柱を受ける穴と舎利を納める穴が同心円状に掘られている。この形式は白鳳期の特徴を表わす。
機能を超えたスケールとフラットな形状は「盤石」という言葉そのものである。昨日降った雨水が手水鉢のように穴に溜まっていた。(2014/3/27)

Topics 東大寺二月堂修二会


練行衆のお水取りの下堂を持ち受ける童子たち


今年で1263回を迎える東大寺二月堂修二会。自他の過ちを懺悔して、十一面観音菩薩に天下泰平、五穀豊穣、万民の幸福を祈願する。良弁の高弟、実忠和尚が大仏開眼の年に創始して以来、不退転の行法として続く。●練行衆が二月堂に上堂するとき松明が足もとを照らすことから「お松明」とも、また閼伽井から香水を汲みあげることにちなんで「お水取り」とも呼ばれる。●千年の伝統を引き継ぐ行法は、全てにおいて驚きと神秘に満ちている。2月20日に練行衆は別火入りして本番に備える。本行は3月1日から14日間続く。12日の上堂では、ひときわ大きな籠松明が焚かれ、13日の未明のお水取りでクライマックスを迎える。
奈良歴史漫歩No.15 1251回を数える二月堂お水取り
奈良歴史漫歩No.16 お水取りの魅力



Special
遷都1300年

 

平城宮および平城京のレポート&エッセイ


024復元された朱雀門
025平城京羅城門
033平城宮第一次大極殿の復元
040造り替えられた平城京
051羅城と十条大路
052宇奈太理の森

056平城宮東院庭園の変遷
057平城京左京3条2坊宮跡庭園
橋川紀夫のブログ「他生の縁・今生の縁」も御覧ください

Since04/8/14
Copyright(c) ブックハウス 2004〜2014