2003.2.3(月)
言いそびれていたが、私達が香港に着いた日は春節(農暦のお正月)の2日目だった。
中国本土もそうだけど、中国の人たちは西暦のお正月よりこちらの方がずっと重要なのだそうだ。以前’98〜’99年の年末年始に北京に行った時には、元旦から普通に銀行や商店は営業していた。
聞くところによれば、春節にはみんな里帰りしてしまいお店もほとんどが閉めてしまっていて、里帰り出来ない人間にとってはそれはもう寂しい季節なのだそうだ。香港でも、お正月(春節)に稼いでやろうとする店は開いているが、いわゆる老舗と思われる店は軒並み休業している。聞くところによると、長いトコでは10日間くらいお休みだそうだ。
そういえば知り合いの中国人の男の子から聞いた事があるのだが、春節になると里帰りをして、それはもう沢山ある親戚と言う親戚を一家中で手分けして挨拶回りをするんだそうだ。それを怠ると親戚中からツマハジキに遭いかねないらしい。そんな事にならない為に休みを沢山取ってあちこち廻っているのだろうかと思う。(それだけじゃないとは思うけど・・・)
・・・で、我々は朝ご飯を取る為に、正月3日でも開いている店を探しに出掛けた。少し足を伸ばせばあったのだろうが、ホテルの近くで探すとなると結構難しかった。起きてすぐ朝飯前に動くのってこんなにダルかったんだと後悔しながら、あるビルの地下で営業してそうな店を見つけてた。
中に入るとガラガラでちょっと不安な気がしたが、何か食べられるという気持ちも大きかったのでテーブルに着いた。すぐあとに背広姿のおじさんが3人入ってきたのだが・・・、よく見るとなんだかみんな香港映画によく出てくる悪役顔をしている。向かいを見ると龍哥もちょっぴり不安顔なのだ。余計に怖くなるじゃないか。
メニューに目をやるとそこには「面・米線・米粉」という字が後ろについたものしか無かった。しかし、龍哥がお粥を食べたいんだというので、勇気を出してお店の人に聞いてみることにした。「や・・やうもうちょっ?」聞きかじりの広東語、それでもこれくらいは通じるだろうと思って言ったのだけど、お店のお姉さんは???の顔だ。もう一度言ったけどやっぱり解らないって顔された。最後の手段で「有没有粥?(ようめいようぢょっ?!)お粥あります?」北京語で思いっきり言ったら「没有(めいよう) ないわよ。」だって。それ以降、何処へ行ってもいい加減な広東語もどきが通じない時は、破れかぶれの北京語で話し掛ける事にしたのだった。
お粥は諦めてオーダーしたものは、炸菜肉絲米線+腸仔煎旦と五香肉丁米粉+餐肉煎旦。米線は米粉より太いひや麦サイズの麺でだったが、龍哥はゴムみたいで食べられへんと言う。結局、二人とも半分以上食べ残して店を後にした。
龍哥がガイドブックを見ていて下町を歩きたいと言っていたので、今日は香港島の方に渡ってみる事にしていた。、灣仔(ワンチャイ)へ向かう。尖沙咀から地下鉄に乗って行くのだが、龍哥は香港MTR初体験だった。私は八達通(オクトパスカード)を持っていたのだが、龍哥の為に同じチケットを買い改札の通り方をやって見せてあげた。
のちにオクトパスで改札を颯爽とすり抜ける姿を見せたら、あまりに格好良くて羨ましがっていた龍哥。「スルっとKANSAIカードは普通のカードと一緒で、いちいち穴にカードを入れんとあかんから香港の方が進んでいる!日本もこうしたらええのに。」と龍哥は言っていた。JR西日本が「ICOCA」を発売した途端、「なっ!俺が言うてたら出来たやろ!」とかなんとか言って、まるで自分が開発に携わった人であるかのように自慢していた。
ホームに下りるとまたまた龍哥が驚く。列車が来るまで、ホームのガラス扉が開かない設備が凄い、やっぱり香港だと言うのだ。そんなん京都でもあるやん。。。付き合ってる時に、京都駅で地下鉄乗って烏丸線から東西線乗り継いで三条へ行った事完全に忘れてる龍哥だった。金鐘(アドミラリティー)で乗り換える時、何故だかみんな一斉に走り出すので、つられて私らも走る。乗り換え時間が短い為だと後で気がついた。
とりあえず第一の目的地灣仔(ワンチャイ)に到着。この街を歩く予定だったのだが、私にも希望があってそれを先に叶えてもらう事に話がついた。一度トラムで端から端まで行ってみたいという我がままだ。最後にまたここへ戻ってくるという約束で、龍哥は快く承知してくれた。駅から出るとすぐにトラムの走る音が聞こえる。[竹↑肖↓]箕灣(シャウケイワン)行きが来たので飛び乗った。カップヌードル・カーその他色とりどりの広告カーも走っていたが、私達の乗ったのは緑色に塗られたクラシカルな車両だった。そして、迷わず2階席前方へ。ドンドン横を追い抜いて走る自動車やバスとは全く違う、マイペースに走るトラム。マラソン選手と競争したら負けるかもねっていう速さで悠々と走る。こんな風にゆっくりこの街を眺められて良かったと、二人ともしみじみ感じていた。それに、どこまで乗っても$2(35円前後)がいい。
終点で下車すると、ループをグルッと一周してトラムはまた来た道を帰っていった。周囲は観光地でもなんでもない下町で、青空市場が出ていた。野菜は日本で見るのとさして変わりは無かったが、白菜だけは長っぽそいもので、一つ一つヘタの近くにビニール紐がまあるく通してあって珍しかった。魚介類はほとんどが生きたまま売られていて新鮮だったが、蛙が網の中で蠢いていたのにはちょっと引いてしまった。龍哥はその一部始終をデジカメに収めていた。市場の端っこに肉屋さんがあってそのお店も撮影したところ、フラッシュを焚いてしまったせいか、店主と思われるおじさんが血相を変えて怒鳴り声を上げた。「お前ら、誰に許しもらって撮ってるんだ!あっちいけ!!」みたいな雰囲気だった(と思う)。さすがの龍哥もカメラを隠して、二人でそ〜っと逃げてきた。おじさん、いきなりフラッシュ焚いてごめんなさ〜い。
それから、その市場にはお花を売っている人が大勢いた。よく見ると菊の花が多かった。蘭などの少し豪華な花を取り合わせて、ひとくくりいくらって書いてあるようだ。きっとお正月にご先祖にお参りするんだろうなぁ。まるで日本のお盆やお彼岸の風景のようだった。その後は、親戚中集まって美味しい料理を作るのかな?
私はその市場の辺りの小さな食材屋さんで、向日葵と南瓜の種を買った。
さて、今度は反対向いてトラムにと思ったのだが、せっかくだから線路沿いの道を少し歩いて戻ってみようという事になった。歩いている最中に、龍哥がWCを探し出した。前にも言ったが、香港では公衆WCが探しにくいので有名だ。繁華街でもなんでもないので、大きなショッピングセンターも立派なホテルもない。
どうしようか困ったあげく太古付近で小さい喫茶店を見つけて入った。さっきシャウケイワンでも冷コーを飲んだばかりだったので何も飲みたくなかったけど、仕方が無い。お店はこれと言って特徴の無い普通の店だったが、お正月景気とでもいうのだろうか結構満員で、地元のお姉さんらしい人と相席だった。その人がたまたま目の前で檸檬可樂(レモンコーラ)を飲んでいたので、「あっ!これにする!!」って思わず頼んでしまった私。Leslieの若き頃の映画作品のタイトルなんだもの。・・・それよりWCだ。「んご〜ぃ、やうもうさいさうがぁ〜ん?(すいません、お手洗いありますか?)」ってお店の人に言ったら、広東語でも通じてくれた。指示に従ってWCに向かった龍哥。
爽やかな顔で戻ってくると思いきや、出てきた顔は苦痛に歪んでいる。その理由は・・・便座が一面に汚れていて、すっきりも何も無いわ!って感じだったそうだ。龍哥は注文の檸檬可樂を一口も飲まずにお店を後にした。
だからあれほど、香港のWC事情について忠告しておいたのに・・・。皆さんも香港に行かれた時は、できるだけ行き先のトイレチェックをしてから出かけましょうネ!
その後、またトラムに乗って今度は灣仔へ戻ろうとしていた。ところが北角(ノースポイント)辺りで突然龍哥が、「確かこの辺に『吉野家』があった筈や!降りよっ!!」と叫ぶので、急いで下車する。あの時は、香港まで来てなんで『吉牛』やねんと思ったが、後にBSE騒ぎがあり、我々のラストオーダーは香港でのそれになってしまったのだった。彼の地で、牛丼は「細牛肉飯餐」という。細々と牛肉で取る晩餐という意味なのか。それはそれで的を射ているのかもしれないが。日本のようなカウンターではなくて、セルフだったのでマクドで牛丼食べてる雰囲気だった。ちなみにお値段は味噌汁付で二人で$50、ちょっと割高感は否めない。
WCの件でくたびれた龍哥が宿に帰りたくなったので、香港下町散策を中止して九龍(カオルーン)へ戻った。龍哥がお昼寝の間はいつも、私の自由行動のお時間になる。今日は海港城(ハーバーシティー)に行ってみる事にした。
以前行った事のある時代廣場(タイムズスクエア)よりも複雑なつくりで、とっても大きなショッピングセンターだった。地図を見たらゾーンAたらBたら、ホテルや映画館も中にいくつもあって…迷子になりそうだった。Postcardの売り場をインフォメーションのおねえさんに訪ねたら、本屋さんだというので行ってみた。本屋さんだけでも、すごい売り場面積だ。お目当てのカードと娘へのお土産に剪紙(きり絵)を買った。
今日の夕飯は『上海一品香菜館』というお店に行ってみた。ホテルから徒歩10分ほどで行けるし、「家庭料理が味わえる庶民派」というキャッチフレーズがガイドブックに書いてあったからだ。お店に入ると、入り口近くにずらっとお惣菜が並べられていて、龍哥いわく「千と千尋」に出てくるお父さんが豚にされた食べモン屋のようだった。席に座る前に、「アレとコレとソレと・・・・」って注文をしていると、しばらく注文を聞いてから、店員さんが「とにかく席に着け。」と言う。なんでだろうと思って注文の品を待っていたら・・・。しまったぁ〜、この量二人じゃ食べきれないじゃん。お店の人は、これ以上頼んでも食べられないからって思って、座れと言ってくれたのかもしれない。中華料理の一品辺りの分量はすごいんだと言う事を、二人ともすっかり忘れていたのだった。頼んだ料理は、にんにくの芽・豆もやし炒め・すじ肉・湯葉・ひろうすみたいなの・豚肉の細切りと卵のスープ、それとサンミゲル2本。合計$468(7488円)だった。結構薄味で美味しかったんだけど、とにかく半分以上は食べ残してしまった。
その後、すぐにホテルには帰らずに、街をぶらぶらと散歩した。尖沙咀は煌びやかなメインストリートも良いが、路地が面白い。なんか、大阪のミナミによく似ているのだ。小さな路地に、くたびれたようなおっちゃんが露天の本屋を開いている。歴史の本みたいなのの横にエロ本が並べてあったり、とっとこハム太郎の絵本が置いてあったり・・・、ターゲットはいったい誰なんだという品揃えだ。龍哥は、おっちゃんにエロ本を薦められていた。(おっちゃん、なかなかよう分かってるやん。笑)
それから、間口が3mも無いようなCD屋さんが目に留まった、お客は何故か欧米人らしき人ばかり、洋楽好きの龍哥は臆せず中へ。大好きなジャクソン・ブラウンのとジョン・レノンのと、あと1枚の合計3枚を購入。家に帰ってからジャケットをよく見ると、なんだかちょっと怪しげな感じ…。
小さな路地から離れて少し歩くと、ビッグエコーがある。龍哥からカラオケに行こうかと誘われる。メンバーズカードなど持っていなかったが、以前聞いたとおりパスポートのコピーを持っていたので入れたもらえた。店員のお兄さんは私らが日本人と判っていたので、何も聞かずにJAPANESEのメニューに設定した。でもでも…頼んでCHINESEに換えてもらった。私は、ウチの近所では絶対に歌えないお気に入りの歌をこれでもかと歌っていたが、龍哥はちょっぴり浮かない顔。そうだった…彼にはこのメニューで歌える歌が一曲も無かったのだった。ごめんよ、龍哥。でも、これはここでしか味わえないのよなんて言って、最後まで中国曲のメニューのままでカラオケタイムは終了した。
それから、ホテルの近くのセブン・イレブンで牛乳を1パックと新聞を買って部屋に戻った。香港の下町散策の日だった筈なのに、結局充分にはそれが果たせず終わった1日だった。