dear my angel 〜4〜
どれくらい時間が過ぎたんだろう・・。
悲しいとか淋しいとか切ないとか、ぐちゃぐちゃに入り混じまじると何も感じなくなるって初めて知った。
真っ白、空白・・・そう、空っぽなんだ。今の私は蛻の殻、魂が抜かれたような状態だった。
「授業行かなきゃ・・。」
投げ出した鞄を拾って立ち上がる。
直接芝生に座り込んでいたせいで足元がチクッとした。
スカートに纏わりついた芝生を払いのけながら自分のバカさ加減に笑いが込み上げてくる。
「おめでたいよね、私って。嬉しがって見せに行ったら似合うって言うに決まってる。」
お兄ちゃんは私が本心から傷つくようなこと絶対言わない。
分かっててその言葉が聞きたかったなんて―――「ホントばか・・。」
の言うとおり、お兄ちゃんは私が大事なのかもしれない。
でも時にはそれが私の傷になる・・。
幼馴染――妹のように想ってくれるだけならいっそ構わないでくれる方がいい。
他に好きな人がいるのならもう私の事は放っておいてほしい・・・。
「、何処行ってたの?ケータイも繋がらないし、家に電話したらいつもどおり家を出たって言うから心配したのよ。」
私がの前に姿を見せたのは今日の一番最後の講義だった。
家を出たのは朝、お兄ちゃんに会うためにサボるのは2講目だけのはずだったのに。
お昼も食べず、午後からの授業も出ず、ぼんやり座り込んでいた。
涙がでたのは最初だけ。
後は何をするわけでもなく。何を考えるわけでもなく、雲が空を流れていくのをただただ見つめていただけだった。
「分かった!先輩のとこ行ってたのね。これが例の洋服か、ふうーん、似合ってるじゃん。それで先輩は、」
「関係ないわ!」」
幾分強めに言い切った私には言葉を飲み込んだ。
「関係ないよ、お兄ちゃんには・・。それよりねぇ、昨日言ってたあれホント?私に付き合ってくれそうな男の子沢山いるって話。」
「え、ああホントだけど・・。どうしたの?先輩と何かあったの?」
「別に何もないわよ。ただちょっと考えただけ。捕まらない相手を追いかけていてもきりがないじゃない。待ってるだけで来てくれる人がいるならそれもいいなって。たまには誰かに想われてみたいもの。そういう恋愛も幸せかなって思ったの。」
本当に何もない・・嘘なんてついてない。
私とお兄ちゃんには何もない。もとより何か起こるはずなんてなかったんだ。
でも、やっぱり失恋って言うの・・かな。
気持ちも伝えてないのに笑っちゃう。
お兄ちゃんにとって私は昨日も今日も明日もずっとずっと変わらない『幼馴染のちゃん』のまま。
この想いを他の人に委ねるのはずるいことかもしれないけど
誰かと恋愛できたらお兄ちゃんが描いてる『幼馴染のちゃん』として笑ってられるような気がするから。
こんな自分は嫌いだ。想いとは裏腹に情けなさが込み上げてくる。
私は下唇をキュッと噛んで下を向いた。
は今の私をみて全て見抜いたのかもしれない。
そっと私の肩に手を置いて優しく言った。
「分かったから。でももう一度落ち着いて考えてごらん。それで決心できるならを気に入ってる男の子の中から私が厳選してあげる。ね?」
「気持ちは変わらない。今すぐでもいいの。」
「こういうことは早まっちゃダメ。特には場数踏んでないんだから。とんでもないのに引っかかったら大変だわ。いい?もっと考えるのよ。例え決心しても私がOKだすまで誘いには乗らないこと。これだけは約束だからね。」
「う・・ん。」
確かに私は恋愛ごとに疎いと思う。
単に男の子と遊びにでかけたりすることすら経験がなかった。
からいろいろ誘われたこともあったけど、全部断っていた。
おかしいよね。別に深い意味で誘われていたわけでもなかったのに、お兄ちゃんと違う男の子と遊ぶことは自分の気持ちへの裏切りのような気がして。
そうしない自分に満足することでお兄ちゃんに近づいた気分になっていただけなんだ。
授業が終わってもずっとが心配そうに気にしていた。
「ねぇ、送ってこうか?」
「さっきから何気にしてんの?ホントに何にもないってば。ほらほらこの後英会話教室あるんでしょ。早く行かなきゃ。」
「それならいいけど。でも・・・。じゃあ、せめて帰ったらすぐケータイに電話いれてよ。わかった?」
「はいはい、分かりました。こそ気を付けて行くんだよー。」
さも何事もなかったように明るく言って見せた。
でもさすが、私のことよく分かってるんだね。不安な表情を見せながら何度も振り返って・・。
ごめんね・・。泣いて喚いて縋って・・・そんな風に出来たらきっと楽なんだろうな・・。
ならきっと受け止めてくれるはずだもの。
でも自分のそんな姿がどうしても見せられない。
かっこ悪いって何処かでブレーキがかかるんだ。
いつもそう、誰にでも、お兄ちゃんにさえそうだった。
自分を曝け出すことが怖くて本心からぶつかった事なんてなかった。
結局私は、ずっと幼馴染の振りをしていただけ・・・
ただの嘘つきなんだ。
が帰ってからも私はまだ大学構内に残っていた。
何かに没頭していたくて図書館で課題に出されたばかりのレポートをひたすら書いた。
「凄いや・・一日でできちゃった・・。」
寮生や研究課題に取り込む者など遅くまで大学に残る学生が多いため、つい時間を忘れていたがすっかり真っ暗になっていた。
家に連絡しようとケータイを取り出しかけたが、母は今日お兄ちゃんと遅くなると思いこんでいることを思い出しそのまま鞄に戻す。
マナーモードに入ってるため気付いてないけどきっとから着信があるはずだ。
親友を心配させて心苦しいけど今は忘れていたかった。
参考にしていた文献を棚に戻し私は図書館をでた。
シンと静まり返った廊下。夜の校舎は何処となく不気味な雰囲気がする。
気のせいだろうか後ろから誰か付いてきているような気がして私は少し早足になった。
足音はやはり追いかけてくる。付けられてるの・・?
エレベーターに乗ろうと思っていたが横の階段の方へまわり走ろうとした瞬間、腕を掴まれた。
「いやっ・・。」
思わず声を上げ振り返ると男子学生が慌てて
「ごめん、びっくりさせた?さん・・だよね?」
私を知ってる人?誰・・
「そ・・うですけど・・。」
「やっぱり!俺分かんないかなあ?同じサークルの2回、庄司っていうんだ。よろしく。」
強張っていた体の力が抜けほっとする。
「ごめんごめん。声掛けてもし違ったらって迷ってたんだ。驚かせちゃったね。」
「あ・・いえ。こちらこそすみません。」
「こんな時間に一人?もう真っ暗だよ。」
「つい時間忘れてて。でもバス停すぐだから大丈夫です。」
同じサークルの先輩・・サークルには何度か行ったけど余り覚えがなかった。
そういえば男子会員が多いって聞いていたけどどんな人がいるのかぜんぜん知らないや。
お兄ちゃんとテニスが出来るようになりたいってそんなことばっか考えて参加してたから。
「じゃあ、失礼します。」
ぺこりとお辞儀をしてそのまま階段を降りようとしたとき、
「待って。俺、車で来てるんだ。送ってあげるよ。」
「え、そんな私一人で大丈夫ですから・・」
「いいから、いいから。」
そう言って庄司さんは戸惑う私の腕をくいっととって、
私は引っ張られるように駐車場の車へと連れて行かれた。
「さ、乗って乗って。」
「あの・・ホントにバスに乗ったらすぐですから。」
「でもこの時間になると本数少ないよ。」
「けど・・。」
「俺の事なら気にしなくていいよ。それとも彼氏が怒る?」
彼氏・・お兄ちゃんなら知らない人の車なんかに絶対乗るなって言うはず。
一瞬頭を過ぎった。
私ったらいつまでお兄ちゃんの事考えてるのかしら。義理立てする必要なんて何もないんだ。
「彼氏なんていません。乗ります。」
そうよ、サークルの先輩なんだもの。知らない人ってわけじゃない。
「すみません。庄司さんが帰るの遅くなりますね。」
「そんなに変らないさ。こんな可愛い子とドライブできる方がよっぽどラッキーだね。彼がいないんなら立候補しようかなーなんて。」
くすっ―――それに悪い人じゃなさそう。
気取らないその態度に私はすっかり安心していた。
「そこを右に入ってくれますか。」
「・・え・・ごめん。通り過ぎちゃったよ。」
「じゃあ、その次曲がってください。碁盤の目になってるから。」
「OK!でもちょっと狭いなあ。次でもいい?」
「はぁ・・。」
そんなに狭いだろうか。
皆普通に車で通る道だけど、初めて来る人はそんな風に思うものなのか。
でも次の角ももその次も曲がる事はなく。
「あの・・・曲がってもらえますか・・?」
「ねぇ、そこ何?」
不信感を抱きだした私の台詞を遮るように住宅の合間に見える木々を指差した。
「あれは・・・公園ですけど。」
「ちょっと行ってみない?」
「公園って言っても木が茂ってるだけで何もないですよ。」
「ふーん、じゃあ人気もあんまりないんだ。」
そんな会話をしてるうち気が付けばその公園の入り口近くまで来ていた。
「私早く帰らなきゃ・・」
「分かってるって。ここ抜けられるんじゃないの?」
少しずつ奥へと進んでいく車。
確かにもう少し進んでいけば家の方角へ抜けていける。
でも―――私は少しずつ怖くなっていた。
「もう、ここでいいです。そんなに遠くないから。」
シートベルトを外してドアのロックに手を掛けたとき
「こんな所で降りるの?一人で大丈夫かなあ・・。」
曰く有り気な言い方に窓から辺りを見渡してみた。
木々が鬱蒼としたこの公園。外灯も少なくどことなく不気味な雰囲気が漂う。
昼間はまだ近所の子供達の出入りがあるというものの、夕方以降はぱったりと人気がなくなる。
以前、幹線道路から住宅街への抜け道になるため時間を短縮しようと通る若い女性を狙った犯行が多発し、夜一人では絶対近づくなという暗黙のルールができていた。
ここを一人で歩いて抜けるのはやっぱり勇気がいる・・。私はドアに掛けた手を下ろし黙って前を向いた。
しかしそのまま少し奥へ進んだ所で急に車が止まる。
「どうかしましたか?」
「月が綺麗だなって思って。ほら。」
「そう・・ですね。」
窓の外に見える月に指をさすこの人に私はできるだけ平静を装っていたが安易に付いてきてしまった事を後悔していた。
『絶対誘いに乗らないこと』の言葉を思い出す。
とんでもないのに引っかかったら・・と言ったに間違いはなかった。
お兄ちゃん以外の男の人に免疫のない私でも分かる。
この人、初めから家に送る気なんてなかったんだ。図書室を出たときから狙われてたんだろうか。それとももっと前・・・。
逃げなきゃ―――
ここが怖いなんて言ってられない。この人の横にいるほうがずっと危険だ。
私はロックを気付かれないようにそっと外す。
ドアを開けたら形振り構わず走ろう。大声出し続けたら誰か気付いてくれるかもしれない。
相手の動きを見計らってそっとドアに手を伸ばした。
その時―――
「逃げられると思ってんの?」
伸ばした方の腕をガッと掴まれ押さえ込まれてしまった。
「離してください!!」
「車に乗っておいてそれはないでしょ。お決まりコースじゃん。」
さっきまでの朗らかな表情とは打って変わっていやらしい男の顔をしてにんまり笑った。
「バカにしないで。そんなつもりないわ!」
「この後に及んで案外言うんだね。そういうとこますますそそるなあ。」ヒューっと口笛を鳴らす。
「離してっ!誰かっ!!」」
「観念しなよ。男の力に敵うと思ってんの?それに叫んでも誰も来やしないさ。」
「今日はとびっきりのご馳走だな。こんな上玉めったにないぜ。いっただきまーす。」
「いやっ、・・やめ、うっ・・。」
掴まれた腕ごと身体を引き寄せられ、男の厭らしい唇が自分のそれを貪り始めた。。
払いのけることも出来ずただされるがままになって。
涙が次から次へと溢れてくる。
「・・んっ・・うぅ・・んぅ・・」
初めてのキスがこんな形で今日知ったばかりの男に奪われて悔しいのか、自分の浅はかさが情けないのか、恐怖なのか悲しいのか震えて涙が止まらない。
どれだけ抵抗してももがいても押さえつけられた力を振りほどくことはできなかった。
腕を掴んでる方と逆の手が着ている洋服をずらしていく。
ボレロがずり落ちて片方の肩が露になる。
ようやく唇を離され何とか顔だけそむける事が出来た。
頬をつたった涙に張り付いた髪、乱れた服装、あられもない姿にされた自分をこの男本人に抵抗もできず晒していることが情けなくてたまらなかった。
これからどうなるんだろう。この男に何をされるのか。
そんな事を自分に問うことすら愚問だった。
私の身体は今から目の前の男に好きなようにされる。
愛も、心も、わずかな感情すらない己の欲だけの人間に抱かれて、
きっとそれで終わり・・。
死ぬ事はないだろう。普通に明日がきてまた日常が繰り返される。
それだけの事・・?
嫌だ・・・そんなのは絶対に嫌!
一生幼馴染でも、想い合う事ができなくても、どんなに辛くても、
やっぱりお兄ちゃんが好き。
お兄ちゃん以外の人となんて絶対に嫌・・・
「い・・やっ!」
渾身の力を振り絞って思い切り突き飛ばした。
ぐらり・・・庄司の体制がわずかに崩れた隙にドアを開け飛び出そうとするが洋服を掴まれ引き戻される。
それでも私はあるだけの力で抵抗した。
「このっ、いい加減大人しくしろっ!!」
無造作に掴まれた服がビリビリ音を立てて引き裂かれやれ目からは下着が覗く。
それでも、たとえ裸にされてもこのまま大人しく観念することなんてできない。
私は気が狂ったように乱暴に身体を動かした。
「兄貴、見ろよ。車で男と女がじゃれあってるぜ。人気がないと思いやがって。こっちは兄弟で色気ないのによ。」
「あんまりじろじろ見るんじゃないよ。」
「ああ。・・・でも何か様子、おかしいかも。・・なあ・・に似てないか・・?」
「え?」
半開きになったドアが抵抗するたび開いたり閉じたり揺れる。
「た・・・け・て」
だんだん声も出なくなって、力ももう限界だった。
「お・・に・・ちゃ・・・」
目の前が朦朧として意識が遠のいていく。
記憶が序々に曖昧になって現実なのか夢なのかすら分からなくなって。
遠くでお兄ちゃんの声が聞こえる気がする。
やっぱり夢だったの・・かな。悲しいことも怖いことも全部、全部全部、私の弱さが見せた幻・・。
どうかしたの、お兄ちゃん?そんな大きな声で叫んで・・・・
「、っ!!」
頬をぱちぱち叩かれて意識が引き戻されていく。
「え・・あ、・・・ゆ・・うた?」
「大丈夫か?何処も怪我してないか?」
「裕太!裕太っ。裕太、助けて、私っ!!」
薄れ掛けた記憶が繋がる。
男に乱暴されそうになって必死で逃げようと抵抗した。
もう力もなくなり項垂れていく身体。
だんだん訳が分からなくなって、何をしてたのか、誰といるのかさえおぼろげに霞んでいった。
今、幼馴染の裕太に受け止められ助かったのだと必死でしがみついた。
「よせっ!兄貴。」
裕太の叫び声で振り向くとお兄ちゃんが庄司に跨って胸倉を掴みかかっていた。
「貴様っ、に何をしたっ!!」
「ぐっ・・は・・なせ!」
「答えろっ!何をしたと言ってるんだ!!」
裕太に抱えられながら目の前の光景を疑う。
お兄ちゃんがあんな風に誰かを警めるなんて・・。
「犯そうと思ったんだよ。もう少しだったのによ。」
「貴様ぁ!!」
お兄ちゃんはわなわな震える拳を振りかざした。
殴る――私は目をギュッと瞑った。
「兄貴やめろ!出場停止になっちまう!」
「そんなこと、どうでもいい。」
「ばかやろう!兄貴だけのことじゃないだろっ!皆を巻き込むんだぜ。」
裕太の一言で振り下ろそうとした手を頭上で止めたまま、お兄ちゃんはやりきれない思いを面に浮かべる。
私のせい・・・。
小さい頃裕太と二人いじめっ子にやられた時、身体をはって助けてくれた。
いつもいつも私のために、ずっと傍にいてくれて、ずっと守ってくれて。
大人になったのに、あの頃のまま変わることなく、お兄ちゃんにあんなことさせるなんて、あんな顔させるなんて、
全部私の・・・。
「や・・めて・・。もういい・・。これ以上私のために自分を汚さないで。」
力を出してお兄ちゃんの傍に行く。振り上げた拳を両手でそっととってゆっくり下ろした。
「おね・・が・・い・・。もう・・」
言葉が続かない。
お兄ちゃんの想いと、自分の気持ちと、恐怖から溶かれた安堵感と情けなさと・・
感情が錯綜して、ただただその手を握り締めたまま泣く事しか出来なかった。
庄司は逃げるように車に乗り込む。
お兄ちゃんはもう追いかけはしなかった。
私もそれでいいと思った。
だけど涙は止めどなく溢れて、どうしても動くことができない。
お兄ちゃんは私の手をそっと外し泣きじゃくる私の顔に優しく触れる。
それから力をいれてギュッと抱きしめてくれた。
「・・よかった・・。」
何よりも安心する場所、深い眠りを誘うような優しい匂い―――
お兄ちゃんの胸の中で私の意識はそのまま途切れた・・。
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