IINAZUKE!6
昨日とうって変わった陽気。
この日差しはもう真夏のものと何ら変わりがない。しかも梅雨前ときているため湿度は高く部員達の体力を一層侵食する。
「気合入れていくぞ!!」
暑さに負けるなと大石が激励の意味を込めたかけ声を送る。
「おっすっ!!」
返事はするものの部員からはかなりの疲労の色が伺える。
体力にずば抜けているレギュラー達も例外ではなかった。
「よしっ!20分休憩にする。」
集中力に欠いてきたこの状態を維持するよりはと手塚が判断し、一同ようやく一時の休息に在りついた。
日陰に入って座り込む者、頭から水をかぶる者、暑さを凌ぐそれぞれの手段で皆なんとか乗り切ろうとしている。
そんな状況の中、1人部活を早退するとはどうしても言えず、懸命に堪える姿がある。
そう、不二は体調が悪かった。
昨日、食べ過ぎたせいか、もともと暑さに弱いところからきたのか、原因は今ひとつ分からなかったが眩暈と吐き気が頻繁に襲ってくる。頭からタオルをかぶり蹲っていたが、皆、暑さにやられているこの状態、不二も例外でないとしか思われない。
非情にも練習開始の声が降りかかる。
「不二、凄い汗だにゃ〜。」
「う・・・ん。こう暑いとね。」
たった20分とは言え、体力回復は十分補える時間だ。しかし、不二は未だ額に汗を浮かべ疲労が拭いきれてない。
額の汗は冷や汗。決して暑さからきているものではなかった。
まずいな。
そう感じながらもうっすら笑みを作って周囲に悟られないように振舞った。
長いラリーが続く。
いつもの不二ならさっさとポイントに変えて終わらせてしまいそうなものを、こんなに長引いてしまうのは、不二でもこの暑さに体力が奪われ、思うように体が動かなせいだろうと誰もが疑いもしなかった。
それでも流石に自分のポイントだけは落とさない。懸命に球を拾い相手コートに確実に返す。ただいつものように球に切れがなく、コースも甘いためこの長いラリーに至っていた。
もう少し、次さえとれば――――
瞬間、目の前の景色が一段下がる。足の力ががっくり抜け膝をついてしまった。
しまった!取られる!!
しかし球は不二の背後から相手コートに突き刺さった。
「え?」
何故?僕は今返せなかったのに・・・
振り向くとそこには仏頂面の手塚が尚一層不機嫌な面持ちで立っていた。
「何?練習でも今試合中だよ。コートに入って、しかも球を打ち返すなんてどういうつもり?」
「お前こそどういうつもりだ。遊びじゃないんだそ。」
いつもより幾分厳しい手塚の声。
遊びじゃない。そんな事分かっている。だからこそ自分はここにいたのだ。やる気がないように思われたかもしれない。けれど体調が悪い事を言い訳にしたくはなかった。
不二はやり場のない悔しさに唇を噛み締める。
「コートから出ろ。」
冷淡にも取れるその一言が遊びで部活に参加してもらいたくない、そう宣告しているかのように不二の胸を突き刺した。
「試合はまだ終わってない。僕はまだやるよ。」
ラケットを握ってベースラインに移動しようとする不二の腕を掴んで手塚は声を荒げた。
「やめろといってるんだ。何故分からない!」
「分からないのは君の方だ。僕は遊んでなんか・・」
不二は急にすぅ〜っと音も立てずその場に蹲っていった。
胃を両腕で抱え込んで苦しそうに小刻みに息を吐く。顔面は蒼白になっていた。
「不二っ!!」
「不二先輩!!」
いきなり屈み込んだ不二に驚いた部員達が駆け寄ってきた。
コートは一変して喧騒に包まれたが、そのざわめきさえも遠くに感じるほど目の前が朦朧とする。
「水だ!水っ。」大石の声がかすかに聞こえる。
「不二。どうしたんだよー。」
すぐ横で一緒に屈んでおろおろとする菊丸を安心させようと何とか笑顔を作ろうとするが襲ってくる吐き気に顔を上げる事すらできない。
持ってきてもらったつめたい水を口に含んで
「ごめ・・。大丈夫・・だから。」途切れ途切れに漸く喋る事ができた。
「どうだ?」手塚が様子を伺う。
「・・気持ち・・悪い。」この状況で今更ごまかしもきかない。不二は事実を口にした。
「だからやめろと言ったんだ。」
手塚は溜息を吐きながら不二の背中に手を添えた。
大きな手で背中を何度か擦られて気分は変わらず悪かったものの、不安が徐々に解けていくかのような安心を不二は感じていた。
子供の頃熱を出した時、母がおでこに掌をあて「大丈夫よ。」と言った瞬間のような安堵の感覚。掌から母の優しさに包まれたあの気持ちが、今背中にあたる手塚の手から伝わってくる。
不二は少しずつ落ち着きを取り戻し、立ち上がろうとしたその時―――――
ふわり。
体が中に浮いた。
景色が縦から横へ、まるでベッドで寝転んで見ているような角度。
「不二を保健室へ連れて行く。練習を続けていろ。大石、後を頼む。」
手塚の声で我に変える。
「な・・に、これ・・・?」
不二は手塚の腕の中、お姫様抱っこをされていた。
「ちょっ・・手塚、下ろして・・」
「煩い、病人は黙って大人しくしていろ。」
「だって、はずか・・しい・・よ。」
「そういう状況じゃないだろう。いいからあまり喋るな。」
「自分で歩けるから!早く下ろせ・・・うっ。」
手塚の中でじたばた暴れ抵抗していた不二だが、やはり気持ちが悪い事に変わりはなく、上がってきた吐き気を抑えようと慌てて口を手で押さえた。
「このまま吐くのだけは勘弁してくれ。」
「だから・・・自分で歩くって・・言ってるのに。」
吐き気を堪えてまで尚、逆らう不二。
「お前も対外強情だな。」
「君にだけは言われたくないよ。せめてこの抱え方何とかできない?」
せめてお姫様抱っこだけでも何とかならないものかと言ってみたが、
「何ともできない。これが一番胃を圧迫せずに済む。」
手塚なりに不二を気遣っていたのだ。
それを読み取った不二は急に大人しくなって手塚に身体を預けた。
その広い胸に頭をそっと寄せると悔しいけれどとても落ち着く。先ほど感じた安堵感のように、このまま眠ってしまいそうにさえなる。
「ねぇ、いつから気付いてたの?」
「何をだ?」
「僕が体調悪いの分かってたんでしょ。」
「動きがいつもと違ったからな。それにあんな顔色してたらすぐ分かる。」
「誰も分からなかったよ。この暑さだもん、皆だってベストコンディションじゃない。・・・・・・・手塚は、・・」
何か言いかけたと思ったら、急に不二がしがみ付いてきた。
「おい、どうした?不二!!大丈夫か?」
不二の様子がおかしい。手塚を掴む手は僅かに震えている。
「だい・・じょ・・ぶ・・じゃないかも・・」
「ごめ・・。ちょっとだけ、下ろし・・て。」
はっはっと短い呼吸を繰り返しながらすぐ近くにあったトイレへ駆け込んだ。
便器に顔を埋めて体内から汚物を吐き出す。
よほど具合が悪かったのか、一度吐き出した後も次から次へ吐き気を催し、また繰り返す。
不二に付き添う手塚もどうして言いか分からず、ただ背中を擦ってやるしかできない。
「きた・・ないから・・。あっち行ってて。」
「そんな事気にしなくていい。さっき言ったのは冗談だ。」
「で・・も・・」
「こんなお前を放って行けるか。いいから全部吐き出してしまえ。」
苦しい・・
目の前がぐるぐる回る。
こんなのは初めてだ。僕はどうなるんだろう。
朦朧となる意識の中で感じた不安と恐怖。
無意識に手塚の腕を強く掴んでいた。
「た・・すけ・・て・・。て、づ・・・・か。」
―――――――――――――
不二は保健室で眠っていた。
ひやり・・
冷たい感触が額を包み込んだ。
「う・・ん・・?」
「不二、起きれるか?」
低音の優しげな響きに覚醒を促され、不二はぼんやりと視界に入る情景を認識しようとする。
白いコンクリートの天井と剥きだしの細長い蛍光灯が2本目に入り、周りはぐるりと生成りのカーテンで覆われていた。
「具合はどうだ。」
心配そうな声と共に覗き込んでくる顔。
「手塚・・。」
「眠れたようだな。顔色が少しよくなった。」
「あ、うん。大丈夫・・・みたい。」
「あら、気が付いたの。気分はどう?」
話し声に気付いた保健の先生がカーテンを開けベッドの縁までやってきた。
「もう大丈夫です。眩暈もないし吐き気もおさまりました。」
「そう。随分もどしたみたいだからね。かえってすっきりしたんでしょう。でも念のため病院へ行った方がいいわ。ご両親には一応連絡入れるけど、自分でも言えるわね。」
「はい、お世話をおかけしました。」
「あら、御礼なら彼に言いなさい。」
「手塚くんが駆け込んできたときは本当にびっくりしたわ。生徒会長のあんな血相を抱えたような顔、初めて見たもの。廊下を走る所もね。」
先生は手塚の方を見て笑いながら言った。
ばつの悪そうな顔をして視線を逸らす手塚。
「手塚が廊下を・・?」
「ええ、あなたが大変な事になってるって。私を引っ張って思いっきりよ。」
「申し訳ありません。あの時はつい・・・。」
「分かっているわ。友達の一大事だもの。いくらあなたでも落ち着いてられないわよね。でもやっぱりちょっと意外だったわ。」
気分がすっきりすると同時に、頭もすっきりする。そういえば、薄れゆく意識の中で手塚の声を聞いたような。
『不二!少しだけ待っていてくれ。すぐ戻るから!!いいな、すぐだから。』
それからの記憶はない。
きっと、先生を呼びに行ってくれたのだろう。
「君をここまで運んだ後、汚れたトイレの後始末も全て彼がやってくれたのよ。いい友達を持ったわね。」
「え?」
先生はぽんと不二の肩を叩き
「さてと、お家にはこれから連絡入れるからもう暫く待ってなさいね。」そう残して部屋を出た。
手塚は相変わらず顔を背けたまま。
「手塚・・僕・・」
どうしようもなかったとはいえ、手塚にあらゆる迷惑を掛けた事は否定できない。醜態を曝してしまった恥ずかしさと、申し訳なさですっかり落ち込んでしまった。
そんな不二を察して吐かれた台詞。
「気にしなくていい。お前は悪くない。」
ぶっきら棒に告げられた言葉の中には手塚の優しさと不二への思いやりが十二分に詰まっていた。
申し訳ない気持ちをどんな形で表しても手塚の手を煩わしてしまった事は変えようのない事実。それにもかかわらず気にするなといってくれた優しさ。それに答えるべき言葉は謝罪や後悔ではないような気がした。
「ありがとう。」
たった一言の短い音。
手塚の好意に甘える・・・というと少し語弊があるかもしれないが、彼の優しさに凭れようと思った。
「部活は?練習の邪魔しちゃったよね・・。」
「いや、俺もすぐに戻ったし、平常通りだ。心配要らない。ただ、お前の事は皆気にしていたが。帰り際も菊丸たちが様子を見に行くと喚いていたんだが、病状が悪化されても困るから無理矢理帰らした。後で連絡してやれ。」
「うん、そうするよ。君も、帰っていいよ。もう大丈夫だから。」
「いや、迎えが来るまでいる。」
学校からの知らせで姉の由美子が迎えに来ることになったが、手塚は最後まで不二に付き添っていた。
待ってる間続く会話。
許婚問題がきっかけになったものの、昨日から手塚という人が近くなった気がする。自分を曝け出してもいいようなそんな感覚に陥って、普段なら絶対口にしないような本音の部分が自然と口から零れた。
「本当はさ、今朝からなんとなく調子が悪かったんだけど英二も他の皆も気づかなかったし、部活もこのままいけると思ってたんだ。でも予想以上に暑くて。皆も必死だから自分だけサボるのは気が引けて・・。」
「それは違うだろう。」
「うん。そうだよね。」
「たかが部活といってもうちの練習は遊び半分じゃないからな。かなりきつかっただろう。」
「遊びじゃないぞってそういう意味だったんだ。適当にやってるように思われたんだって、むきになっちゃった。ホントは全部お見通しだったってことか。」
不二はふっと苦笑いを施して手塚をじっと見つめた。
少し見上げる視線が何か言いたげである。
「何だ?」
「うん。君ってやっぱりすごい部長だね。部員一人一人にまで細心の注意を払ってるんだなって。」
手塚も黙って不二を凝視した。
「そう言われると返答に困る。買い被りすぎだ。俺はそんなに立派じゃない。」
「本当だよ。現に誰も気付かなかった僕の様子を見抜いてたじゃない。」
「お前だからだ。」
「・・え?」
「お前をいつも見ていたから、普段と違うことも分かった。」
表情一つ変えず淡々と語る手塚。しかし良く考えると凄いことを言ってるわけで。
「・・・・・・・・あの・・さ?」
―――――――そんなに・・僕のこと・・好き?
ギリギリ聞こえる程度の小さな声が手塚の耳に届く。
「そう、言っただろう?」
「・・・・・・・・・・・・うん。」
優しく問い返された言葉に抗う気持ちはなく。
そのまま、黙って迎えが来るのを待った。
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