パタパタパタ・・・
部屋の奥からスリッパで廊下を弾く音が聞こえてきた。
だんだん大きくなって、ピタリと止まる。
「お帰りなさい」
嬉しそうな声でスリッパのその人は玄関を開けた。そこには微かに笑みを浮かべた手塚がいた。
ゲッ!?――― 何しに来やがった!!
「ただいま。」
ナヌ!?ただいまって台詞は家に住んでる者が外から帰ってきた時に使う言葉だろっ!!
「遅かったね。待ちくたびれちゃった。」
お、おい!!何、当然のように迎え入れてんだよ!
「すまない、少し寄り道をした。」
「寄り道?」
「これを買ってきた。」
これ・・・? おわっ!!
あ〜ら、不思議!いったい何処から飛び出したのか、マジシャンもびっくり!いきなりバラの花々が目の前にぱぁっと広がった。
「わぁ、きれい!!」
「思ったとおりだ。淡い桃色はお前にぴったりだ。」
ちょっと待て!!何で僕にピンクなんだ!?
・・ん?・・何?・・僕・・・?ぼくぅぅぅぅぅ〜〜〜〜?
「ありがとう」と満面の笑みでバラを受け取る女性・・・じゃない男性は他ならぬ不二だった。
IINAZUKE!7
ど、どうして僕が・・?それに一体ここは何処?
不二は周囲をキョロキョロ見渡すと、そこはいかにも新築という匂いが漂うマンションの一室。さっき自分らしき人物が出てきた廊下の奥の部屋はベージュと白を貴重としたダイニングキッチンになっていて、そのまた奥には、品の良いテーブルに座り心地が良さそうなソファが置かれ、壁には長薄型テレビが埋め込まれていた。あっさりとした調度品のわりには高級感が漂っている。天井まで届く大きな窓からは星を散りばめたばかりの美しい夜景が覗いていた。
なんだこの贅沢溢れるリビングは!?
「ご飯にする?それともお風呂?」
(何聞いてんだよ、僕!!)
まるで新妻のような自分の言葉に不二は驚愕!しかし手塚はごく当たり前に受け取って
「風呂に先に入る。その後ゆっくりお前と過ごしたいからな。」と優しい瞳を向ける。
ゆっくり何して過ごすんだよ〜〜〜!
思いばかりは冷や汗ものだが、不二の頬は既に手塚の指先を受け入れている。
頬に宛がった指は少しずつそのラインを辿り、下へ下へと降りていく。
え?ちょっと!!待て、早まるな。わっ、わ〜〜〜〜〜〜
ピピピピピ・・・・
突然何処からか電子音が響く。
「あ、お風呂が入ったみたいだよ?グッドタイミング!」
不二はくすりと笑って「あ・と・で」と手塚を促した。
「あ・と・で」という我が台詞は捨て置けないが、(しかも間の・は何だ?)とりあえずは、助かった〜〜〜。
不二は何とか自分が無事だったことに胸を撫で下ろす。
でも何でそんなに幸せそうに笑ってんだ???一体この僕は何者なんだ?
全く自分が理解不可能、思考と行動が支離滅裂な状態だ。
お風呂から上がった手塚に「どうぞ」と冷えたミネラルウォーターを差し出す。「うまい!」と美味しそうに喉をゴクゴクならす手塚。そんな光景は外で目にすることは滅多になく、彼が寛いでる証拠だと思うと、不二の顔も自然と綻ぶ。
「料理は得意じゃないけど、今日は頑張ったんだよ、ほら。」
この僕が料理だと?
一応見た目だけは立派なテーブルの上のご馳走に驚く不二を、更に谷底へ突き落とす出来事が・・・。
「美味そうだ。だが、あまり無理をするな。今は大事な時なのだから。」
大事な時・・?何がだろう。
「大丈夫。今日は調子良かったんだ。病気じゃないんだし、心配しないで。」
不二はにっこり微笑んで手塚を安心させようとしている。
僕、どっか悪いのかな?でも病気じゃないって・・。
うぅっっ・・・急に込み上げてきた吐き気に慌てて不二はシンクに顔を突っ込んだ。
「うっ・・うぅ〜〜おえぇっ・・」
手塚は心配気に背中を擦る。
不二は以前部活で気分が悪くなったことを思い出した。
あの時もこうやって彼の大きな手に安堵感を覚えた。自分はどうなってしまうんだろう・・・と思う不安の中、唯一の救いは手塚の手のひらから伝わるぬくもりだった。
そして今もまた・・・
ってだから僕は何で吐いてんだよっ!!
「大丈夫か?だから無理するなと言ってるんだ。」
「平気だよ、これくらい。二人の赤ちゃんがお腹にいるってことだもの。気持ち悪くても幸せ・・ぅっ・・」
そうか、赤ちゃんがお腹にいるのか・・そりゃー幸せ・・・
え?赤ちゃん?二人の?誰のお腹にいるって??
え?え?ぇぇぇぇぇえええええ〜〜〜〜〜〜?????
「そうだな。だがお前一人に辛い思いをさせて、俺は・・・」
手塚が言葉に詰まる。こんな辛そうな表情を見るのは初めてだ。僕を心配して・・?手塚―――
感動してる場合じゃなかった・・・。もといっ!なんで僕が・・・に・・にん・・にん・・・
これ程口に載せたくない単語があるとは・・・
待てよ、僕に・・その・・赤ちゃんがいるってことは、僕が下ってことなのか。でも、僕が妻だからそれでいいのか。違う!僕は男なんだ。男たる者、下なんて有り得ない。そんなこと一生の汚点だい、いや、そうじゃなくて、上とか下とかのプライドの問題でないんだ。そうだ、これは、僕がに、に、言いたくないけど妊娠してるってことは手塚とそうなるようなことをやったってことなんだ〜〜〜〜〜!!
脳内コンピューターは解析不能、破壊寸前、自動爆破装置警告ランプ発信中の大パニックを起こしていた。
僕達は男同士だよ、そうだ、そもそも結婚なんてできない、でもあれは、どう見ても仲むつまじき新婚カップル、おいおい出来ちゃった婚とか言わないでくれよ〜、これ以上僕を人間から追放しないでくれ。
でもなんで妊娠なんて?僕は男だよ。いくらそういうことがあって、僕が女の子役をやったからといって男には違いないんだから。そうだ!僕は男なんだ。僕は男、男、おとこ・・おと・・お
「男の子?俺は出来れば女の子がいいな。お前に良く似た女の子が欲しい。」
手塚は不二のお腹に顔を寄せて愛おしそうに頬をすりすり、まさにその顔はすでに父親のもの。
「手塚・・」
不二の胸中は如何ほど複雑なことか。
今、何の天変地異が起こったのかと言うほど、驚愕反応を起こしているにも関わらず、自分も愛しいのだ。
お腹の中にいる我が子(?)が・・。そしてその子に語りかけんばかりの表情を向ける手塚が・・・。
何だろう、この気持ちは。
元気ならばどっちだっていいよ。でも出来れば僕は君に似た男の子が・・・。
わぁぁぁぁ〜〜〜〜!何てこと思ってしまうんだ!
だけど、でも、されど、しかし、なんでこんなに幸せなんだろう。
「もうすぐだな。もうすぐ会える。」
「やだな、手塚。気が早いよ。まだもう少し・・もう・・えぇ?」
一体いつの間に!
不二のお腹は臨月にも入ろうかというほど膨らんでいた。もういつ生まれてもおかしくない。
今ほんのさっきまで悪阻で苦しんでたんじゃなかったのか?
「お、おっ、おぉ〜〜!」
思考回路完全シャットダウン。話す言葉も失ってしまった。
「おい、不二どうした?大丈夫か?不二!不二っ!!」
「僕・・何だか、意識が・・途切れ・・そう・・だ・・」
と思った瞬間、意識がはっきりした。目に映っているのは見覚えのある白い天井。
僕の部屋だ―――
慌ててお腹に手を当ててみる。何にもない、ぺったんこだった。
「あは、あは、あははは・・・・」と笑ってみるが笑えない。
なんちゅう夢を見るんだ、僕は!!
ショックだ、そんな願望があるってことなのか!?
いや、そんなことはない、絶対無い!!
だけど―――手塚との関係を意識していなければ、こんな夢をみるはずはない。
いきなり言い渡された理不尽な許婚話。しかもまだ結婚など考えるような年齢ではない。だが不二はここ3日ほどの出来事で手塚を見る目が明らかに変わっていった。自分には全くもって相手にできない話だったが、手塚にとっては真剣だと言うことが分かってしまった。事のほか手塚は自分を大切に思ってくれていた・・そしてそんな手塚の気持ちが嫌ではない・・と思い始めている自分がいる。
だ、だからと言って!
「手塚とどうこうなろうなんて思ってないよ!」
ぜーぜーはーはー、誰もいない部屋で一人叫んで否定する。それは手塚をというよりも自分の気持ちをだ。
昨日、部活で倒れた不二は、大事をとって今日学校を休んでいた。
昨日から手塚のことを考えると、なんだかどきどきしてたまらなくなる。これまでのふざけているのかと思える態度もすべて自分への一途な気持ちゆえ?と思ったら、また心臓が跳ね上がる。そして頭をふるふる振ってそれまた否定する。ずっとずっとその繰り返しだ。体調はもう殆ど良くなっていたため退屈で、そんなことばかり考えているうちに眠ってしまってあの夢だ。
あーっ、もう!!
「僕は男なんだ。恋愛はいつか素敵な女の子とするんだ。手塚だって、そのほうがいいに・・・。」
僕はこうありたい!と声にだして言い切ってみる。だけど続く言葉を途中で飲み込んでしまった。
手塚だって、そのほうがいいに決まってる。彼ならいくらでも素敵な女の子を見つけられるはず・・。
頭の中では決まっていた台詞だ。それなのに不二は言葉にすることができなかった。
手塚と女の子、少し想像しがたいが、別に不思議な光景ではない。だが手塚は不二を好きだと言った。しかも結婚が前提だ。嘘をつくような奴ではないと信じている。それなら彼女なんて想定する必要はないのだ。
そしてその事実に何故か安心している自分がいることを不二は感じ取っていた。
「あ〜、こんなことなら学校行けばよかった。」
今日休んだのは学校で手塚にどんな顔をすればいいのか分からなかったからでもある。
昨日はお世話になりました。でいいことなのに、不二は変に意識している自分の姿を見られるのが凄く嫌だったのだ。
家でこんなに手塚のことばかり考えてるくらいなら、いっそ学校に行って会ってしまったほうがすっきりしたかもしれない。案外自然に振舞えるものだ。
「だって友達なんだから!そう僕達はとっても仲のいい友達だあぁ。」
と、「とっても仲のいい」を付けてる時点でやっぱり手塚を意識している自分にまたショックを受ける。
はぁ〜〜〜っと深くて長い溜息を吐いて不二はすっかり自己嫌悪に陥ってしまった。
シャラララ〜♪
お気に入りのジャズのフレーズが一瞬流れる。
誰かからメールが来た合図。
脇に置いてあった携帯を手にとりメールのボタンを押す。
「英二だ。」
『不二ー、具合はどう?早く元気になるにゃ。』と話し言葉さながらの文字が並んでいた。
くすっ、英二らしいや。
よく見ると菊丸だけでなく、乾や河村、大石からもメールが入っている。
ちょっぴり生意気ルーキーくんや海堂も桃城が代表して連名でお見舞いの言葉をくれていた。
「みんな・・。」
不二は改めて青学の仲間達の心根を感じ取る。
温かい気持ちの中、一人だけ名前がない奴が気にかかった。
何だ、冷たいじゃん・・・。
何かを期待などしてはいなかった。手塚は普段からメール等小まめにする様なタイプではない。それは十分に分かっていたけれど、皆が揃いも揃って言葉をくれたりすると、放って置かれてるような気になってくるから不思議なものだ。
僕のこと心配じゃないのかな・・。
不二は何故か急に面白くなくなってきた。
昨日はあれだけ傍にいてくれたのに。僕をいつも見てるって言ったのに。
好きって言ったのに―――
不二は携帯の蓋をパタンと閉じた。
「ふんっ!許婚ったって所詮こんなもんだよ!あー清清した。」
今まで悩んでいたことが急に馬鹿らしくなる。結局手塚の自分への想いなどその程度のものだ。だって初めから成り立つような関係ではないのだから。真面目に考えることがばかばかしいと自分が言ってたことだ。やはり適当に受け流しておけばいいんだと不二は無理やり心の引っかかりを理論付けてすっきりしようとした。
「あー、何だか急にお腹がすいてきた。そう言えば、何にも食べてなかったっけ。」
手塚から思考を他に移すと思わず空腹の自分に気付く。不二は食欲が今ひとつ戻らず昨日から殆ど何も口にしていなかったのだ。
「あの仏頂面のことばかり考えてたら食欲もでないはずだ。いっつもこーんなに皺寄せてさっ。」
自分の眉間に指を当てて仏頂面を作りながら言う。そして聊か乱暴な手つきで自室のドアを開けた。
「そうそう!この顔だ。この顔のせいで・・せいで・・せい?・・何でここにいるんだよっ!!」
本物の仏頂面が開いたドアの前にいた。
「休みというんで心配だったんだが・・・元気そうだな。」
「嘘だよっ!メール一つくれな・・」
「メール?」
「あ・・・いや・・・その・・なんでもない。あはは。」
メール一つくれないけど、家まで来てくれた。直接僕の様子を見に来てくれたんだ。ぜんぜん方向違うのに、わざわざ・・・。
「わざわざ来てくれたの?」
「当然だ。」
「当然なの?」
「当然・・・だろう。」
小首を傾げて可愛く問う不二に手塚の胸は跳ね上がり、さっと視線を逸らしてしまう。
手塚のそんな仕草を間近で冷静に見てるのは不二。確かに家まで来てくれたことにはちょっと感動した。しかし!
やめてくれよ、その反応・・・。
照れる手塚に慣れない不二はどうしても顔が引きつりそうになる。しかも奴は自分に照れてるのだ。
わーん、どうしよう。手塚の気持ちは嫌ではない。嫌ではないけど、けど、けど・・・こんな手塚はやっぱりちょっと気味悪い。
手塚にはいつだって堂々としていて欲しい。凛として揺るがない眼差しで前に突き進む、そんな手塚であって欲しいんだ。それが僕達皆の憧れの君だ。
手塚の構図を崩してるのが僕ならばやっぱり友達でいい。友達で!!
「ありがとう、いい友達を持って僕は嬉しいよ。」
「そうか。」
「うん。君がこんなに友達思いだったなんて。正直感動した。」
「そう・・か。」
「そうだよ。友達って本当に素敵だなー。」
「そ・・う・か・・。」
「だからっ!友達って言ってんだから照れないでよっ!!」
こうして手塚のおかげですっかり元気になった不二は、自分が見ていた夢のことなどさっさと棚に上げて、この男をどう料理してくれよう・・じゃなかったどう抑止しようかと一心に気力を統一させる。
しかし、相手はなかなか手強そうだ。何だかんだとずるずるここまで引きずり込まれてしまった。
だが怯むわけにはいくまい。精神一到何事か成らざらん!!
一体何の気合やらよく分からないが、とにかく不二はこれ以上心の隙に手塚に踏み込まれてなるものか!自分を守るのは自分しかいない!と硬く強く自分自身に言い聞かせるのであった。
次の日―――
菊丸が満面の笑みで駆け寄ってくる。
「おっはよー、不二ぃ!!元気になったのかー?」
「うん、すっかり。心配かけてごめん。」
「ホントにさー、不二が倒れた時は、生きた心地しなかったんだぜー。」
と不二の腕に絡みついてくる菊丸。
まさか、この手に他意はないだろうな?とほんの少し頭を掠ったが、菊丸のこの行動今に始まったことではない。
おのれー、手塚のせいで親友のことまで疑ってしまった。だいたいだなあ、男が男に恋するなんて考えること事態不毛だ!
そうだ恋ならやっぱり女の子に限る!女の子だ!と好きな子もいないくせに不二はひとり達観する。
「どったの?意気込んじゃって。」
「素敵な女の子と恋でもしたいなあってちょっと思ったんだ。」
「へぇ〜、不二でもそんなこと思うわけ?」
「何だよそれ?僕のモラルを疑う気?」
「いやぁ、そういうわけじゃないけどさ、意外なご意見だと思って。だってー女の子なんかに興味なさそうじゃん。」
何だと?まさか男に興味があると思われてんじゃないだろうな。ここは一発はっきり言っておかねば!
「僕は男だっ!興味ありありありまくりだ!」
「不二ぃ、なんかキャラ違って怖いんだけど・・。」
菊丸は怯える目つきで不二を見ながら、それでも一応不二の気持ちは受け止める。
「ま、まあな。男なら当然だよな。何しろあの手塚でも彼女いんだもんな。」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・え?」
「・・・・今何て?」
「だからー、手塚に彼女・・・あ、そっか、不二は休んでたから知らないんだ。昨日学校中大騒ぎだったんだぜ。あの手塚に彼女が出来たって。びっくりだよなーまさか手塚に彼女だなんて。しかもめっちゃくちゃ綺麗な子でさぁ、やっぱり手塚の彼女ってだけある・・・・」
「・・・・・・・・」
嬉しそうに話す菊丸の顔は既に見えてはいなかった。長々しゃべり続ける話も途中から何も聞こえてはいない。
今、不二の脳裏を支配してるのはただ一つ――――
手塚に・・・彼女・・?
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