IINAZUKE!8


『手塚に彼女が出来たって―――』

初めのその言葉によって不二の頭の中はすべて白く塗りつぶされてしまった。
真っ白け。とはまさにこの事。
自分達が許婚同士だったとか。好きだと告られたとか。キスまでしちゃったとか。倒れて介抱されたとか。お見舞いに来てくれたとか。それが不覚にも嬉しかったとか。
ずっとぐるぐる脳裏を走り廻っていた事が今は全く何もかも考えられなかった。
自分は男で、やっぱり手塚とは友達でいたくて、なんとかこの騒ぎを治めたくて、必死に息巻いていた・・・。
そんな感情すら吹き飛んだ。

彼女、彼女、手塚に彼女、彼女ができた・・・。

僕の中はただひたすら手塚に彼女ができた・・・だった。



菊丸が事の成り行きを事細かに説明してくれていたが、その殆どがたった一つの思考「手塚の彼女」によって遮断され、全く聞いてないも同じだったが、菊丸網経由でなくとも一連の情報は必然的に不二に流れてくる。
彼女は青学に先日転校してきたばかりの2年生。清楚溢れる純和風美人で、流れるような黒髪がとても印象的・・・だそうだ。
編入試験の成績は上々で、以前は超名門お嬢様学校に通い、何でも父上は大富豪だとかいう今ひとつ信憑性に欠けるレアな情報まで入ってくる始末。
つまり手塚の彼女というだけでそれだけ注目されるべき存在ということだ。それはひとえに手塚の存在の大きさを物語っているわけで。
生徒会長を務め、テニス部で部長、そのテニスでは全国レベル。学園内で彼を知らない者などいようものか。しかも成績優秀、スポーツ万能その上、容姿まで端麗とくれば女子の間では不屈の人気を誇る。その割りに堅い性格故か、今まで浮いた話の一つもなく、またそれが反って独占欲と競争心を煽るようだ。女子どもは皆こぞって手塚にアプローチをかけてきた。そしてとうとうその手塚のハートを射止めたのが噂の彼女というわけだ。これが話題にならないというほうがおかしい。


「ねぇ、ねぇ見に行かない不二ぃ〜。」

菊丸が大きなネコ型のつり目を三日月に変形させながら擦り寄ってきた。

「何を?」

何をなんて愚問も甚だしい。
そんなもの「手塚の彼女」に決まっている。


「手塚の彼女に決まってんじゃん。」

やっぱり――――

「英二は昨日見たんでしょ?」
「そうだけど、不二にも見せたいじゃん。」
「僕は手塚の相手なんて興味ないよ。」

そう、不二は手塚の相手なんて然して興味はなかった。
問題はその彼女本人ではなく、手塚に彼女ができたという事実の方だ。
思えば、それは不思議なことでもなんでもない。あれだけもてるのに関わらず今まで女の「お」の字も興味を示さなかった堅物が・・ということで皆、騒ぎ立ててはいるが、年頃の男女が付き合うなんて極普通の出来事だ。不二だって、素敵な彼女を作りたいとさっきまで息巻いてたぐらいだ。手塚に彼女が出来ようと、共に喜びこそすれ、不満に思う謂れはない。

ただ――――
一体この数日間は何だったんだ。

落ち着いて考えると、不二は腹が立って仕様がない。
許婚だのなんだの言われ、どさくさにまぎれて告白までされた。
開いた口が塞がらないほど呆れたが、思いのほか真剣な手塚が気になって、自分に対する思いやりのある行動に徐々に惹かれていったのは事実。

そりゃ否定はしたけど、僕だって真剣に考えたんだ。

「馬鹿にして・・。」

ポロリと漏れた不二の言葉。
自分は彼に馬鹿にされていたんだ。手塚家と不二家の古い縁を餌にして、翻弄される自分を内心で面白おかしく笑っていたに違いない。そんなことする奴だとは思いもしなかったが、2年や3年後ならともかく片手で数えるほどの日数で、気持ちが変わりましたなんて有り得るはずがない。初めから全て手塚の茶番劇だったのだ。

「ば、馬鹿になんてしてないよ〜。」
両手を胸の前でひらひら振りながら否定する菊丸の姿に我に返った。

「英二のことじゃないよ。とにかく僕は行かないから。」

震える拳を笑顔に変えたその表情に、菊丸は「そうだね。」とあっさり引き下がる。
さすが長い付き合いのことはある。不二が超がつくほど不機嫌なことはすかさず察知。その引き際は心得ていた。


昼休み―――

いつものように菊丸と一つの机を挟んで弁当を広げる。
朝からのムカつきもあって、不二は今ひとつ「皆で楽しくお弁当」の気分ではなかったが、あの野郎のために食欲不振に陥ることすら腹立たしいわけで。
悩んで痩せたなんて思われたらもっての他!
かと言ってストレス食いは先日の二の舞だ。

健康的に過ごしてみせる。
いつ見てもぴちぴちつやつや、健やかで清清しい毎日を送っていると思わせてやる!

殆ど何の意味のないようなこの決意表明も、不二にとっては手塚への復讐。

君はまんまと騙したつもりだろうけど、僕は初めから本気になんてしてなかったんだ。いや、寧ろ清々するよ。彼女にお礼が言いたいくらいだ。

余裕の笑みで手塚に投げつける台詞も用意万端。
そのために決してやつれてはいけない。考えすぎて目の下にくまなんて作ろうものならあいつの思う壺だ。

負けるもんか。最後に見下ろして高笑いするのは僕のほうだ!

「不二ぃ〜、箸が折れちゃうよー。」

いつの間にか感情が力に変わる。
不二が握り締めた箸は微妙に撓んでいた。

ふと何かに気付いた菊丸の視線が横へずれる。それを追って自然と不二も目をやった。

「あ・・・。」

今最も青学で注目を浴びている男が弁当を持ってそこにいる。
今朝から(昨日かららしいが)クラスの話題の大半は目の前にいるこの男とその彼女のことで持ち切りだ。しかし手塚が纏う確固たるオーラのせいか、好奇な眼差しを寄せてはいるものの本人を目の前にして誰ひとりとして切り出す奴はいない。

「どったの手塚、なんか用?」
菊丸が目を丸くして聞く。手塚が自分のクラスでもない教室に弁当包みをひょいと下げてやってくるなんて彼という人間像からは凡そ想像しがたいことだ。

まさかと思うが、一緒に弁当を食べようなんて可愛いこといいに来たんじゃないだろーなっ!!

菊丸に指摘されて一旦箸を持つ手を緩めたが、再びきしきしと音を立てだした。

「いや、不二と昼飯を食おうと思っただけだ。」


バキッ―――

極上の笑みが不二の表に浮かび上がる。大輪の花も見劣りするばかりのその美しさに菊丸は次に繋げる言葉を飲み込んだ。

「ふっ、ふっ、ふふっ、僕と昼飯だぁ?」

笑いながら無残にも二つに折れた箸を握り締めたまま、不二は手塚の真正面に立ちはだかった。

この期に及んで上等じゃねぇか、手塚よ。

ライバル校にこんなキャラいたよなってことは突っ込んでくださいますな。これは正真正銘不二の心の声である。
笑顔を崩さぬまま、まっすぐ怯むことなく手塚の目を見つめ更に微笑む。そして不二は静かに言った。

「いいよ。この際だから屋上行こうか、二人っっっきりで!!」
「ここでも構わないんだが。せっかく菊丸と―――」

今まで一緒にいた菊丸を気遣ってか、手塚がそう返した瞬間、

「お、俺のことは気にしないでいいから。どうぞ二人でごゆっくりお過ごしください。」

先ほどからの不二の様子にすっかり怯えていた菊丸。手塚は気付いてないようだが、不二は怒っている。しかもそんじょそこらの怒りではない。何故だか理由までは分からないが、触らぬ不二にたたりなし。不二があの美麗なまでの完璧な笑顔を見せる時、近寄らぬが吉なのだ。本能でそれを知ってる菊丸は、ここぞとばかりさっさと二人を送りだそうとする。

「俺はあっちに混ぜてもらうからさ!早くいかないと昼休み終わっちゃうぜー。ははっ。」
「悪いな。」
「いいから、いいからっ!!」

頼むから早く行ってくれ。と言わんばかりに不二の広げていた弁当を包みなおし持たせてやる。

「ありがと、英二。行ってくる。」

不二は最後に一言残して、手塚と並んで教室を出た。

「何なんだ?あの迫力は・・。でもとりあえず・・・助かった。はぁ〜〜」

二人の背中を見送った菊丸は一気に緊迫感から解放される。後は手塚の無事を祈るだけであった。



屋上―――に来たはいいが、

「なんなの、この暑さ!」

ついこの間まで肌寒かったというのに、先日からずっと夏日が続いている。
照りつける太陽、ギラギラした日差しの下、殆ど影のない屋上でお昼を過ごそうなんて物好きは自分達くらいだ。

「ったく!日本は最近異常気象なんだよ。」

適温以外はあまり受け入れたくない不二にとって、この暑さは苛々に更に輪を掛ける。
ぶつぶつ文句を言い放つ不二に

「機嫌悪そうだな。」という声が届いた。

しまった。
こんな態度をとっていては、手塚の餌食になるだけだ。
平常心、平常心。
初めっから許婚話なんてまともに考えちゃいなかった。父が勝手に騒いでいただけのこと。
手塚は自分をからかってたつもりかもしれないが、そんな気更々なかったんだから、冗談だって分かって心の底からすっきりしている。
けれどこのまま放置するではプライドが許さない。
お陰で大切なファーストキスまで奪われたんだ。手の込んだことしやがって。
ここまでしてくれた礼はきっちり返す。

だが、ちょっと待て。
「君のことなんて初めから何とも思ってないよ、ふん!」だけで済ましていいものか。

復讐―――言葉は悪いが手塚がぎゃふんと言わなければこの気持ちほんとの意味ではすっきりしない。
なら、どうする?

今、不二の頭にある作戦が浮かび上がってきた。

にやり―――
口角が僅かに釣りあがる。

ここまできたら騙された振りをし続けてやる。
それで手塚を本気にさせてやるんだ!その気にさせてそのまま谷へ突き落とす。

『君なんかマジで相手してたと思ってたの?』

最後の台詞も用意された。
僕の目の前で跪く手塚にその言葉を投げつけてやる。

シナリオは出来上がった。
ここからは手塚の舞台ではない。主役は不二周助だ。


不二はさっと下を向いた。
さあ、幕開けだ。



「どうかしたのか?」
「・・・・ごめん。ちょっと朝から嫌なこと聞いちゃってさ。苛々してたんだ。」

俯けた顔を少しだけ上に向け、目線を泳がせる。

「嫌なこと?」
「う・・ん。大した事じゃないんだ。何かの間違いだって信じてるし・・・。」

そして手塚の目の位置に向けてピタリと視線を止めた。

「なら、いいが。」

(お、おい、それで纏めんなよ。聞くだろ普通!!)

「で、でもね、やっぱりその・・気になるかな。授業にも支障が出ないとも限らないし、だから、言ってもいい・・かな?」
「ああ、何でも言ってくれ。」

何とか切り出せそうでホッとする。ここで終わったら作戦もへったくれもあったもんじゃないからな。

「・・・・怒らないでね。」

不二は出来るだけ健気を装うと、謙虚そうに今朝からの話題の彼女に触れていった。

「僕が休んでる間にさ、君に彼女ができたって、皆が噂して・・・。」
「彼女・・?」
「なんだかんだ言ったけどさ・・やっぱり君の事好きだって・・思い始めたとこだったから・・ショックで・・。」

わざと言葉を知りきれトンボに切って、また下を向く。

「不二、それは一体誰が言ってたんだ?」

手塚が不二の肩に手を置いて顔を覗き込もうとする。不二はそれを避けるように俯いたまま横を向く。
我ながら、ベリーナイスな演技力。
信じてると言いながら心のどこかで引っかかる様子を見事なまでに表現してるではないか。

「みん・な・・皆、言ってるよ。あんなに噂されてるのに手塚は知らないの?」

ここで初めて顔を上げる。上目遣いに見つめる瞳は微かに潤んでいて。
そこいらの女子なんて比べ物にならないくらい可愛くて、手塚の胸はどくどく音を立てる。

見惚れてる、今、確実に手塚は僕の可愛さに惚れ惚れしているようだ。
そう確信した不二は更に追い討ちを掛けるように首を斜め30度傾げてみせた。
そして一言、「ねぇ。」どうなの?と目線を絡ませやる。

「不二、すまない。余計なことを考えさせてしまったな。だが心配するな。何故そんな噂になってるのか知らないが、事実ではない。」
「だって・・・。」
「本当だ、俺にはお前だけだ。」

(改めて聞くとめっちゃ寒いんだけど・・。)

思わずぶるっと震えてしまった不二を手塚がぎゅっと抱き寄せた。

「ちょっ、ちょっと何す・・・」
押し返そうとした両手を慌てて組んで耐えた。
そう、ここで下手な行動を起こすわけには行かない。まだまだこれからだ。

「こんなに震えて、大丈夫だ不二。俺を信じろ。」

(いや、貴様がキモいんだって・・。)と思った言葉は口には乗せず、

「うん。僕、信じてるから。」と負けじと自らキモさに磨きをかけた。

離れるタイミングを失ってしまった不二は暫く手塚の腕の中にいる羽目になる。
どうしよう・・。いつまでこんなことしてなきゃならないのかな。
本気にさせると言ったものの、不二は恋愛経験など全くないといってもいい。
あり難いことに恵まれた容姿のお蔭で手塚に引けをとらないくらい女の子には人気があったが、自分から興味を持つ前に向こうから黄色い声をだしてやってきてくれるため、恋愛に発展することはなく。
だから、恋人と抱擁した際、どうすればいいのかも分からない。
突き飛ばすことは簡単だ。だけど今手塚には好意的に受け入れてると思わせなければならない。
離れることもできなくて、かと言っていつまでもこのままいるのは背筋が凍る。

ちょっと動いてみようかな。

不二はゆっくり顔を上げてみた。

硬直――
自分を抱きしめる手塚の目とばっちりあって再び動くことが出来なくなる。
気付けば大きな手のひらが不二の右頬をすっぽり包んでいた。

「て・・づか・・?」


あったかい・・。
優しい温もり――こんなの、こんなの反則だ。


トクン、トクンと心音の響きが煩いくらいに耳に届く。


どうしよう、動けない。
どうしよう、けちょんけちょんにしてやろうと思ってるのに。
どうしよう、目を閉じたくなってきた。
どうしよう、このまま何もかも委ねたくなる――


どうしよう・・・。



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