IINAZUKE!10



「不二・・。」

手塚はほんの少し眼を見開いて驚いた様子で不二を見つめる。
同じような顔で視線を送ってくる彼女は、白いレースのブラジャーに短いスカートという姿で手塚の前にいるわけだ。
いかにも今脱いだとばかりの衣服が手塚の足元に纏わり付いている。
それが何を意味してるのか、恋愛経験のない不二でも想像が付く。
そしてその二人の姿に出す声がなかった。

手塚が慌てて彼女を自分の後ろに回し不二の視界から隠す。
手塚のその行動に、不二は自分は見てはいけないものを見たのだと自覚した。
つまり手塚にとって見られてはいけない場面だったのだ。

その瞬間、不二は走り出していた。
急いで階段を駆け下りる。玄関で靴を履こうとするが上手く履けない。

「不二っ!」

手塚の声が追ってくる。その声に靴も履きかけのまま玄関を飛び出した。
中途半端に履いていたせいでバランスを失って倒れそうになった時、腕をがしっと掴まれて危機一髪体制を取り戻した。
だが―――

「不二っ、待ってくれ。」

不二を掴んだのは他でもない手塚。

お楽しみのところ邪魔して悪かったよ!
僕は消えるからさっさと彼女のとこへ戻ったら!
僕で遊ぶのはもうやめてくれ。初めから君のことなんてなんとも思ってないんだ。
騙してるつもりかもしれないけど、こっちはその気がないんだからこんなゲーム成立しないんだ。

言いたい事は山ほどあるのに、言葉が何一つでてこない。
出てこないのには理由があった。

「不二、・・お前・・。」

不二の目から大粒の涙がぽたりぽたりと零れ落ち、声を出したくても込みあがってくる感情に咽びそうになって音にならない。

なんで?なんで涙なんか!
あんなのどうってことない。手塚のことなんて初めから相手になんてしてないんだから。
だって僕達は男同士。許婚なんて冗談だってこと考えれば誰だって分かる。
本気にしろって方が無理なんだ。
それが分かってて、僕がここに来たのは手塚をどこかで信じてたから・・。
だけど・・・手塚は僕を騙したんだ。
これ以上、話をする必要などない。
もうどうでもいい。笑いたきゃ笑えばいい。
あんな話本気にしてたのか?ばかじゃないのか!って罵ればいい。

「は・・なせっ!」

やっとのことで絞り出した声、手塚をキッと睨み付ける。
涙に濡れた顔を拭いもせず、その目に宿るのは手塚への憎悪。

「不二っ、違うんだ!」
「違うって何が?あんなとこ見せといて今更何を言い訳しようっての?」
「言い訳もなにも、あれは・・」
「もういいっ!別に何とも思っちゃいないから。そう、許婚なんて僕にとっては迷惑以外の何物でもなかったんだ。」
「迷惑・・?」

不二の腕を掴んでいた力がすっと緩んだ。
手塚の表情に一瞬翳りが見えた気がしたが、今の不二にそんなことに構ってる余裕などなく。

「そうだよ。どこの誰が同姓の許婚なんて喜ぶと思ってんの?今日はもう終わりにしてくれって言いに来たんだ。君に話しても埒が明かないからご家族に聞いてもらおうと思って。でもその必要はなかったみたいだね。初めから全部嘘だったんだ。喜びなよ。僕はまんまと君に乗せられてたよ。でも心まで奪ったと思うな。君の事なんて何とも思っちゃいなかった!」

一旦出た言葉、今度は止めようがなく。かなりの暴言を吐いてる自覚はあったが、それよりも悔しさのほうが強かった。
いや、悔しいと言うより不二は悲しかったのだ。

「本気で言ってるのか。」
「当たり前だろっ!もう僕に構ってくれるな。手塚なんて大っ嫌いだ!!」

大声で叫んだ後、音のない世界が広がった。
シーンと静まり返り、手塚も何も言わない。ただその表情は限りなく淋しそうで、手塚のこんな顔を見たのは初めてだった。

なんでそんな顔するんだよ。
それじゃまるで僕が悪いみたいじゃないか!

「と、とにかく僕はっ―――」
「ちょっとー、いい加減うるさいで!喧嘩するんやったら中でやり。近所迷惑や。」

不二の言葉を遮るように耳に届いた声。


その声の主をマジマジと見てしまう。
凡そその容姿から想像がつかないべたべたの関西弁。いや、関西弁がどうこうではなく、その態度というか物言いというか品の欠片も感じられない。
それは紛れもなく、手塚の恋人と称されたあの美しい彼女だった。

「何があったか知らんけど、落ち着きや。男が二人うだうだ言うとったら鬱陶しいで。」
「お前が原因だろう?」

説教をたれる彼女に向けて手塚は思いっきり眉間の皺を濃くしている。
一体このふたりは何なんだ?
不二は涙を溜めたまま目をぱちくりする。

「はぁ?なんで私が原因なん?」
「お前が俺の部屋で服なんか脱ぐからだ。」
「そっちが脱げって言うてんやん!」

その言葉に不二はぴくりと反応し再び手塚を睨む。

「だから誤解されるようなこと言うな!」
「誤解って何が・・・・ああっ!もしかしてあんたがフィアンセ?」
「え?あの・・その・・まぁ。」

ころころ展開する話に不二は少々付いていけない。

「嘘ー、自分女の子やったん?めっちゃ好みやと思ったのにー。」

何を言ってるのかこの女。
ぎりぎりまで近づいてマジマジと見つめてくる彼女に不二は両手を差し出して背中を逸らす。

「いや、あの・・僕は男・・。」
「え〜〜〜?だってフィアンセや言うたやん。」

彼女が驚くのも至極当然。男のフィアンセが男なんて普通有り得ない。

「何か文句あるか。俺は不二を愛している。」

今度はお前か!
不二の心臓は何度も止まりそうになる。

「て、手塚っ!何を言って・・・。」
「本当のことだ。」
「よっ!!国ちゃん。カッコいいやん。ちょっと見直したわ。」
「今頃分かったか?だが、ちょっととは聞き捨てならんな。いっぱいカッコいいに訂正しろ。」
「がく〜〜っ!」

国ちゃん?なんやねんそれ。
っていうかこいつら、何夫婦漫才やっとんねん。しかも全然面白くない。

「あのーこちらの方は一体手塚の何?」
「おもちゃ!」

不二の質問に間髪おかず嬉しそうに彼女が答える。同時に手塚に頭を殴られたようだ。

「いっったいなあ。何すんねん!」
「誤解を招くようなことを言うなと言ってるだろう?」
「ああ、そやな。おもちゃは私やなくて国ちゃんのほうや。」

不二はさっきとは違う意味で言葉が出ない。
どこの誰が清楚な和風美人だと?
成績優秀でスポーツ万能で青学の生徒会長でテニス部の部長で、そのテニスでは名前は知らないものがいないほど有名で、誰しもが一目置いているとい言ってもいい手塚国光の頭を、笑い飛ばしながらさっきからぺちぺち殴ってる。しかも「おもちゃ」とな。
そのぞんざいな態度に手塚は眉間の皺は深く深くと彫られていくが、彼女を見る眼差しは結構優しげだったりもする。
まるで自分が弟の裕太を見るような・・・。

―――つまり、そういうことだったのか。

「ああ、こいつは母方の従妹なんだ。」

何ともあっけない結論に僕は強張っていた全身の力が抜けて、へなへなとその場に座り込んだ。

関西の超が付くお嬢様学校に入学した彼女は、何とか1年通ったもののそのお上品な環境に全く適さず、敢え無く転校することになった。しかし地元の違う学校へ移るとなれば、何かと噂の的になる。新しい学校で根も葉もない事が広がって虐められでもしたら・・・と不安になった両親が、遠く離れた関東の学校への編入を勧めたそうだ。仕事の関係で父親は一緒に来ることができない。母娘二人、女だけの暮らしは心もとないという事で、母の姉、つまり彩菜の住むこの街に移ってきたそうだ。ついでに兄のように慕っていた(by 手塚談)手塚と同じ学校に入ることになったらしい。
転校初日、不二が学校を休んだあの日、手塚は保護者代わりに彼女を連れて学校へやってきた。

それを皆に目撃されてあの騒動となったわけか・・・。

この女が虐められるような玉か?

上手すぎるようなこの話、しかし目の前のふたりは凡そ恋人同志の風情には程遠く。
それに何処となく、彼女は手塚の面影がある。
切れ長の眼元、すっと通った鼻筋、にっこりと上がった両端の口角は違うが彩菜を思えば納得できる。

つまり手塚にとって彼女は妹のように可愛いのだ。
恋人に間違えられても仕方がないわけだ・・・。

しかし、本題はまだ終わっていない。
さっきのあのシチュエーション。

いくら従妹といったって、年頃の女の子が密室で男と二人っきりであの姿は捨て置けない。

まさか!親しい立場を利用して女の子のあれこれを調べようとしていたのでは!?
いや、分からないぞ。澄ました顔して、さっさとキスなんか出来ちゃう男だ。
世の中には全く同じ血の通った姉妹に手を出す奴もいるらしいからな。

不二の顔から血の気が引いていく。
もし、自分の想像がどんぴしゃだったら、恋人よりもずっと性質が悪いではないか。

不二は彼女に勇気を振り絞って聞いてみた。

「ねぇ、さっき確か手塚に服を脱げって言われたって言ったよね?」
「うん。国ちゃんが脱げって言うてん!」

その一言に、不二は怒髪天!

「やっぱりぴったしカンカンじゃないか!手塚っ、君って奴は!!」
「不二・・・、それはちょっと古すぎないか?」
「うるさいっ!通じてんだからそんなつっこみはいらん。」
「イメージというのは大事だぞ?」
「やっぱりどんじゃらじゃないか!!これならいいかっ!!」
「どちらもあまり変わらんが・・。」

話の核心が大きくずれて(いや別の意味でものすごく核心を突いているのだが)不二の怒りは頂点に達すると、とうとう爆発し思いっきり叫び声を上げた。

「この、人非人!!人でなし!悪魔!鬼!変態〜!!」

だがその言葉に反応したのは彼女の方で。

「ほらみぃ。誰が見てもあれは鬼や。このくそ暑いのにクーラー一つ入れてくれへんなんか、鬼以外の何もんでもないわ!」
「そうだよ!クーラーくらい・・・クーラー・・?君、何言ってんの?」
「だからぁ、暑いからクーラー入れてって言うてんのに、『だめだ、だめだ』の一点張りで、『そんなに暑いなら服を脱げばいいだろう』って!」
「全部脱げとは言ってない。上に羽織ってるものだけ脱げという意味だ!普通分かるだろう?」
「分からへん!服を脱げっていうから服を脱いだ。それだけや!」
「お前は俺が死ねといったら死ぬのか!」
「国ばかに捧げる命なんぞ持ちあわせてへん。」
「国ばかだとぉ〜!!」

「あの、ちょっと・・・君達・・?」

いつの間にか手塚と彼女の言い争いに変わっている。
不二の顔がぴくぴく引きつる。
つまりこの事件も・・・ただの兄妹喧嘩の結末だったってか・・

「ねぇ、落ち着いて・・ちょっと・・もういい加減に・・・やめ・・こらぁ〜〜〜〜やめろって言ってるだろっ!」

急に横から叫ばれて殆ど掴みあいになっていた二人はそのままの姿勢で不二の方に目をやった。

ぜーぜーはーはー、自分が喧嘩するより体力がいる・・。
対外にしてくれ。

「玄関先でしょ、やめようね。」とりあえずにっこり微笑んでみる。
しかしその笑みには『てめぇらそれ以上やったら血ぃ見んど〜』な勢いがある。
手塚と彼女はその姿にごくりと喉を鳴らして、首を掴まれた猫のように大人しく、家に入ったのであった。

兄弟がいる家に生まれてよかった。兄でよかった。弟を宥めることに慣れててよかったと不二は心から思う。
脅すと宥めるは少々(全く)意味が違うのだが、

「ちょろいもんだ。」

勝ち誇ったように鼻息荒く二人の後に続いてもう一度手塚家の敷居を跨いだ。







NEXT / BACK


「ぴったしかんかん」や「どんじゃら」を知らない人はお母さんかお父さんに聞いてね!