LOVE ATTACK27 ガラッ―――勢いよく扉を開いたまではよかった。 手塚を映していたくなくて、見られたくもなくて、あの場からとにかく立ち去りたかった。 教室に忘れ物だなんてあまりに白々しい嘘だ。 ここまで走ってきても、何もすることなんてないのに。 窓から差し込んでいる眩しいほどの茜色は、校庭の景色も色濃く染めていた。 「綺麗・・・」 不二はゆっくりと窓際に近付き冷たいガラスにそっと手を掛けた。 全ての部活が引き上げ、夕方の淋しさが一段と胸に迫ってくる。 綺麗で淋しく、そして切ない色。 眩しいばかりのそんな光に包まれて、痞えていた想いがとうとう溢れ出した。 「・・ひっ・・ふぇっ・・ひっく・・」 瞳を何度擦っても、涙が止まる事はない。 押し殺そうとした声も、零れた気持ちにまた戻されて、咽び声になるだけで。 流れ落ちる雫が不二の足元の床板を一つ二つと色濃く染めた。 「ああっ・・・ああぁっ・・」 どうしても押さえきれなくなった声が叫びとなって教室に響く。 すぐ横のカーテンを無意識に握ったまま、不二はそのまま床に崩れて泣いた。 子供の頃ならこのまま眠ってしまえただろうか。 目が覚めたら嫌な事は全て忘れて、また笑えたものだけど。 でも今は悲しみを涙に変えて流したところで、想いはただ繰り返すだけ。 そんなことが分かるくらい好きだったなんて。 失うことになって自分の想いの深さに気付く。 なんて滑稽なのか・・・。 どれくらい時間が経ってしまったのか。 顔を上げた不二が見たものは、先程までの萌えるような赤ではなく、すっかり沈んだ闇の世界。 「もう・・帰らなきゃ・・」 スカートを無意識に手で叩きながら不二は立ち上がる。 持っていた鞄はどこにやったのだろうと、歩を前に進めた時、 「きゃっ!」 暗くて前がよく見えず、多分机だろう、思い切りぶつかってしまった。 「いったぁ・・」 「大丈夫?」 ぶつけたところを押さえながら漏れた声とほぼ同時に聞こえた台詞。 「だっ、誰!?」 自分だけしかいないはずの教室に誰かいる。しかもすぐ側に。 防衛反応か、不二は咄嗟に後退り、目の前にいるらしい誰かに目を凝らした。 「俺だよ。何すかその反応。傷付くなあ」 「え・・ちぜん?」 「そうっす。ほら!」 ピカッと顎の下から懐中電灯を照らして顔だけ浮かび上がらせて見せた。 確かにその顔は生意気ルーキーの彼だったが、何故こんなところに? 「な、何してるの?」 「非常灯っすよ」 そう言って教室の入り口付近に掛かっているはずの非常用の懐中電灯がないことを、光の輪を向けて不二に示す。 「懐中電灯のことじゃなくてっ!」 「まあ、こんな暗闇で話もなんだし、とにかく出ません?」 そろそろ目が慣れてきただろうとはいえ、真っ暗な教室では様々な障害物が判断しにくい。 越前は不二の手をとって、足元を照らしながら教室を出る。 訳が分からないまま引っ張られるように昇降口から外へ。 そこは教室の中から見ていた景色とは違って、闇の世界というよりは夜の情緒が漂っていた。 明日も快晴かもしれない。空には無数の星が光っていて、ここが東京のど真ん中だということを一瞬忘れそうになる。 「ほら、こっちの方が気分が晴れるでしょ?」 全部見てましたって言ってるようなものだった。 不二はむっと唇を尖らせて、 「いつから居たの?」 「・・・・・」 「ねぇってば!」 「最初から」 やっぱり・・・ 不二は更に頬を膨らませ越前を睨みつけた。 「居るなら居るって言えばいいじゃん」 「行き成り泣き出されたら声なんて掛けれないでしょ」 核心を付かれてぐっと言葉が詰まる。 「だっ、だっ、だからって黙って見てるなんて性格悪いよ!ああでも、元から君は性格悪かったよね。あー、忘れてた忘れてた」 あの醜態を一部始終曝け出していたなんて。 そう思うと恥ずかしくて堪らない。 だからと言って今更撤回する事も出来ず、不二は精一杯悪態をつくことでなんとか羞恥に耐えようとする。 「酷い言い草。あんな時間に教室に一人で行くなんて可哀相だからついてってあげたってのに」 「余計なおせ・・わ・・・ありがと」 未だ不服そうに視線を外しているものの、越前の気持ちは本当は分かっている。 生意気なことを言ってるようでも彼には思い遣りがある。 手塚との事も知ってるからこそ、きっと越前なりに心配してくれたのだろう。 恥ずかしさにどうしても素直になれないが、小さい声でボソリと礼を言う不二に越前はぷっと吹きだして、 「ほんとあんたって、誤魔化しきれない性格だよね」 「ばかにされてるのかな?」 「まさか!そういうとこも気に入ってんだから」 「・・・・」 照れもせず自分の気持ちを真正面からぶつけてくる後輩。 そこまであからさまに言われるとこちらの方が恥ずかしくなる。 「君・・・よく堂々とそういう台詞言えるよね」 「黙ってる性分じゃないんで。先輩だって人のこと言えないくせに。部長へのあの猛アタックは見てて気持ち良かったっす」 猛アタック・・・ なんか獣が獲物に猛進してるのかのようだ。でも――― 「くすっ、そうだね。全然相手にされなかったけど」 まるで想い出に浸るように手塚との出会いから今までを振り返る。 「一目惚れだったんだ。一年の春にね、コートでサーブを打ってる手塚を見たの。その頃の僕はテニスなんて全然知らなくて。でも彼はきっと凄く強いんだって直感して目が離せなかった。気付いたら胸がなんだかドキドキしてて、もうすっかり虜って感じ」 「へぇ・・・」 「もう2年も前になるんだなぁ。手塚に僕を知って欲しくて、テニス部にも入った。その中でテニスが上手かったらもっと印象深くなると思って、死に物狂いで頑張ったんだ。そうやってね、あの時から僕はずっと手塚を追いかけてきた。でもね・・・」 「・・・でももしあの日、例えばコートでサーブを打ってたのが君だったら・・・僕は君が好きだったのかもしれない」 少し見上げているはずなのに、不二は越前からしても小さく頼りなげだ。 まるで今にも消えてしまいそうで、越前は続ける言葉を見失ってしまう。 急に黙ってしまった越前に不二は小さく笑顔を向けた。 あれだけ泣いた後だ。校庭の電灯に照らされた不二の顔は、下瞼が赤くふっくり盛り上がっていた。 「・・初恋なんてね、結局そんなものなんだよ」 いつものように穏やかで優しい笑み。 けれどどこかで悟っているのは拭いきれない悲しみの所為。 「だったらそんな想いいつまでも抱えてんなよ。今からでもいいじゃん、俺あんたのために何球でもサーブ打つからさ、早いとこ方向変えなよ」 「越前・・・」 いつも生意気で口の減らないルーキー。 それなのにどこか居心地が良くて安心できる。 結局、守られていたのだ。 手塚のことが好きな自分も、越前が好きな自分だったのだ。 「あ〜あ・・」 また揺れはじめる瞳から雫を零さぬように天を仰ぐ。 「君に慰められるようじゃ僕もお終いだね」 「俺はっ!!」 「分かってる。分かってるよ、ごめん。でもね、でも僕は・・・」 まるで捨て猫のような目で越前を見つめる。 それでも―――飼い主は他の誰かではだめだ。 不二の瞳はそう物語っていた。 「ごめん・・・ね」 小さく呟く声とは反対に越前を見る目は真直ぐで。 謝ってなんてほしくない。 望みがないなんて、まだ思いたくないのに・・・。 「ちぇっ―――なんでたった2年・・」 どうしてその日サーブを打っていたのは自分ではなかったのか。 どうしてこの人との間に2年の歳月があるのだろうか。 越前はどうしようもない現実への悔しさにぎりりと唇を噛んだ。 next / back |