LOVE ATTACK30 「ラケットは腕だけで振り抜いたらダメだよ。腕の力じゃなくて身体を使ってみて。こう全体を捻るように―――」 自身の練習の合間を縫って、後輩の指導を行う不二。 予選大会を目の前に今は自分のことだけでも手一杯のはずなのに。 グリップの握り方、脇の開き具合、打点、ボールとの距離感の計り方、ゲームよりもそういった基本から初心者は入っていく。 大会前とはいえ、春に入部したての一年生はごろごろいるわけで。 男子部、女子部ともにその指導には丁寧にあたらねばならない。 だがレギュラー部員でなくてもそれくらいの指導はできる。何もこの時期エース自ら前に立つこともなかろうに。 全く人がいいというか、面倒見がいいというか。それも不二の人徳なのだろうが・・・。 その姿を隣のフェンスごしにある男子コートから見つめ手塚は溜息を吐く。 そんな不二に付いてくる新入部員は数え切れない。 女子部の花形選手自らの手ほどきということもあるだろうが、不二の後輩への思いやり、部に対する熱意も伝わるのだろう。 男子ほどではなくても女子もある程度の実力を有している。 厳しい練習の中、毎年仮入部の段階でリタイアする生徒も多いのだが、今年入った女子部員はどことなく目の輝きが違っていた。 尤も不二のレッスンは厳しいというよりは、終始和気藹々とした集いのような印象ではあるが。 それでも、押さえるべきポイントは丁寧に伝え、確実に前へ前へと進めてやっている。 「こうも雰囲気が二分されるなんて見事っすよね。部員の顔付きも上に立つ人に比例してるっていうか」 女子部の方を見つめていたことに気付いたのだろう、わざわざ近くにやってきて越前が耳元で囁くように言う。 我に返るように目の前のスペースに目を向けると、眉間に皺を寄せた一年生達が、一心不乱にラケットを振っていた。 対する女子コートからは「あはは」と楽しそうな笑い声が飛んでくる。 いや、間違っているわけではない。・・・・と思う。 女子と男子、雰囲気が違って当然だ。・・・・と思う。 厳しい練習の中、脱力した者もいるがそれでも残った者は皆頑張って付いてきている。・・・・と思う。 手塚はむっと口を噤んだまま、目線を女子部の方へ向けてはまた戻す。 そんな様子に気付いたのだろう。越前がついっと寄って来てにやりと笑った。 「別に気にしなくてもいいんじゃないっすか?部長に憧れてる奴いっぱいいるよ?優しくないところも部長の人徳だって」 この減らず口を許しているだけでも優しいと思ってくれ。 眉間に皺を刻んだまま、手塚は何かを思い切るように深く深呼吸をした。 「よし、今日の練習はこれまで!コート整備に入れ」 「へぇ・・・」 わざとらしく驚いてみせる越前の頭を手塚はコツンとこついた。 越前に言われたからではないが、確かにまだ慣れない部活動をしている一年生には毎日のこの練習メニューはきついだろう。 たまにはいつもより早く切り上げてやるのもいいだろうと、部長としての配慮だった。 それぞれの部員が後片付けに入る。 青学のレギュラーになったとはいえ、越前も一年生。 他の一年部員と一緒に後片付けに向かった。 越前はあれから例の件に関して何も言ってはこない。 不二とは未だ話さないままだが、自分には関わりのないこととして、あれ以上介入するつもりもなさそうだ。 不二は少し浮上してくれただろうか。 前よりは笑顔が戻ってきているようには見えてるが。 それでも今までのように楽しそうに自分の前に現れることはなくなった。 近くにいても避けられているのが分かる。自分の側から居なくなった不二。 不二の気持ちも考えずきついことを言ってしまったのだからそれも仕方がないのだが、 何気に手持ち無沙汰な気がして、今更ながら不二の存在が大きかったのだと気付かされる。 このままでいいわけではなかったが、もし前のように自分に捕らわれでもしたら、それは不二にとって無益なことだ。 それなら敢えて、こじれた関係を修復しない方がいい、手塚はそう考えた。 ******* いつもと同様、一日の部誌を書きとめるため手塚は最後まで部室に居残っていた。 纏めた部誌を棚に立てて、荷物を持って部室を出る。 ちょうど女子部の練習が終わったのか、ネットやボールを部員達が忙しく片しに掛かっていた。 その姿を後ろに部室に鍵を掛けていると 「きゃあ!」 手塚の背後でどすんと鈍い音が聞こえた。 何事かと振り向くと、丸めたネットに縺れながら不二が転がっている。 「いたた・・・」 腰を抑えて起き上がろうとしているが、ネットが足に絡んでなかなか思うようにいかないようだ。 「大丈夫か?」 「・・・え?・・てづ・・か?」 不二にとっては凡そ掛けられるはずのない声。けれど目の前にいるのは明らかに手塚だった。 これは錯覚かと不二の目玉はキョロキョロ左右を言ったり来たり。 「ほら」 それでも差し出された手は紛れもなく手塚の大きな掌で。 「あ・・ありがと」 おずおずとその手をとって不二は立ち上がる。 パンパンとスカートを叩いて、ぐしゃぐしゃになったネットを整えた。 「いつもお前が片付けてるのか?」 「いつもってわけじゃないけど。皆でやった方が早く終わるから」 「そうか」 「・・・・・」 会話が続かない。 手塚は元々多くを語る人ではない。だから一緒にいるといつもほんのり緊張感が漂った。 それでも、ついこの間まではそれも嬉しさの一つだった。 けれど今は、息苦しい。 その緊張感だけが膨らんでなんて居心地が悪いのか。 「あの・・・今日、男子は随分早く終わったんだね」 「ああ」 「・・・・・」 会話が・・・。 「じゃ、じゃあ僕・・・これ片付けるから」 結局この空気に耐えられなくなったのは不二の方。 再びネットを持ち上げてその場を退く。 ゆっくりと向かい合った状態から二人の身体がすれ違って行く。 楽しかった。 全く相手にされてなかったけど、それでも笑って過ごせる毎日が楽しかった。 もう手塚と前のように話せる事はない・・・のかな。 けれど、これでいいのかもしれない。 自分の存在は手塚にとって迷惑でしかないのだから、これでいいんだ。 自分で自分に納得するように小さく首を縦にふる。 抱えているネットをぎゅっと抱きしめなおし、不二は真直ぐ前を向いて歩き出した。 背中に手塚を感じながら、振り向く事は許されない――― 「不二」 まるでその声に足を掴まれた様だった。 決して振り返らないと決めて歩き出したのに。また動きを止めるなんて。 なんで・・・? 声にならない声を出して、不二はまた立ち止まった。 「お前の部での行動はいろいろ勉強になる。上に立つものとして考えさせられる事が多い」 手塚に背を向けたまま、突然の思いもよらなかった台詞に不二は唇を噛む。 「なんで、そんなこと言うの?」 「お前を見ていてそう思ったんだ。後輩達の信頼を受けているのもお前の日頃の行動が―――」 「だから、何で今更そんなこと言うのさっ!」 手塚の台詞を遮るように不二は叫んだ。 その顔は見えないが、不二の背中は震えていた。 「不二・・・」 「僕の日頃の行動って何?プレイヤーとして最低な行いのこと?それとも人として・・・」 最後まで言葉にすることが出来なかった。 堪えていた涙がまた溢れ出す。 もう放って置いて欲しいのに。 最低な奴だって蔑んでいてくれたらいいのに。何で今更―――。 「不二、あれは俺が―――」 「・・・が分かるの?手塚に何が分かるんだよっ!!僕の何が・・・分かるっていうの」 言い過ぎた・・・と手塚が発する前に不二の押さえきれなくなった感情が爆発する。 驚いたのは不二が見せた表情。 不二の震える肩を押さえるように覗き込んだその顔は、悔しさに必死で抵抗するかのように、ぎりりと歯を噛み締め歪んでいた。 「不二・・?」 手塚の呆然としたような声にはっと我に返る。 「ご、ごめん、僕・・・。君は間違ってない。悪いのは僕なんだ。だからもう僕に関わらないで」 不二に伸ばした手がするりと滑り落ちる。 手塚を振り切るように不二は走り出した。 大きなネットを抱えながら、その場からできるだけ早く逃れようと必死で走っていった。 next / back |