LOVE ATTACK31


「では行って来ます」

キッチンで後片付けをしている母に一言声をかけ、手塚は部屋を出る。
息子の声を聞いた母は玄関までパタパタと出てきて言った。

「一度母さんも一緒に行った方がいいんじゃないの?」
「もう子供ではありませんから大丈夫です」

我が子の落ち着きようは確かに子供とは言い難いものがあるが、中学生なんて通念上まだまだ十分子供だと彩菜は呆れたように苦笑した。

「診察券は持ったの?ちゃんと確認しておきなさい」

わざとらしく小学生に忘れ物がないか確認するように言う母は、きっと自分の発言に笑っているのだと、手塚は渋い顔でもう一度「大丈夫です」と言った。
それでも母は手塚をじーっと睨んで、早くしろとばかりに視線で促した。
手塚は「はぁっ」と嘆息してから小脇に抱えていたセカンドバッグを開ける。
診察券の入っている財布を取り出そうと中を弄ぐると、指の腹にチクリと何かの角が刺さった。

「――?」

取り出して見ると一枚の写真。
そこにはピースサインの不二が映っていた。

「あら、周ちゃんじゃない。そんなの持ち歩いてるなんてあなたもなかなかやるわね」
「ちっ、違います。あいつが勝手に・・・」

横から覗き込んできた母に、慌てて否定する。
先日病院に付いてきた不二が、こっそりバッグの中に忍ばせたものだ。
不二のそんな行動はその時始まったものではない。
またか・・・とその写真を不二に押し返したはずだったが―――。

『これ?すごいご利益あるんだよ。いつも持ち歩くと腕の怪我なんてあっという間に・・・』
『いらん』
『何すんのさ〜!』

投げ捨てられた写真を拾いながら頬を膨らませて怒っていたが、目を盗んでまた突っ込んでいたとは。
しかし、

「これはないだろう」

手塚は写真の中の不二にぶっと吹き出した。
いつもは極自然に笑顔を見せる不二だが、写真になると妙にその笑みがわざとらしい。
取って付けたようなピースサインも何だか滑稽で。
大方菊丸辺りに撮らせたのだろう。
どうせならもう少し自然なショットで撮ってもらえばいいものを。
写真を意識したそのポーズが反ってぶち壊していると分かっているのだろうか。

いつになく表情が緩む息子を母は見逃さない。
この堅物が女の子の写真を見て笑ってるなんて。

「あらあら楽しそうね。また連れてらっしゃいよ。素直で可愛い子だったわ。母さんは大賛成よ」
「ですから、そういうのではないと―――」
「はいはい、遅れるわよ。予約の時間があるんでしょう。行ってらっしゃい」
「母さん!」

否定する間も与えてもらえず、玄関から追い出された。
母はもともと交友関係に口を出す人ではないが、それにしても随分と嬉しそうに話すものだ。
それだけ不二を気に入ったということか。

素直で可愛い・・・か。

改めて不二が一体どんな奴だっただろうかと手塚は思う。
正直、そんな風に分析したことは一度もない。
部活の仲間、それ以上でもそれ以下でもない存在・・・だと思っていたが、
本当にそうだったのだろうか。

考えれば入学以来、やたらとちょっかいをかけてくる不二に何度も溜息を吐いたものだが、その実嫌ではなかった。
あの手この手で突拍子のない行動をする不二だったが、次はどんなことを仕掛けてくるのやらと呆れながらも楽しんでいた気がする。
一見図々しく入り込んでくるようだが、きちんと引くべきところは心得ていた。
手塚が本当に構って欲しくない時は、他の女子とは違って一線を置く。
だから不二の行動はそれほど気にせずにいられたのだと思う。

その不二が頑として介入してきたこと。

この左腕に関しては、関わるなといっても引かなかった。
本気で心配して―――

母の言う通り、不二は素直だ。
いや素直というよりはバカ正直。簡単に嘘が付けるような性格ではない。
だったら―――

『手塚に僕の・・・何が分かるって言うの!』

あんな悔しそうな不二の顔は初めて見た。
行き場のない怒りがあの一言に籠められていた。
それならあの試合は、不二がしたことは一体何だったのだろう。

もしかして自分は何か大きな勘違いをしているのだろうか?
追い詰めたのは自分。けれど不二は反論一つしなかった。
悪いのは僕だと言い切るのは、やはりあの試合が仕組まれたものだったから。
だが、どこか釈然としない。



「どうかしたのかね?」

投げかけられた声に心ここにあらずになっている自分に気付く。

「いえ、すみません」
「今言ったとおり、今のところ悪化はしていないが、無茶をしている限り改善はしない。常に爆弾を抱えていると思いなさい。まあもう十分分かっているだろうが」

目の前の白衣の医師が仕方がないと言わんばかりに苦笑する。

「すみません」
「いや、それをサポートするのも私の仕事だからね。ただし、行過ぎたことをすればテニスを続けられる保障はないぞ。最低限の指示は守るように」
「分かっています」

医者が言いたいことは自分が一番よく分かっている。
本当は今すぐ止めるべきだということも。だがそれが出来るくらいならここまで来はしなかった。
治療を受けたのは不二に泣かれたからではなく、ただ無鉄砲に突き進むのではなく、然るべき処置を施した方が少しでも長くこの腕が持つと考えたからだ。
ここはスポーツ専門の外科治療を行っている病院。
専門医が治療、リハビリ、トレーニングを一体化してケアしてくれる。
もちろんまずは徹底的に治療に専念するのが望ましい。
だが、手塚と同じように無理を押してでも続けようとするアスリートはたくさんいるものだ。
ましてプロともなればどうしても逃れられない状況に追い込まれる事もある。
そういう者達が最悪の事態にならないないように駆け込んでくるのも日常茶飯事。
手塚の担当医もそれなりのことは理解して治療に当たっていた。

手塚は医師に頭を下げ、診察室を出る。

行き過ぎればテニスを続けられる保障はない。
分かっている。分かっているが・・・

手塚は自身で左腕をぐっと掴んで願う。
せめて夏が終わるまで―――


「佐伯さん、どうぞ」

ふとどこかで聞いた名前に手塚は顔を上げた。
診察室へ入る誰かの後姿が目に映った。

別に珍しい名前でもなかろうに。

思っている以上に拘っている自分を思い知る。
手塚は自嘲するように苦笑した。


手塚の脳裏にまたあの試合が蘇る。
あの日、佐伯は好調だった。比べて自分は開始直後に腕が痛み出し、時間を追うごとに球質が乱れだした。
あのまま佐伯が真剣勝負をしていれば、結果は分からなかった。
いや、負けていた可能性の方が高いだろう。

手塚は絞った眉間に指を押し当て、小さく首を振った。
試合の経緯よりも、自分が無様な試合を展開していたことの方がもっと苛立たしい。
相手が強ければ勝てなかった。それが現実だ。
この先強い奴など掃いて捨てるほどに現れる。
次はその結末にぶち当たるかもしれない。


「じゃあ次お呼びするまでここでお待ちくださいね」

看護士の声と共に佐伯と呼ばれた男が診察室から出てくる。
随分早かったものだと何気にその男に目をやると、

「佐伯・・・」

これは何の偶然か。
彼は同姓の患者ではなく、佐伯虎次郎本人だった。


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