ガシャン―――

狭い取り口に落ちてきた缶ジュースを取り出すと、不二は病院内の庭に設置されているベンチに腰を下ろした。
カラカラだった喉に一気に流し込んだ後、ドンと背もたれに体重を掛ける。
母親から連絡を受けて、そのままコートを飛び出して来たが、案の定、裕太の反応はつれないものだった。
でも、とりあえず大事でなかったから良しとする。
不二は無理やり納得して、気持ちを落ち着けようと深呼吸した。
けれど、いつかこの不安が的中する日は来る。
今、やめさせなければプレイヤーとして致命傷を追うことにもなりかねない。
でも、どうすれば―――。
不二の手の中でジュースのアルミ缶がぐしゃりと鈍い音を立てて潰れた。


LOVE ATTACK35



手塚・・・。あんたが―――?

手塚の名に、裕太は切れ長の瞳を大きく見開いた。
しかし、その驚きはどこか嫌悪が含まれているような不快な表情だ。
本当に不二の弟だろうか。その面にはあの柔らかさの欠片も存在しない。

「まあ、あなたが手塚くん?」

そんな裕太を余所に隣にいた母親が目を輝かして言った。

「いつも周が家で騒いでるんですよ。テニス、お上手なんですってね」
「・・・・・」

不二の母の言葉に手塚は一瞬言葉を詰めるが、慌てて「そんなことは・・・」と否定を口に乗せた。
横から何とも言えない刃のような視線が突き刺さる。
そしてその視線の主は声を殺しながら、それでも多分わざと聞こえるように言ったのだろう。

「厭味な謙遜だ」

すかさず母親が裕太を肘でこついて、誤魔化すように続ける。

「一年生からレギュラーなんですってね。男の子の方はすごく強いんでしょう?その中で部長さんだなんて素晴らしいわ。どんな子かしらって色々想像してたんだけど、周から聞いてた通りで、何だか初めて会った気がしないわ」
「はぁ・・」

褒められるのは手塚とて悪い気はしない。
しかし初めて会った気がしないと言われるほど、自分のことが話題になってるのかと思えば、照れくささが相俟って返答に困ってしまう。
何と切り返せばいいものかと迷っていると、

「でも、こんなところで・・・。どうかされたの?」

母親の方から至極当然な疑問が返ってきた。

「いえ。周さんがここにいると聞いたので」

どうかされてないわけではないが、この病院にいることと自分の怪我は関係がない。
敢えて説明する必要もないと、手塚は首を振った。

「そう、よかった。学校の部活と言っても、無茶をすれば身体を壊わしかねないもの。そんなことになったらスポーツをする意味がないわ」

手塚に言っているようで、母親の言葉は裕太に投げかけていた。
裕太はフンとそっぽを向く。その姿に母は軽く溜息を吐いて小さく首を振った。
人事ではない。手塚にとっても耳の痛い言葉だった。
母親といえど、当事者の気持ちにはなれない。だからこそそれは、常識的な見解なんだろう。
第三者だから出来る冷静な判断。
それを思えば、不二はよく今まで自分に付き合ってくれたと感心する。
ここで無理をすることが、将来的に悪影響なのは分かっていても、男とはつまらない生き物で、意地や誇りが先に立つ。
どうしても譲れないものがある。それはどんなに言葉を連ねても表せない。
理屈では割り切れないのだ。目の前の彼も、きっと同じなのだろう。
目的が何なのかは知らないが、彼の中にある一番が、自身の犠牲をも厭わずそうさせている。
不二の力になりたいとここまで来たが、彼側の立場にいる自分が彼に物申すことなどできない。
だが、せめて何が原因なのか、同じだからこそ分かち合えるものがあるかもしれない。
そして、それを不二に伝えることができれば、姉弟の行き詰まった関係を和らげてやれるかもしれない。

「でも、ごめんなさい。周はもう帰ったのよ」
「ええ、それは知ってますが、弟さんと話がしたくて」
「この子と・・?」

意外な申し出に裕太の顔をチラッと見る母親。
誰よりもその台詞に驚いているのは他ならない裕太だ。
手塚は真摯な瞳を裕太に向けて言う。

「終わるまで待っている。少し時間をもらえないだろうか?」

年下とはいえ、初対面の相手に物怖じせず冷静に接する態度は手塚そのもの。
一方裕太は手塚とは相反するように、わなわな身を震わせて落ち着きをなくしていく。

「な、何で俺があなたと?」

先ほどより視線の鋭さが増している。
どことなく挑戦的な物言いから、素直に受け入れたくないという姿勢が伝わってくる。
何故かその反応に敵意のようなものを感じるが、それでも手塚は動じる様子は見せず、裕太の目を見つめ続けた。
負けじと裕太も手塚を睨み返し、しばらく二人の間に沈黙が流れるが、不言不語の争いで手塚に勝てる者がどれほどいようか。
案の定、そのオーラに太刀打ちできず、裕太は小さく舌打ちした。

「時間掛かると思うから、今聞きますよ」

不承不承の態度ながらも、それなりの気遣いを匂わせる返答があった。
根は悪い奴ではなさそうだ。
手塚は「ありがとう」と言って、母親にも軽くお辞儀をすると、支障がない程度に離れた場所へ裕太を促した。

「姉貴のことならあなたの方がよく知ってるでしょう?」

手塚が口を開く前に、裕太の方から喋りだす。
行き成りの台詞に手塚は一瞬戸惑うが、何となく、本当に何となくだがふと頭を過ぎった。

「何故そう思う?」
「俺より一緒にいる時間が長いからに決まってるじゃないですか」
「何故不二のことだと思うのか聞いたのだが?俺はまだ何も言ってない」
「・・・っ!」

途端に言葉を詰まらせる裕太に手塚はクッと喉を鳴らした。

「な、何ですか!?あなたと俺の共通点っていえばあいつだって思うだろっ!」
「いや、失礼。君の言う通り、そう思うのが自然だ。だが、随分向きになるんだな」
「向きになんかっ!」

なりまくりだ。
どうやら、先ほどからの態度は至極単純な理由のようだ。
手塚の勘が正しければ、不二に対するあの反抗的な言動も答えが見えてくる。
佐伯のように近しい相手には分からないのも頷ける。裕太がそれなりに納得している関係だからだ。
くだらない。以前の手塚ならそう思ったかもしれないが、不二の弟に対する気持ち、愛情の深さを知った今、裕太側の感情も分からなくはない。
可愛いものだ。この調子だと菊丸や越前などはこてんぱんだろう。

それ以上反論できない裕太は真っ赤な顔で唇を噛む。
手塚は僅かに微笑んで、そんな裕太の肩をぽんと叩いた。

「残念ながら不二とは関係がない。君がしているテニスの理由を聞きたかったんだが」

その前に気づいてしまった。
意識的かどうかは別として、要するに不二に心配を掛けて、構ってほしかったという辺りだろう。
陳腐な理由だが、ほんの少し安心した。不二もこの事実を知れば―――

「あいつ、そんなことまであんたに話してるのかっ!」

しかし手塚の安堵とは裏腹に、裕太の反応は穏やかでない。

「いや、不二は何も―――」

不二から弟の話など聞いたことはない。正直家族構成が何かすら知らなかったくらいだ。
しかしそれを説明をしようにも、裕太は先ほどにも増して不満のボルテージをあげ、すでに怒りの境地といってもよい。

「それで、俺を説得してくれとでも言われたんですか?」
「違う!君のことは佐伯から―――」

しかし、裕太は聞く耳を持たない。というより何も耳に入らないという状態だ。

「それとも行き成り兄貴面ですか?」
「は?」
「俺を説得してさらに姉貴に気に入られようって魂胆ですか?」
「何を言って―――」
「そんな計算無用ですよ。一年の時から手塚、手塚って、あいつはあんたしか眼中にないんだから」

口を挟もうとしても、悉く遮って捲くし立てる裕太に手塚は目を丸くした。
裕太の不二への蟠りは所謂嫉妬心からきたもの。それは彼の言葉尻や態度から読み取れた。
実際不二には親しく付き合う男友達がたくさんいる。
そんな不二の交友関係が、裕太は面白くないのだろうと思ったのだが。

一年の時から手塚、手塚・・・だって?
あんたしか眼中にないとも言った。

そういえば、さっきも・・・。

いつも周が家で騒いでるんですよ。

手塚はごくりと生唾を飲み込む。
つまり、矛先は不特定多数の男子ではなくて―――、

「俺・・・か?」


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裕太君の拗ねモード・・・原作とは違いますが、不二兄弟の仲たがいの辺りってすでにそんなことあったっけなあ?って思うほど、風化した出来事じゃないですか?あの険悪感は何だったの?って思うほど、裕太君最後はお兄ちゃん好き好きモード全開でしたから(笑)。今更な設定に思うほど引っ張った私も私ですが(すみませ・・・)。
ここではお姉ちゃんなので、兄貴と比べられてじゃなくて手塚に対抗して・・・ってことで、どこまでいっても不二くんが大好きなんです、裕太くん。
そしてそんな不二兄弟が私は大好きだ!