LOVE ATTACK 37

「・・・・・」

病院の中庭で、ついぼんやり考え込んでいたが、不二は何気に人の視線を感じて自分を顧みれば、この場所に相当そぐわない装いだったことに気づいた。
しかも今日に限って普段滅多にはかないスコートなんて穿いていて。
加えて、羽織っていた上着までコートに置いてきた始末。
母から連絡を受けて、気が焦った。
荷物だけは引っ掴んできたものの、木の枝に引っ掛けていた上着はすっかり忘れていたのだ。
急いで駆けつけたところで疎ましく思われることなんて分かっていたのに、居ても立っても居られなかった。

とにかく、帰ろう。

このままここに居るのは恥ずかしい。
不二はベンチから立ち上がり、そそくさとその場を離れた。
中庭を早足で通り抜け、漸く敷地の外に出る。
この姿でバスに乗るのも体裁が悪いが、幸いラケットがあるので、何とか「テニス帰り」で片付くだろう。
不二はバス停の時刻表を確認すると次のバスがくるのを待った。
早く帰りたい時に限って空き時間があるものだ。
普段ならこういう時間も嫌いじゃないが、一度気になると落ち着かない。

「遅いなあ・・・」

スコートの裾を下に伸ばすように引っ張って不二は溜息を吐いた。

「ねぇ、この辺りに伴野総合病院ってないかな?」

突然掛けられた声に、不二は人の視線を避けて俯けていた頭をあげた。
そこには高校生くらいと思われる男が3人立っていた。

「ここを真っ直ぐ行ったら見えてきますよ」

不二が今自分が辿ってきたばかりの道を説明すると、彼らは「ありがとう」と軽く礼を言って、不二が説明した方向へ向かった。が、
再びバスを待っていると、男の一人が戻ってきた。

「何度もごめんね。君の言うとおり行ったんだけど・・・。この道でいいんだよね?」
「?」

不二は首を傾げた。迷いようなどないからだ。
だいたいこのバス停自体「総合病院前」という停留所なわけで。
バスのルート上、病院の真ん前でないだけで、自分も初めて来たがすぐに分かった。

「あの・・お友達の方は?」
「ああ、向こうで病院を探してる。誰も通らないし、もう一度君に聞こうと思って俺だけ戻ってきたんだけど」
「そう・・ですか」

3人もいて誰も分からないなんて。
何とも言えない感覚ではあったが、不二は基本的にあまり人を疑わないところがある。
ちらっと左手首を確認すると、バスがくるまでまだ少し時間があった。

「病院が見えるとこまで行きましょうか?」
「え・・でも、バスに乗るんだよね?」
「まだ間に合うから。すぐそこだし」

そう言って不二は荷物を掛け直し、病院の方へ歩き始める。男もそれに続いた。
ほんの数十メートル進んだところで、それらしき建物がはっきり見えてくる。

「あれがそうですよ」
「え、あれ!?」
「ね、すぐ分かるしょう」

ぽかんと口を開く男に不二はくすっと笑みを漏らして、

「もう大丈夫ですよね。僕はこれで」

ちょんと頭を下げて不二は男に背を向けた。
そして、再びバス停へ戻ろうとした時―――、

「あ、ちょっと待って!」

背後からぐいっと肩を掴まれて、不二が男の方を振り返った。


「・・・・っ!」



******




「不二・・・」

さすがにもう帰ってしまっただろう。
そう思いながらも、手塚は周囲に不二の姿を探していた。
裕太と話をしたのは、不二の力になりたかったから。
けれど、本題をすり替えたわけではない。
誤解が解けた今、一刻も早く不二と話をしなければならないのだ。
家に帰ってしまったのだとしても、今日中に不二に会いたいという気持ちに変わりはない。

手塚は携帯電話を取り出し、不二へ発信する。
しかし、呼び出し音の後、留守録に切り替わった。
言葉を残すのは苦手だが、手塚は手短にメッセージを入れる。

『手塚だが折り返し電話をもらえないだろうか。どうしても話したいことがある』

不二がこれを聞いて電話を掛けなおしてくる自信はない。
手塚にしては随分気弱だが、しでかしたことの重さを思うと、気休めの手段でしかないのだ。
ただ待ってはいられない。
自分は自分で不二に連絡をとらなければならない。
とりあえず、不二の家に向かうのが今は最善だと考えて、手塚はバス停へ向かった。

病院近くの通りにしては案外人が少ない。
バス停が駅と反対側に位置していることが原因か、そんなことを考えながら手塚は閑散としている周囲を見つめた。
足が何かを蹴る。
瞬間、周りに意識を取られて、歩くことに集中していなかったと手塚は我に返った。
足元に視線をやって、当たった何かを見た時、

「・・・え?」

手塚の目が見開いた。
それは見覚えのあるラケットケース、不二のものだとすぐに分かったからだ。
ファスナーにはビーズで作られた小さなテニスラケットのストラップがぶら下がっている。

『今日は随分身軽なんだな?』
『遊びだし、一本あれば十分でしょ。いつものは重たいだもん』

部活では、ラケットが複数入る大きなバッグを担いでいる不二。
当たり前のように印象づいていて、一本用のラケットケースと小さなバッグ一つで現れた姿にどこか違和感を覚えて、話の種になった記憶があった。

『それに、たまにはこういう女の子っぽいのもいいでしょ』
そういって、ストラップを指先でつまんで見せた。
だから間違いない。このラケットは・・・

「不二?」

手塚は周囲を見渡した。けれど不二の姿はない。
病院からは一本道。見落とすはずもなく。
けれど、ただ落としたにしては、あまりにも物が大きすぎないだろうか。
気付かず通り過ぎるなど考えにくい。では、どうして?
ラケットをこの場に放置するほどの何かがあった・・・?
裕太ではない。ついさっきまで話していたのは他ならない自分だ。
何か思うことがあって引き返したのだとしても、途中で出会うあろう。
不二は病院には戻っていない。ということは、ここから違う場所へ行ったとしか考えられない。
違う場所・・・ラケットをこんなところに置いて?
いや、置いたのではない。明らかにラケットは落ちていたのだ。
だが、落として気付かないようなものではない。
ということは、気付いても拾えなかった。
そして不二はここに居ない―――
手塚の喉がごくりとなった。

「不二っ!」

手塚は大声で不二を呼びながら、バス停の方へ走る。
けれど、やはりそこにも不二の姿はなかった。
バス停に見つけた一人の年配女性に手塚は急いで声を掛ける。

「すみません!ここに、中学生の女の子が来ませんでしたか?」
「中学生?いいえ・・・。ああ、でも私が来た時、それくらいの女の子が病院の方へ行ったけど」

女性は手塚が今歩いてきた道を指差して言った。
病院の方へ行ったのなら、不二の可能性は低い。
それでも手塚は念のため確かめてみる。

「どんな感じの子でしたか?」
「どんな感じって・・・ボーイフレンドと一緒だったけど」
「そう・・ですか」

やはり不二ではない。
いくらなんでもあの状況で、いきなり第三者が出現することはないだろう。

「すみません、時間を取らせました」

手塚が頭を下げたと同時に、女性があっと思い出すように両手をぽんと鳴らした。

「そういえば、何かのユニフォームを着てたわ。凄く短い丈のスカートで、あれは・・・」
「まさかテニスの・・・?」

手塚は不二がテニスウエアのまま病院にいた事を思い出す。
しかし、手塚は女性が否定することを祈った。嫌な予感がする。

「そうそう、テニスウエアよ。ラケットを持ってたもの。そんな風にケースに入れて!・・・?あれ、そのラケット・・・?」

女性は手塚が拾ったラケットを不思議そうに見つめた。

「ありがとうございました」
「え・・?ちょっと・・・!」

手塚は再びラケットを拾った場所まで走った。
多分間違いない。女性の話からすると、不二は一旦バス停にいたのだ。
そして何かの理由で病院の方へ戻った。一体何故―――?

ボーイフレンドと一緒だったけど・・・

「ボーイフレンド・・?」

弟のために慌てて駆けつけた後、一人帰っていったことを考えると、腑に落ちない話だ。
手塚は女性から聞いた不二の状況をもう一度頭の中で整理する。
誰だか分からないが、一緒にいた男がいる。けれど、不二は病院を出る時一人だった。
誰かと待ち合わせをしたとも考えられなくはないが、それならば落ちていたラケットの説明がつかない。

恐らく初めはラケットを持っていたが、この場所で落としてしまったのだろう。
そして、不二はそれを拾えないような状況に追い込まれていた―――?
一緒にいたのは誰だ?バス停にいたならどうしてバスに乗らず、また引き返したのだろうか。
まさか、よからぬ輩に連れて行かれて・・・?
背中に嫌な汗が流れた。
勘違いであってほしい。けれどそれが一番辻褄があう。

手塚は再び周囲を見渡した。

「不二・・・不二っ!」

けれど、不二の姿はどこにもなく、呼んでも叫んでも返事はない。
もう一度携帯を鳴らしてみるが、先ほどと同じ、留守録に繋がるだけ。

「くそっ・・どこに行ったんだ」



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