手塚の胸の中で思い切り泣いた。 そのうち涙も枯れて、ただその温もりに身を委ねた。 とにかく不二が落ち着くまでと、手塚も黙って側に付いていた。 そのうち不二の泣き声が止んでも、急かすこともなく、帰るとも言わず、ただ時を待った。 静かに、でも時間は流れていく。 二人一言も喋らないまま、どれくらいの時を過ごしたのだろう。 気が付けば夕焼けが空いっぱいに広がっていた。 LOVE ATTACK41 日中の日差しとは打って変わって、優しい光が頬を差す。 冷えてきた周囲の空気が、高ぶっていた神経を少しずつ沈めていった。 不二はゆっくり手塚から身体を離した。 「ごめん・・僕・・」 ぽつりと呟くように話し始めた不二の声に、手塚はやはり何も言わず耳を傾けた。 泣いた痕の赤い瞼が不二を小さく見せている。 いつものような精彩さはどこにもなく、どことなく落ち込んでいるようにも窺える。 気持ちが落ち着けば、今度は色んなことが見えてくるのだろう。 「君まで巻き込んで・・謝って済むことじゃないけど・・・」 申し訳なさ気に一生懸命言葉を紡ごうとする様子がまた不憫に思えた。 どういう経緯であんなことになったのか分からない。 不二自身後悔することがあるのかもしれない。だが、 「大事に至らなかったんだ。それでいいじゃないか」 手塚はわざと軽い口調で言った。けれど、それは手塚の本心でもあった。 本当に不二が無事だったことが何よりだと思っている。 もちろん何もなかったからそれでいいわけではない。不二が心に負った傷は深いだろう。 だからこそ今は不二の気持ちをできるだけ軽くしてやりたかった。 少なくとも自分に対して負い目を持つようなことだけはさせたくない。 「でも・・・」 それでも手塚に残る暴行の痕が、過ぎたことにはさせてくれないようだ。 不二は心配そうに手塚の頬に手を伸ばした。 「赤くなってる・・」 「夕日の所為だろう」 手塚はふっと口元を斜めにしながら見え透いた理由を口にする。 「そんなの・・・」 それが手塚の気遣いであることは明らかだった。 こういう時の手塚は絶対に本当のことは言わない。 ずっと見つめてきたから分かる。手塚とはそういう男だ。 背負ったことに対しては最後まで責任を持つ。 たとえ自分に何ら利がなくても、それを言い訳になどしない。 「ごめんね・・・ごめん」 巻き込んでごめん。気を遣わせてごめん。不甲斐無くてごめん。 謝ってもすまない。でも謝ることしか出来ない。 不二は何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。 「本当に俺は大丈夫だから、もう言うな。それより―――」 不二の方が数倍痛々しい。 大きな怪我はしていないようだが、腕や足にところどころ擦過傷ができて赤くなっている。 引きちぎられたウエアの胸元から覗く白い肌がここでの大事を物語っていて、手塚は自分のことよりその姿を直視する方が辛かった。 「汗臭いかもしれないが・・」 そのままでは帰れないだろうと、手塚は着ていたシャツを脱いで不二の肩に掛けてやる。 こんなことは気休めに過ぎない。けれど不二の身体を出来るだけ見えないようにしてやりたかったのだ。 敢えて視線を逸らし気味にする手塚からその想いが痛いほど伝わってくる。 不二は羽織った手塚のシャツをぎゅっと胸元で手繰り寄せた。 温かい――― こんな時に非常識だと思うが、手塚の優しさにほんのり幸せ気分に包まれる。 護られているようなその感覚が、追い込まれていた心を少しずつ解き放って、自然と柔らかな気持ちにさせてくれる。 「手塚の・・匂いがする・・・」 嬉しい。この温もりが、この感触が、この香りが。 不二は両手で掴んでいたシャツに愛しそうに顔を埋めた。しかし―――、 「や、やめないかっ!」 行き成り顔を大きな掌でガバッと引き上げられて不二は目を瞬いた。 「だから汗臭いと言ってるだろう。ずっと走ってきたんだ。気持ち悪いかもしれないがそこは我慢してくれ」 いきなり手塚は早口で捲くし立てるように言い訳を始める。 どうやら指摘されたくない部分に触れてしまったようだ。 人一倍運動量が多い手塚は、日頃から汗の臭いを酷く気にするところがある。 今日は運動していたわけではないが、不二を探してずっと走り回っていたのだ。 おまけに最後は複数の高校生相手に乱闘ときた。 汗を掻くなと言う方が無理ってものだ。 「わざわざ臭わなくても・・」 「僕、そんなつもりじゃ・・・っていうか、臭いなんて思ってないよ・・・本当に・・」 不二はらしくない手塚の慌てようにきょとんとするばかり。 手塚が臭いなんて思いつきもしなかったのだ。 思い切りテニスをした後ですら、そんなこと一度も思ったことはない。 それよりも寧ろ―――、 「僕は好きだよ、手塚の匂い」 「なっ、おま・・・何を・・」 手塚にしてみたら体臭だ。 自分では分からないだけに他人がどう感じるかが気になって仕方がないというのに、それを好きと思う自体殆ど意味不明だ。 こいつは何を言っているのかと、手塚は言葉を詰まらせるが、不二は反対にそんなことを気にする手塚が可笑しい。 小さくくすっと笑うと、 「だって、お日様と同じだよ」 「お日様?」 「うん。手塚は太陽の匂いがする」 「・・・・・」 今度は手塚の方が目が点になる。 今話しているのは日本語だったよな?全くもって理解不能だ。だが・・・、 そう言って微笑んだ不二の顔は凄く綺麗で。 自惚れではなく、本当に不二はこの汗臭い汚れたシャツが、いや自分の臭いが愛しいのだと手塚は思った。 そうか、不二は俺のことを―――。 そう考えれば不思議と納得できる自分がいる。 先程裕太に聞いた不二の気持ちを思い出して、手塚の顔にかぁっと血が上る。 同時に心臓がどきどき揺れ出して、急に息苦しくなってきた。 何とも言えない居心地の悪さに襲われて、悪い意味で言ってないことは分かっているのだが、 「太陽・・・って・・・まるでいつも滾ってるようだな。やはりベタベタのイメージじゃないか、それ」 何と返せばいいのか分からず、咄嗟に拗けた口を利いて、自分の焦りを誤魔化した。 「そういうことじゃ・・・・ぷっ」 なかなか譲らない頑固な手塚に不二はとうとう噴出した。 「デオドラントスプレー、ひと月で5本も使うって嘘じゃなさそうだね」 「は!?」 「英二が前に言ってたんだ。黙々とスプレーしまくる手塚は部活中より怖いんだって!僕、そんな君を想像できなくて、これまで半信半疑だったんだけど・・・ぷぷっ」 菊丸、覚えておけ。 ぴしっと手塚の額に青筋が立つ。だが、 「あははっ!手塚って変なの!」 「そうは言うが『手塚国光は臭い』なんて思われるよりいいだろう」 「だから臭くないってば!」 声を立ててコロコロ笑う不二は、手塚がよく知っている不二だ。 少しでも不二の気持ちが浮上できるのなら、臭くても変人扱いでも構わないと手塚は思った。 「帰れるか?」 手塚は漸くその一言を口にする。 だが決して無理強いではなく、不二の気持ちを優先しての問い方だ。 落ち着くまでずっと待っていてくれたんだ・・・ 手塚のそんな思いやりが不二にも分かった。 「大丈夫」 不二は笑顔で答えた。 手塚は先に立ち上がって不二の前にすっと手を差し出した。 「行こう」 不二は頷いて迷いなくその手を取る。でも・・・。 立ち上がった後、何となく手を放すタイミングがなくて。 手塚も何も言わないから、結局そのまま歩き出した。 いいのかな。このままでも・・・。 チラッと横目で見遣った手塚の顔はいつものようにまっすぐ前を向いていて。 この状況のまま、今を受け入れてるのだと分かった。 いいん・・・だよね。 不二は繋いだその手にキュッと力を込めた。 next / back 手塚はデオドラントスプレーを月に5本買っている―――えらい古い話です。思わず間違いないか調べなおしました^_^;(10.5) でも手塚は臭くはないと思います。石けんの香りってイメージはないけど(笑)。花とかフルーツとかよりも草系や太陽かなあと想像した結果、太陽に軍配が上がりました。でも日のにおいってどんなん?(いい加減・・・) |