LOVE ATTACK 42


ふぅっと音を立てて、不二は溜息を吐き出した。
幾分乱暴に聞こえたそれは、どうやら気のせいではなく、表情も明らかに不機嫌そうだ。
あの家を出る時は不二は笑っていた。ほんの少し浮上したのか、気持ちも落ち着いていたはずだ。
しかし、今は打って変わって曇った顔をしている。
かと言って、それまでの痛ましい様子ともまた違った。
手塚は隣を歩く不二を怪訝そうに見ながら言った。

「何か怒っているのか?」
「別に」

しかし、短い返事もどことなく棘がある。
やはり不二は怒っている。それは確かだが、理由がさっぱり分からない。
手塚は首を捻って、家を出てからここまでのことを考えるが、やはり理由らしきものは思いつかない。
そんな手塚を横目で見ながら、不二は心の内で手塚に牙を剥いた。

手塚の鈍感っ!

手塚が感じた通り、不二は機嫌が悪かった。
けれど、手塚には皆目分からない原因も、不二自身は分かっている。
それは・・・、

不二は開いた自分の掌をじーっと見ながら、もう一度荒々しく溜息を吐き出した。




『行こう』

差し出された手塚の手は大きくて温かかった。
特別な意味などないことは分かっていたけれど。
傷ついた自分を気遣っているだけだということも・・・分かっていたけれど。
それでもその手を放したくなかった。手塚の優しさに身を委ねていたかった。
手塚も何も言わなかった。胸がドキドキした。
二人の間に距離が出来てから、こんな風に手塚にときめくことなんてもうないのだと思っていたけれど。
再び恋する気持ちに胸を踊らすことができるなんて。
例え独りよがりの想いでも、不二はとても嬉しかった。

二人手を繋いだまま歩き出す。
いつまでこうしていられるか分からない。
でももう少しだけこの幸せに浸っていたい。浸っていられる・・・

はずだったのに―――。

『おい、あの金属バットは持ってこなくていいのか?』

手塚が門を出たところで思い出したように言った。
そう言えば庭に放置したまますっかり忘れていた。

『あんなもの、どこで見つけてきたんだ?』

手塚を助けようと、無我夢中で余所様のガレージから拝借してきた。
当然返さないといけないものだ。
ここで思い出せたのは幸いだったが・・・、

『うっ・・・』

不二はがっくり肩を落とす。

どうせならもうちょっと歩いてから言ってくれたらいいのに!

泣く泣く手塚の手を放して、庭に置き忘れていたバットを取りにいった。
そして元の場所に返して手塚のところへ戻ってきた時は、手塚はやはり手を差し出してはくれなかった。

『ねぇ・・・?』
『何だ?』
『だからぁ!』
『?』
『もういいっ!』

不二はぷいっとそっぽを向く。

このウルトラ鈍チンがっ!

例え手塚の気遣いであっても、二人の間に出来上がった柔らかな雰囲気は本物だと思っていたのに。
そこに何らかの感情を期待した自分が馬鹿だった。
やっぱり手塚はどこまでいっても手塚だった。

不二は顔を背けたまま、ドシドシ歩き出す。
急激なその変化に訳の分からない手塚は隣を付いていくしかない。

「何か怒っているのか?」
「別に」

不機嫌そうな溜息と、険のある物言い。
しかし手塚は首をひょいと竦めただけで、それ以上は何も言わなかった。
不二にはそれがまた面白くない。
本当に気にしてくれるならもっと追求してもいいはずだ。
所詮手塚にとっては自分の機嫌など取るに足らないことなのだ。
如何にも興味対象外というそんな態度が不二は実に気にくわなかった。

二人の間にしーんと静かな空気が流れる。

不二はちらちら手塚を確認するが、やはり手塚はさして気に留める様子もなく、いつのもお堅い表情でまっすぐ前を向いているだけで。

でもまあ・・・・・、
この手塚がご機嫌取りのため、あれこれ話しかけてくるというのも違うような気がするが・・・。

不二は何度目かの大きな溜息を吐き出した。

手塚が自分を眼中に入れてないことなど今更だ。
完全な片想い。そんなことはこれまでのプロセスで嫌というほど分かっている。
それでも、手塚が好きで追いつづけて来た。
それに、拗れた関係よりは片想いの方がずっと幸せだ。
つまらない仲たがいはもう二度としたくない。
あんな辛い想いはもう二度と・・・。

不二の足が自然と止まった。そしてゆっくり手塚の方を向く。

「・・・・?」

今度は何だろうと手塚は訝しげに不二の顔を見つめた。しかし、

「今日は・・・ありがとう」

今度は行き成り畏まる不二。手塚は目を瞬いた。
突然不機嫌になったかと思えば、突然頭を下げて礼を言う。
手塚にしてみたら、先程からの不二は摩訶不思議でしかない。

「何なんだ?さっきから・・・」
「ちゃんとお礼言ってなかったから。君は命の恩人だ」

手塚が来てくれなければ今頃は舌を噛み切っていた。
浅はかな決断だったと思う。それでも本気だった。
例え愚かな行為でも、見知らぬ男に乱暴されるより死ぬ方がよかった。
今自分がここにいるのは、全部手塚のお蔭だ。

「本当にありがとうございました」

不二はもう一度感謝の言葉を口に乗せながら、深く頭を下げた。

「そんな大袈裟な・・」

あの気丈な不二が小さい子供のように身体を震わせて泣きじゃくっていた。
余程怖い思いをしたのだろう。
その姿があまりに不憫で自分も胸が痛くなったほど。
しかし、不二が命を投げ出そうとしていたことまで知らない手塚は、その仰々しい振る舞いについ苦笑を漏らしたが、不二の瞳には涙がまた溢れんばかりに溜まっていて、一文字にぎゅっと結んだ唇がその言葉に真実味を与えていた。
一変して手塚が険しい顔つきになる。

「お前何をされたんだ?」
「何って・・・だから・・・無理矢理・・その・・」

強姦されかかったとは言葉に出して言いにくい。
手塚に借りたシャツはきちんと前を止めていたが、不二は無意識に胸元を押さえた。

「いや、それは・・・何となく分かるが、それだけじゃなくて、首を絞められたとか、ナイフで刺されたとか・・・」

手塚は不二の手首を握って食いつくように言った。

「不二!それなら犯罪の種類が違ってくる。今すぐにでも警察に―――」
「ち、違うよ!そこまでされてないよ。・・・っていうか、刺されてたら今こんな風に立ってられないでしょ」
「・・・・・!そ、そうか・・。それもそうだな。すまない、つい驚いて。でもお前・・・」

手塚は不二の全身を上から下まで視線で辿る。
確かに大きな傷は負ってないようだが―――。
それでも命を脅かす何かがあったのだろうかと手塚は気が気でない。
不二を見つめるその顔は僅かに青ざめていた。

一方不二は手塚がそんなに心配するなんて思いもかけず。
慌てて事の真相を話し始めた。

「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃ・・・。ただ、知らない人に辱めを受けるくらいなら、ここで死んじゃおうって思って・・・」

不二はぺろっと手塚に向けて舌を出した。

「・・・っ!」

手塚はそれを見て絶句する。
見て分かるほどに傷がある。真っ赤に腫れたそれは、歯を食い込ませ流血した跡だった。
手塚は瞬時に鬼のような形相になり、大声を張り上げた。

「ばっ、馬鹿者!何を考えているんだっ!」

強く握り締めた拳は怒りの矛先。
そこまで不二を追い詰めた奴らが腹立たしくて仕方が無い。
けれど、どんな理由があろうと自ら命を絶つようなことを考えた不二自身も許しがたい。

「取り返しがつかないことんだぞ!!死んじゃおうなんて簡単に言うなっ!」

不二は何も悪くない。痛みを負って傷ついてもいる。責めるのは筋違いだ。
けれど、不二が一瞬でも自殺を考えたなんて想像すると、手塚の怒りは収まらなかった。

「分かってるよ。愚かなことだって分かってた。でも・・・」
「でもも何もない。命がどれほど大切なものか分かっているのか!お前に何かあったらどれだけの人間が悲しむか分かっているのか!少しは周りのことも―――」
「考えたよっ!僕だって、それくらい・・・考えた・・・でもどうしても嫌だったんだ・・」

不二の瞳から溜まっていた涙がぽろぽろと零れ落ちる。
それでも潤んだその瞳をまっすぐ手塚に向けて、

「好きでもない人となんて・・・君以外の人に触れられるなんて・・・・死んだ方がましだ」
「だからって・・・、って何で俺が・・そこで出て・・?」
「僕が好きなのは手塚だけだもの。手塚以外の人なんてやだ。手塚じゃなきゃやだ・・・」

次から次へと溢れる涙に顔をくしゃくしゃにして、縋るように手塚に言った。

「不二・・・」

不二の自分への恋心がビンビン響いてくる。
まっすぐ逸らす事もせずに直接手塚の胸の扉を叩く。

「簡単なんかじゃないよ。僕の気持ちは、僕は―――」
「あ・・、その・・・分かったから、それ以上は勘弁してくれ・・ないか・・」

あまりの一途さに恥ずかしいやら、居た堪れないやらで、どうしていいか分からず手塚は不二から視線を外した。
顔を赤らめて視線を逸らすなんて、凡そ手塚とは思えない反応に、不二も漸く自分の大胆な発言に気付く。
興奮して手塚に接近していた身体をぱっと離すと、

「ごめん、僕つい・・・」

同じようにかぁっと頬を赤らめる不二に、手塚も気まずそうに言った。

「俺の方こそきつく言い過ぎた。すまない・・・」
「ううん・・・心配してくれて・・ありがと・・」
「いや・・・」

暫くお互い目を合わさずに突っ立ったままだったが、手塚はポケットからハンカチを取り出すと不二にぶっきらぼうに差し出した。

「え・・?」

漸く顔を上げた不二に、手塚はもう一度軽くハンカチを突き出した。

「あ、ありがとう・・・」

不二は手塚からハンカチを受け取って、目元を拭う。
それを見届けてから、手塚は「行くぞ」と一言無愛想に言うと、先に歩き出す。
やはり不二の手を取ることはなかったが、
黙って横を付いてくる小さな足音に手塚の心臓はやたらと早鐘を打っていた。

「何の病気だ・・・」

手塚は胸を押さえながら小さく呟いた。

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それは恋の病っていうんですよ、手塚くん。
連載当初はできるだけ原作の手塚に近くしようと、あくまでもストイックに、ラブ要素はあまりいれないつもりだったんですが、やっぱり手塚がフジコにときめき出すと楽しいですね〜。もう何でもいいや。精一杯振り回されて!手塚くん。
しかし、終わる終わると言っておきながら、一体いつ終われるんだろうか・・・。
次は裕太くん登場です。こっちも長かったすれ違いに漸くピリオドが・・・・打てますように、私!(頑張れ・笑)。