LOVE ATTACK43


「少し遅くなってしまったな・・・」

手塚はすっかり夜の色に染まった空を見上げて言った。

「ごめんね、付き合わせちゃって。お母さんきっと心配してるね」

不二は心苦しそうに言う。
さすがに一人で帰るとは言えなくて、結局手塚をずっと付き合せてしまった。
しかし、不二の心配とは裏腹に家にいる母を想像して手塚はクッと喉を鳴らすと、

「そうでもないさ。『たまには遊んで来い』というような人だからな」

不二は以前お邪魔したときの手塚の母親が、模範を絵に描いたような息子がつまらないと、不平を垂れていたのを思い出した。
確かにあのお母さんならそんなことも言いそうだが。
それでも普段の手塚が真面目だからこそ飛び出す台詞だ。
のんびりと構えていられるのは、手塚なら心配を掛けるようなことはしないと分かっているから。

「普段まっすぐ家に帰ってくる人が、黙って遅くなったら気になるものだよ。電話だけでも―――」
「ああ、後で入れておくから」
「・・・・」

さらっと流すように畳み込む。
そんな無頓着な返事をする手塚に、不二は意外な一面を見た気がして一瞬言葉を止めるが、
自分が原因なだけにこのまま放って置かれるのも気が咎めると、もう一度話を引き戻した。

「今した方がいいってば。怒られたら僕に代わってよ。僕を送ってくれてるからだって説明するから」
「別に真夜中になったわけでもあるまいし」

しかし、手塚はやはり軽く受け流すだけで、気に止める様子も見せない。
模範を絵に描いたような・・・ではなかったのか。
もちろんふらふら遊び歩いているのとは訳が違うが、家に待っている人を顧みないのもどうかと思う。
手塚らしからぬ呑気な台詞に不二は短く溜息を吐くと、

「男の子ってそういうものなの?」

半ば呆れ口調で口にしたのだが、手塚は悪びれる様子も無く「そういうものだろう」と返答した。

「お前の家は違うのか?弟がいるだろう」

おまけにそんな質問までされて不二は首を捻った。

「どうだろう。裕太は中学から寮に入っているから分からないや。でも、もしそんなことしたら僕は許さないな」

当然のように不二は言う。
しかし、保護者のようなその台詞に手塚は目を丸くした。

「お前が、許さないのか?」
「そりゃあ姉だもの。然るべきことは教えなきゃ」

胸の前で拳を作って、自分の言葉に自信たっぷりに不二は頷くが、手塚はうーん?と考える仕草を見せた。

「何かおかしいかな?」
「いや、おかしいというか。随分信用がないんだな。血の繋がった弟だろう」
「弟だから、だよ。家族が道筋を作ってあげるものでしょう」
「間違ってないとは思うが・・・、兄弟なんて一緒に羽目を外すから楽しいものじゃないのか?」

手塚には兄弟はいない。その関係性や度合いがどういうものかまでは分からない。
だが、時にふざけ合い、時に庇い合い、そんな関係が羨ましいと他人を見て何度も感じたものだ。
プラスもマイナスも含めて同じ目線で時を過ごせるのが兄弟のいいところなのではないのだろうか。

「それに、お前が一生側にいるわけにもいかないだろう」
「それは・・そうだけど。でもまだ中学生だし」

中学生だから言っているのだ。
自分がまさに今その時期だからこそ分かる。
導かれるだけでなく、自分でも判断すべき年齢だ。
そして、自覚ももちろんだが、周囲の理解が最も心強い助けになる。それがなければ踏み出すことが戸惑いに変わる。
不二のことだ。頭ごなしに厳しくするというよりは、子離れできない親のようにあれこれ世話を焼いているというところだろう。
日頃の不二のあり方を思えば目に見えるようだ。
実の弟となれば尚更その傾向も強い。
それだけ不二にとって譲ることのできない大切な存在なんだろうが、兄弟関係の在り方は部活動とは違うはずだ。
手塚は小さく溜息を吐いた。

この姉にしてあの弟ありか。

反抗していると見えて実は姉離れが出来ない弟と、一つしか違わない弟をいつまでも幼い子供のように構う姉。

矛先は俺に向けろと言ったものの、考えてみれば迷惑な話だ。
互いの想いがぶつかり合って良からぬ方向へ弾かれているだけではないか。
バカップルならぬバ家族だ。
不二もあの弟もちょっと考えを変えてみれば、見えてくるものがあるだろうに・・・。
勝手にやっててくれと言いたくなるが、今度は不二の力になりたいと思ったばかりだ。
それなら見方を変えてやることが今できる自分の役割ではなかろうか。

「母が俺に遊んで来いと言うのは、自分の責任で行動してこいと言っているのだと理解している」
「自分の?」
「ああ。だから、俺が考えた上で取った行動なら、例え結果がよくない方に動いても母は俺を責めたりはしないだろう」

不二はきゅっと唇を噛んだ。
手塚が何を言いたいのか何となく分かったからだ。
裕太が成長していることくらい本当は分かっている。何かと反抗心をぶつけてくるのもきっとその証。
それでも大切な弟であることは一生変わらない。自分が姉であることも。

「越前くんは母親は口うるさいものだって言ってたよ。手塚のお母さんはきっと特別なんだよ。っていうか、君がそういう人だからじゃないのかな」

認めたくないだけかもしれない。
だから、少しでも自分は間違ってないと思えることに縋ってしまう。
不二は以前越前と話していたことをここぞと手塚に言った。

「否定はしないが。遊んで来いと言われても実際何をすればいいのか分からないからな。でもそれを言うなら弟を諭す役目はお前ではなく母親だろう?いくら姉だと言っても同じような年の人間にいつまでも庇護されるのは弟も本意ではないと思うが。彼にも意思があるだろうからな」
「う・・ん・・」

それでも手塚が言っていることは一つ一つ筋が通っていて。
逆らいたくてもそれ以上の言葉が見つからない。
けれど理屈じゃない。どこまで行っても心配で仕方がない。
その手を放すのが不安なのだ。
そんな気持ちをどうやって伝えたらいいのか。
手塚にではない。他人に分かってもらおうとは思っていない。
けれど、一番伝えたい相手に理解されないまま、随分時が流れてしまった。

二人の間に重たい空気が流れ出した。
思いつめたように苦い表情で考える不二を見て、

「すまない、話が逸れてしまったな」

手塚は事を急ぎすぎたと一先ず話を区切る。
一度に言って分かることでもないだろう。
急ぐ必要はない。無理強いするつもりもない。
そもそも不二自身で切り替えないと傍から口を挟んだところで何も意味がない。
それより今は・・・。

「そんなことより、お前こそ家に連絡しないままじゃないか。俺の心配より自分のことを―――」

不二の精神状態ばかり気になって、言われるまですっかり忘れていた。
それこそ男の自分とは違うのだ。家ではさぞかし心配しているだろう。

「携帯失くしちゃったみたい・・・。バスに乗ってから気付いたんだけど」
「・・・!」
「やっぱりあの家かなあ・・」

探しに行くのは正直躊躇うところだ。
男達がまた現れるかもしれないと思うと・・・、いや、多分あの付近に行くだけで、悪夢のような出来事が蘇って足が竦むだろう。
思い出すだけでも、胸を押さえ込まれたように息苦しいのだから。

「買い変えようかな」

まだ新しかったんだけど・・と迷いを見せる不二に、手塚が「その必要はない」とばつが悪そうにポケットから手を出した。
掌に乗っているのは白い携帯電話。見覚えのあるストラップに不二は声を上げた。

「何で手塚が持ってるの!?」
「あの家の門の前で拾ったんだ。すまない、すっかり忘れていた」

不二は中に連れ込まれそうになった時のことを思い浮かべた。
自分を掴む男の手を剥がそうと必死で抵抗した。きっとその拍子に落としたのだろう。

「・・・そっか。結構暴れたから」

抵抗する不二を無理矢理抑え込んで連れて行ったのだろう。
手塚はその時の状況を想像して、また不快な気持ちに襲われる。
しかし、不二が暴れて携帯を落とさなければ素通りしていたと思えば、不幸中の幸いだったのだ。

「お蔭でお前が見つかった」
「よく僕のだって分かったね」
「音が鳴ったんだ。俺が掛けたと同時に鳴って、切ったら止まった」

不自然に落ちていたラケットに異様な気がした手塚は何度も不二に電話を掛けた。
電話を掛けながらバス停までの道を往復しているうちに、どこからかメロディーが聞こえてきた。
耳を掠めるほどの小さい音だったが、確かに聞こえたのだ。何かと思って電話を切るとその音楽も鳴り止んで。
まさかと思ってもう一度不二の番号を押した。そうすると確かにまた同じメロディーが流れ出すのだ。
手塚は音を頼りに辺りを見回した。そしてとうとう見つけたのだ。

「俺の名前が表示されていた」

手塚は携帯の表面にある小さなウィンドウを指さしながら言う。

「何で突然君が現れたのか不思議だったんだけど・・」

最期と思った瞬間に思い浮かんだ人が目の前に現れて、驚いたと同時にこれは神様が導いた運命じゃないかと、ちょっぴり夢を見たのだけれど。

そんな種明かしがあったんだ。

不二はくすっと苦笑いをした。

それでも落としたラケットを手塚が見つけて。
それをきっかけに電話を掛けて。
その電話を着信している携帯をまた手塚が見つけて。
やっぱり神様が見方をしてくれたのだと思えてしまう。手塚に見つけてやれと、信号を出してくれたのだと。
不二は奇跡のような展開に心の中で感謝をした。

「すまないな。もっと早く気付けばよかったんだが」

不二の状態を考えると、自分が代わって電話を掛けるべきだった。
配慮が足りなかったと手塚は反省するが、今更どうしようもない。
事情が事情だ。きちんと説明すれば分かってくれるだろう。

「何で手塚が謝るんだよ。僕が原因なのに」
「そんな言い方するな。お前が悪いわけじゃないだろう。家の人も分かってくれるさ。俺からも話してやるから」
「大丈夫だよ。それこそ真夜中になったわけじゃ・・・って、そんなこと話したら今日のことばれちゃうじゃない」
「・・・・は!?」

ばれちゃう?・・・何が?
意味の分からない台詞に、手塚の眼鏡の奥にある双眸が、二・三度瞬きを繰り返した。

「ちょっと気が引けるけど、時間が経つのも忘れて、友達とお喋りに夢中になってたとでも言っとくか」
「な・・んだと?」

一瞬聞き間違えたのかと思ったが、不二は当然のように考えた言い訳を口にする。

「悪いけど、巻き込まれついでにその相手になってくれる?」

その上、その嘘に手塚を便乗させるつもりらしい。

「お前、何を言ってるんだ?まさかと思うが本当のことを言わないつもりか?」
「何・・・?君、今日のこと正直に話すと思ってたの?」

きょとんとした顔で、手塚を見上げる不二。
あまりに呑気なことに手塚は大声を張り上げた。

「あっ、当たり前だろうっ!お前、事の重大さが分かっているのか。これは一種の犯罪なんだぞ。きちんと話をして警察に通報するかも判断してもらわないと・・」
「警察なんて!」

不二は不穏な単語にふるふると首を振った。
もう終わったことだ。確かに未だに恐怖は拭えない。けれど結果的には何もなかったのだ。
出来れば穏便に済ましたい。黙っていられるならその方がいい。
あんなこと、全部説明するなんて堪えられない。

「だって、何て言ったらいいのか・・・」

不二は自分を抱きしめて身を縮めた。考えるだけで震えが襲ってくる。
手塚もその様子に一瞬言葉を飲み込んだ。
不二の気持ちも分からないではない。
男に襲われかかったなど、口にするのも憚られるだろう。
だが、こうやって思い出しては身体が震えている現状が、誤魔化してやり過ごせることではないと物語っている。

「せめてご両親には相談した方がいい。一人で抱えていられる問題じゃないぞ」
「父さんは今イギリスにいるの。女ばかりだし、母さんはそんなに気丈な人じゃないから・・・」

オロオロと取り乱して大騒ぎするのが見えている。
ただでさえ、主のいない家庭で子供を抱えて一人踏ん張っているのだから、心配は掛けたくない。

「だがその姿は何て説明するんだ。転んだなんて通用しないぞ」
「それは・・・。でも、母さん単純だし。上手く誤魔化せると思う・・。お願い手塚、今日のことは黙ってて欲しい。お願い・・・」
「不二・・・」

そんな風に哀願されたら、どうしていいものか手塚も考えてしまう。
ダメだと言い切りたいところだが、内容が内容だ。不二の気持ちを考えたら下手に騒がれたくないのも分かる。
しかしこのまま無かったことにするにはあまりにも事が大きすぎて。

家のすぐ近くまで帰ってきているというのに、そこで足が止まってしまった。

関わってしまったとはいえ、自分はあくまで部外者だ。
本人が嫌がることを強行するわけにもいかない。
しかし、このままでは不二はきっと有耶無耶にして終わらせてしまうだろう。
そんなことをしたら不二は傷を一人で背負わなければならない。
不二を側で護りながら、ケアできるのはやっぱり家族が一番ではないのだろうか。
手塚は迷った。しかし考えても簡単に答えなど浮かばない。

どうしたらいい。
不二にとって一番最善なのは一体―――

その時―――、

「こんな時間まで何やってたんだっ!」

辺りに響き渡る怒鳴り声。
聞き覚えのあるその声音に手塚はゆっくり視線を移した。
こちらに向かって、ドカドカと如何にも怒っていると言わんばかりの足音が近付いてくる。
暗くて顔がよく見えないが、それが誰であるかは不二も手塚もすぐに分かった。

「裕太」
「連絡もしないで心配するだろっ!っていうか、中学生が男と出歩く時間じゃねぇよな!」

男が手塚だということは裕太も分かって言っているのだ。
厳しい視線を手塚に向けつつ、敢えて遠まわしな言い方をする裕太に手塚は「はぁっ」と嘆息した。

本当にやっかいな姉弟だ。

「裕太くん、これには事情が・・」
「手塚っ!」

口を開きかけた手塚を不二は慌てて止める。

「不二、気持ちは分かるがやはり俺は―――」

話すべきだと思う。
どうするのが不二にとって一番にいいのか、判断するのは難しい。
だが、それを決めるのは自分ではない。例え心配を掛けることになっても家族で考えてもらうべきだと思う。
そう決断した手塚は不二を説得しようとするが、

「ちょっと待って」

裕太が割って入るように手塚を遮る。そして、目を細めて不二をじっと見つめた。

「ちょっ、ちょっとこっち来いよっ!」

だしぬけに不二の手首を握ると、街灯の下まで引っ張った。

「痛い、裕太っ!・・・放し―――」
「何だよ、それはっ!!」

裕太は不二の手を振り払って言った。
明かりに灯されてはっきりと目に映った姉の姿は、上から男物のシャツを着込んでいるが、尋常でないことが一目瞭然だった。

「なっ、何でもないよ。ちょっと転んで・・・」

手塚は額を押さえた。
それは通用しないと言ったばかりなのに。
しかし手塚が言うまでもなく、

「そんなわけないだろっ!一体何があったんだよ。・・・っ!まさか、誰かにやられたのか?」
「・・・・・」
「そうなのか?・・・おい、何とか言えよ」

裕太は震えながら不二の肩に手を置いた。
まさか弟がそんな反応をするなんて思いもしなかった不二は次の言葉が出ない。
しかしそれがますます裕太を追い詰める。
沈黙の時間が緊迫した空気を作りあげ、妙な焦りと緊張が混ざり合う。
いつまでも黙っている不二に苛立ちを放つように裕太は声を張り上げた。

「ちゃんと答えろよ、周っ!」

不二の肩に置かれた裕太の手がぐいぐいと食い込んで痛い。
凄い力に支配されて不二は成す術もない。

こんな弟は初めてだ。
間近で見る裕太は怖いくらい真剣な目をしていて。
その力は掴まれると動けないほど強く。
こんなに大きな子だっただろうか。いつの間にここまで力の差ができていたのだろう。
まるで自分が叱られている子猫のようにさえ思える。

これでは立場が逆だ・・・。
いつでも諭すのは僕の役目なのに。

おでこから血が出てるじゃない!誰にやられたの、裕太?
泣いてたら分からないよ。僕に言ってごらん
友達と喧嘩したの?大丈夫、仲直りできるように話してきてあげる
裕太、こっちおいで。裕太、裕太―――


「ちが・・う・・」

こんなのは違う。
弟に心配されるなんて違う。
護るのはいつだって自分の方だ。これまでも、これからも―――。

不二の顔がすっと変わった。
まるで戸惑いと焦りを隠すように、目を細めて綺麗に笑ってみせる。

「転んだって言ったでしょう。ちょっと派手にやっちゃっただけなの。だから心配しないくていいよ」
「見え透いたこと言うなよ。それのどこが―――」
「何を言ってるの。病院の帰りに手塚に会ってつい喋りこんたら遅くなったんだ。暗くて見えにくかったし足滑らせて階段から滑ったの」

不二は頭の中で作った言い訳を、くすくす笑いながら一つに繋げていく。

「ほら、バス停降りたとこの地の階段、裏道だけどあそこ通ると近いでしょう。手塚と一緒だったし、暗くてもいいかと思ってそっちに行ったの。でも、舗装されてないし木も茂ってるじゃない。落ちる時あっちこっちに引っ掛かってさ。これは手塚のシャツ。そのまま帰ったらそうやって心配すると思ったから借りたのに―――」

帰り際の出来事としてストーリーが出来上がっていく。遅くなった言い訳もさらっと組み込まれていて。
よくこれほど最もらしく話せるものだ。
淡々と説明する不二からは、恐怖に怯えていた姿を想像することさえ出来ない。
手塚はその事実に唖然とした。

こいつはいつもこうやって顔を作っているのだ。

そこに自分がなかったらリアリティなんて生まれるわけないよね。

そうだ、例え心から愛しんでいても、不二自身がそこにいなければ、その心は伝わるものじゃない。

伝わらないんだ、不二―――

「もうやめろ」

手塚は雄弁に語る不二の腕を取った。

「な・・に?」

突然捕まれて、不二は驚いて手塚を振り返る。
見上げたその顔は何故か酷く辛そうで。
それでも手塚ははっきりと言った。

「嘘で自分を誤魔化すのは、もうやめろ」

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回によって長さの違う話だこと・・・^_^;
区切る場所がありませんでした。裕太との絡みも次回へ延期・・・(懺悔)。本当に終わる気があるんでしょうか。頑張れ私。
次回は回想シーンからスタートします。