今日も快晴。
日中の日差しは眩しく、見上げると自然と目を細めてしまう。
けれども、まだ夏のそれには僅かに及ばない。
木蔭に移動すると、うっすらではあるが春の風を感じることができた。

「たまにはこんな風にのんびり過ごすのもいいか」

心地よいその温度に身を委ねて、不二は庭の一角に置いてあるベンチに腰を下ろした。
毎日部活部活で、春の日を楽しむ余裕なんてなかった。

「こんなに気持ちいい季節なのにね」

汗と土の臭いに塗れて毎日が過ぎていく。
季節の情緒も味わえぬまま、時が流れているのは少し淋しい気もする。
でも、青春時代なんてそんなもんかもしれない。
一瞬一瞬が我武者羅で、その存在すら気付かずに通り過ぎてることも多分いっぱいあるだろう。
だからこそ、せめて目に留まったものには一生懸命でありたい。

勉強も部活も、恋愛も・・・・。

LOVE ATTACK45

「ちょうど真っ最中か・・・」

たった今、のんびり過ごすのもいいと思ったばかりなのに、不二は学校でやっているだろう部活を思って溜息を吐いた。
今日は短縮授業で、たっぷりテニスができると張り切っていたのに。

すべて昨日の一件が尾を引いている。
手塚のお節介で何もかも家族に話さざるを得なくなったのだが、
怒りを露わにして警察に通報すると決めたのは、一番取り乱すだろうと思っていた母だった。

『ちょっとお母さん、周の今後のことも考えて。悪い噂にでもなったら―――』

一番懸念されるのはそこだ。
もし表沙汰にでもなったら、隣近所や学校で特別視されるのは目に見えている。
普段は血の気の多い姉の由美子の方が戸惑いを見せた。

『大丈夫よ。もし何か言う人がいたら、私がその口を封じに行くわ』

微妙にその場を凍らせる発言をする母に、不二は決心したかのように言った。

『僕、自分で警察に行く。このまま放っておくのはやっぱり悔しいから』

家族に心配掛けたくないと隠しておこうと思ったが、思わぬ母の逞しさにそんな自分がちっぽけに思えた。
それに裕太―――。
手塚から話を聞いてからずっと自分の横から離れようとしない。
それは幼い頃ように、側にいないと不安だからではなく。
側にいるから安心しろという、まるで正反対の行為。
いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
何を置いても護ってやろうと思っていた彼に、今は自分が護られている。
ほんの少し面映いが、心がほんのり温かくなって心地よかった。
勝手に背負っていた二人分の荷物、でも、いつの間にか裕太は、全てを預けてもしっかりと前に進める強い子に成長していた。

父の分まで家族の長として、決断を下せる母。
男として、皆を大きく見守れる弟。
そして、自分の中の女の部分は姉が分かってくれる。

こんなにも素晴らしい絆で結ばれている家族だから、自分も逃げてはいけないと思った。
逃げる必要もない。

『俺が付いて行ってやる』

当然と言わんばかりの裕太に不二はくすくす笑いながら『うん』と言った。

さっきまであんなに尖がっていた不二が、今はやけに素直な態度を見せていて。
人との関係なんて、何がきっかけで動くか分からないものだと手塚は思った。
自分と不二の出会いが姉弟に亀裂を作ったように、この事件が結果的に二人を再び通わせた。
不二が支払った代償は決して小さくはないが、良い事もあったと思えばまだ救われる。

不二と裕太の穏やかな様子に手塚は胸を撫で下ろすと、受話器を握って通報準備万端の不二の母親に言った。

『祖父が警察に顔が利くので、配慮してもらえるよう頼んでみます』






******





「ああ、テニスしたーい・・・」

手塚の祖父の口利きで、警察が表立って不二家を訪れることはなかったが、その分警察署に出向いて事情聴取を受けることになった。
状況を説明するために現場にも同行させられ、家に帰ったのは夜も更ける頃だった。
心身ともに疲れれているだろうと母が学校を休ませたが、当の不二は思いの外元気で、テニスがしたくてうずうずしていた。

ストレス発散もできたのに・・・。

ゆったりと時に身を任せるのも悪くはないが、汗に塗れて毎日を過ごしている方が自分の性には合っているのかもしれない。
自分を改めて顧みたようで不二は苦笑した。

汗と言えば思い出すが・・・。

「ぶっ―――」

昨日の手塚の慌てっぷりったらなかった。
完璧な仮面の裏に意外な弱点があったものだと、驚くと同時に可笑しくて仕方がない。
普段は可愛くないほど動じない手塚が、気にしていることが「体臭」なんて!
尤も本当に臭いわけではないのだが、いらぬ心配をしているところがまた面白い。

不二は一人ゲラゲラ声を立てて笑った。

「元気そうだな」
「・・・・っ!」

突然の声に驚いて振り返ると、まさに思い浮かべていたその顔が目の前にあって。

「て、手塚・・・」

愛想もくそもない顔でじっと見られると、今考えていたことが全部聞こえていたようで、不二は慌てて口を手で塞ぐ。

「どっ、どしたの、部活は?」

誤魔化すように咄嗟に質問を投げかけると、

「今日休んでいたから・・・」

手塚にしては珍しく、主語もないまま尻切れに答える。
それでも不二は何が何を休んでいたのかすぐに理解した。

「そんなことで部活サボっちゃったの?」

責めているのではない。
不二は純粋に驚いたのだ。
手塚の中にサボるなんて文字が存在すること自体信じられなかった。

「来る前に病院に行ってきたからサボりではない。先生にも許可をもらっている」
「でも、昨日行ったばっかじゃ・・・」

手塚が通う病院は不二が紹介した。
もともとは裕太の為に探した病院だったのだが、日曜に診察を行っているのもあって、怪我を悟られたくない手塚にもちょうどいいと思ったのだ。
手塚も有難いと言っていたはずなのに。

「ごめん・・・」

思った以上に心配を掛けているようだ。
手塚が部活を休んでまで自分の様子を見に来てくれるなど思いもよらなかった。
けれど不二は嬉しい以前に申し訳ない気持ちになる。

「サボりではないと言っているだろう。ついでに寄っただけだ」

確かに理由があればサボりにはならないかもしれないが。
そんなこじ付けをしてまで・・・・

「・・・って、ちょっと待って!」

不二は手塚の顔をまじまじと見た。

「病院に行くって先生に言ったってこと?」

不二の問いかけに手塚は気まずそうに「ああ」と小さく答えた。そして、

「皆ももう知っている。もう、と言うか以前から気付いていたようだ」
「以前・・から・・?」

驚きと戸惑いを含んだ物言いが手塚の耳に届く。
あれほど強く誰にも言うなと口止めしておいて、その結末がこれだ。
不二の自分への気遣いも全部骨折り損に終わったことになる。
不平をぶつけられるのは承知の上だ。

手塚は神妙な面持ちで不二にもう一度向き直る。

「すまない。結果的にお前には無意味な気苦労をかけていたことになる」
「よかった」
「・・・え?」

手塚は顔を上げて不二を見た。
恨み言の一つも返ってくると思っていたのだが、そこにあるのは一片の曇りもない満面の笑み。

「よかったね、手塚。これでもう一人で頑張らなくていいよ。よかったね」
「不二・・・」

不二は何度もよかったと繰り返す。
不二の心底安堵する様子からも、その想いが伝わってくる。
身体だけではない。心の負担まで気にしてくれていたのだ。

一人で頑張らなくていいよ。

その言葉が証明している。
そうだ。先の見えないことに一人で怯えているほど不安なことはない。
それは、不二の存在が教えてくれたことだ。

「皆が知っていたことを抜きにしても、俺は一人で頑張っていたわけではなかった。お前が・・・いてくれたからな」
「・・・・」

まさかそんな台詞が返ってくるなど思いもしなかった。
手塚にとって自分などいらない存在だと思っていた。
腕の不具合に気付いてしまったことが、そもそも手塚にとって迷惑だったのだと。

「僕は・・・」

なんて答えたらいいのか、不二は戸惑った。
そう言ってもらえて嬉しい。でも面と向かって言うのはほんの少し照れくさい。
それに、手塚にしたら辛い日々だったことに変わりはない。
手放しで喜べることでもなかった。

「そうだな。今更こんなことを言っても信じてもらえないのは仕方がないが・・・」

不二が次の言葉をなかなか発せないでいると、手塚は随分消極的な台詞を口にする。

「そ、そういうことじゃ・・・」

不二は慌てて否定するが、それは手塚が不二に今最も伝えたかった本題だ。

「今日ここに来たのは―――」

手塚はほんの少し間をおくと、不二の目を真っ直ぐ見つめる。

「もう一つお前に謝らなければならない。昨日俺があの場所にいたのはそういうことだ。結局話せないままになってしまったが」

とてもそんな状況ではなかった。
だからと言って、有耶無耶にしていい問題ではない。
一分、いや一秒でも早く不二に詫びたいと思ってやって来た。

「俺は勝手な思い込みでお前に随分酷いことを言った。本当に悪かったと思っている」

手塚は不二に深く頭を下げた。

人の上に立つのが似合う人。
その彼が今自分の目線よりも低い。
不二は黙ってその様子を見つめた。手塚も下げた頭を上げようとはしない。
手塚の反省は不二にも痛いほど伝わってくる。
ただ、手塚が自分に言ったことは、まるで録音されたテープが何度も再生されるかのように頭の中で今も尚聞こえてくる。
不二はそれを静かに口にした。

「同じテニスをするプレイヤーとして最低だ。人としても信じる事が出来ない・・・・か。確かに酷いよね。あれにはさすがの僕も泣かされたよ」

頭の上から降ってくる不二の声は冷ややかで。

自分の勘違いで不二を卑怯者呼ばわりしたのだ。
どんなに詰られても仕方がない。だが、こうも冷静に言われると覚悟の上でも落ち込んでしまう。

「佐伯から聞いたの?昨日会ったってメールが来てた」

メールには治療の経過報告と病院で偶然に会ったことしか書いていなかったが、その時裕太とのことを聞いたのだと思ったら、昨日の手塚の執拗なお節介にも納得がいった。

「佐伯を悪く思わないでくれ。俺が無理矢理聞きだしたんだ」
「そんなことはどうでもいいよ。それより君が裕太と自分を勘違いして、一方的に僕を罵倒したって話でしょう?」

辛口の返答だった。それでも厳粛に受け止めなければならない。
自分はそれ以上に不二を深く傷つけたのだから。
これは当然の報いだ。

「ああ。弁解の余地もない。勘違いも然ることながら、馴れ合い試合を仕組むほど、お前が俺を心配していると思うことが、そもそも図々しいことだったと反省している」

不二にとって何よりも大切な弟。その存在と自分を一緒にしていたことに恥を覚える。
まして試合相手は不二の幼馴染。彼もまた不二にとって掛け替えのない存在のはず。
そこを犠牲にしてまで、自分を優先するなど有り得ないことだったのだ。

「全くだね。手塚なんかのためにそんなことするわけないのにさ」
「・・・・っ!」

手塚の心臓にぐさっと見えないナイフが刺さった。
不二の言い分は尤もだし、厚顔だったと反省したのも今。
しかし、その一言は手塚にかなりの打撃を与えた。

「め、面目ない・・。気が済むまで難じてくれ」
「そうだね。僕が傷ついた気持ちを君も味わうべきだ」

不二の厳しい声音が手塚をねっとりと責め立てる。
その度に手塚の身体はぴくりぴくりと揺れた。
不二はその様子を冷静に見下ろしながら思う。

面白い・・・。

冷たい言い様とは裏腹に、不二は手塚の反応を実は楽しんでいた。
こんな手塚を見るのは初めてのことで。
新たな発見をしたようでもっと観察してみたい。
わざとじわじわと甚振りながら、手塚で遊んでいた不二だが、
手塚は突然思い切ったようにガバッと顔を上げた。

「そうだ。この際殴ってくれて構わない。思い存分やってくれ」
「はっ・・!?」

手塚は持っていたテニスバッグを下に置くと、無抵抗を示しながら不二の前に立つ。
さすがにそこまで言い出す手塚に不二は一瞬目を見開いた。

「な、殴るって、パーで?それともグーとか・・・?」

不二は自分の掌を手塚に向けて、開いて閉じてを繰り返す。

「それはお前に任せる。なんなら蹴り飛ばしてくれても―――」
「ちょっ、ちょっと、冗談でしょう。ってか、僕はこれでも女の子なんですけど!」

いくら女の子らしいとは程遠くても、蹴り飛ばせはないと思う。
不二はぷっと頬を膨らませるが、手塚の目は至って真剣で。
これはどうやら反省しすぎて何を言っているのか分かっていないのだろう。
全く、固い男だなあ。
不二はやれやれと頭を掻くと、

「嘘だよ、嘘!あんまり真面目に取らないでくれるかなぁ。これじゃ僕、本当に悪人みたいじゃん・・」
「そんなことはない。お前の言い分は尤もだと・・・」
「だからぁ・・・ちょっと意地悪く言ってみただけなの。僕は怒ってなんかないし、まして暴力で仕返ししようなんて考えたこともないんだから!」
「しかし、それでは俺の気がすまない。これで許してもらおうなんて思ってるわけではないんだが、せめて現実の痛みを与えられるべきだと思う」
「えっと、だからさ・・・」

面白がって言い過ぎた・・・。
いつの間にか、「暴力で報復」案が手塚の中で可決されている。
要するに手塚は相当の償いをしないと気がすまないらしい。
却下したところで、次はどんな過激なことを言い出すか分からない。
仕方ない・・・。

「分かったよ。そんなに罪滅ぼしがしたいならしてもらおうじゃないの!」
「そうか、では―――」

不二の言葉に、早速手塚は腰を屈める。
不二が殴りやすい(蹴りやすい?)高さに身体を調節しようとしたのだが、

「ちょっとちょっと・・・」

だから女の子だってば!!
心の中で不平を垂れながら手塚を起こすと、

「何をしてもらうかは僕が決める。その権利くらいあるでしょう?」
「それは、そうだが・・・」

他にどんなことがあるだろうか?
手塚は不二を怪訝そうに見つめながらも黙って不二の出す結論を待った。
そんな手塚に向かって不二はにやりと口元を斜めに上げる。
そして、きっぱりと言い切った。

「君には僕の恋人になってもらう」


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