スパーン、スパーンと耳慣れた心地よい音が響いた。

そう言えば、あの日もこんな音が聞こえてきて。
何か予感めいたものを感じて、その音の行方を必死で探した。
満開の桜の側で見つけたそれは、まだ新しい体操服に身を包んだ小さな少年。

「見つけた」

ぽつりと漏らした言葉の意味は、ただ音の正体が分かったというのではなく。
明らかにその瞬間に自分の青春が見つかったと思ったのだ。


LOVE ATTACK48


「青学のコートに似てる・・」
「そうか?」

テニスの強豪校、青学の設備はさすがに恵まれている。
市民には無料で貸し出されている公園内のコートは、お世辞にも万全な整備が成されているとは言いがたい。
それでもテニスをすることに特に問題はなく。
無料が人を呼ぶのか、三面あるコートは全て埋まっていた。

「うん、似てるよ。ほら!」

不二はコート脇にある大きな木を指差した。
今は季節ではないが、春にはこのテニスコートにも満開の桜が咲くのだろう。

「青学にもコートの側にも大きな桜の木があるでしょう」

その木の下でコートに立つ手塚を見るのが好きだった。
中学卒業後、手塚がどんな進路を選ぶか分からないが、桜舞う中、あの場所で手塚を見ることはもうないだろう。

手塚は今は緑に姿を変えているその木に目をやった。

「ああ・・・、ここもきっと春は悩まされるんだろうな」

桜が咲き乱れる一週間は、花弁がコートに積もって掃除が大変だ。
何しろ掃いても掃いても次々に舞い落ちてくるものだからきりがない。
美しさもテニス少年の前に出ると、やっかいものでしかないようだ。
自分とは違って手塚の台詞はやけに現実味がある。
不二はくすくすと笑った。

「笑い事じゃない。女子のコートはそれほど影響ないから分からないんだ」

そうかもしれない。
コートに舞う桜吹雪が、春独特の情緒に思っていたこと自体傍観者である証拠だ。
事、男子部の掃除に関しては、「毎日ご苦労様」程度にしか見ていなかった。
けれど、手塚がそれを不服に思っていた事実がちょっぴり可笑しい。

自然の摂理だ、仕方がない。

そんな風に割り切りそうなのに。

「そうだよね。嫌なものは嫌だよね」

不二は手塚にふっと笑みを向けると、再び視線をテニスコートに移した。

「で、お前はこれからどうしたいんだ?テニスを観にきたわけじゃないんだろう」

不二の思うままに。
そう決めた手塚は、不二の希望を問う。

「そうだね。もうちょっと人気のないところに行きたいかな」

手塚を振り返らずに不二は答えた。

「君と二人だけがいい」
「ああ」

不二の言っている意味が分かっているのかいないのか。
とにかく手塚は、不二に抗う気はなかった。

「行こう」

不二の手を取って、手塚は歩き出す。
打球音は背後で少しずつ小さくなっていって。
二人は自然を散策できるように作られた園内のプロムナードに出た。
テニスコートがある辺りとは違って、そこは静かな空気が流れている。

「涼しくて気持ちいいね」

そろそろ日中の暑さが和らいでくる時間帯だ。
緑が豊かでどこからか川のせせらぎも聞こえてきて。
人工で作られた公園と分かっていても、ここが都会のど真ん中だということを忘れそうになる。

「ね、見て!白い露草なんて珍しい」

不二は脇に咲いている小さな花を指差した。

「そうなのか?」
「うん。普段よく見るのは青い色でしょう。午前中だとね、もっと開いてて可愛いんだよ」

愛しそうにその小さな花の説明をする姿は素直に可愛らしいと思う。
花を愛でるのが女性らしいと言うのは少々御幣があるが、こういうところは自分とは違う性を持っていると感じてしまう。
不二ならコートに舞い落ちる桜の花も春の美と賞賛しそうだ。

「もっと奥へ行くか?」

周囲を見渡すと、先ほどまで賑わっていた人の群れも随分まばらになっていた。
だが、日曜日の公園でさすがに誰もいないわけではない。

二人だけがいい。
そう言った不二の希望を叶える為に手塚は言うが、

「この辺りでいいよ。誰も僕達のことなんて見てないし」

ほら、と不二は手塚に目配せをする。
その視線の先を追ってみると、

「・・・・・」

手塚は目が点になる。
周囲にいるのは殆ど若い男女のカップル。

健全に自然を楽しもうという奴は一人もいないのか。
まだ日があるうちから、全く、けしからん!!

人目を憚らずいちゃつく恋人達に手塚は心の声で叫んだ。
深く眉間に皺を寄せて立つ手塚が何を考えているのか大体想像はつく。
不二は宥めるように言った。

「仕方ないよ。ここはデートスポットでちょっと知られてるからね」
「デートスポット?」
「元はそんなつもりで作られたんじゃないだろうけど、勝手な噂が広まっていつの間にか『ラブエリア』なんて言われるようになっちゃったんだ。もっと南側に行けば家族連れや散歩に来ている人がたくさんいるはずだよ」
「・・・・・」

衝撃の事実。
人が少ない方を意識して歩いてきたのだが、そういうことだったのか。
手塚がショックで言葉を失っていると、

「ほんとは知ってて奥に誘ったんじゃないの?」
「・・・なっ!」

不二がにんまり悪戯っぽく笑う。
手塚はかぁっと顔を赤く染めた。

「おっ、お前が二人になりたいと言うからだな・・・あ、だから、そうじゃなくて・・・」

慌てて否定を口に乗せるが、それはそれで、不二の言葉をいい事に連れ込もうとしたみたいにも聞こえる。

「つまり、俺はただ言葉どおりに捕らえただけで・・・決して下心があったわけでは・・・」

しかし、説明すればするほど言い訳がましいような。
自ら墓穴を掘っている気がして、もごもごと語尾が口ごもっていく自分が更に怪しい。

「だからだな・・・」

手塚は言葉を捜すが上手い説明は見つからない。不二はその姿を冷静に見つめ、

「冗談だよ。君に下心があったら苦労しません」

微妙に溜息交じりの声。
どうやら身の潔白は分かってもらえているようだが、何だかちょっぴり棘がある。

「見てご覧よ。皆いい雰囲気でしょう」

手塚はもう一度周囲のカップルに目をやった。
身体を寄せ合ってベンチに座る恋人。
腕を絡めて甘える彼女を微笑ましく受け入れている彼。
互いにボディタッチをしながら、きゃぴきゃぴと騒ぐ二人。
それぞれやってることは違っても、根本は同じ。ラブ状態だ。
確かに甘い。甘いというか、手塚にしてみたら場所を弁えろと言いたくなる行為ばかりだ。
尤も彼らにしてみたら、ここは「恋人と過ごす場」であり、そのためにわざわざ来ているわけだが。

「幼稚園の遠足みたいにお手手繋いでただ歩いてるのなんて僕らだけだよ」

幼稚園で悪かったな。

さすがの手塚もムカっとくる。
不二の言い様に反論したくなるものの、恋人同志は手を繋ぐくらいしか頭になかったのも事実。
だからと言って、これ以上何をしろと言うのだ。
周囲の奴らのようなことを不二は求めているというのか。

「・・・ああいうことを・・・すれば・・・いいのか―――?」

まさか、いくらなんでもそこまでは・・・。
手塚は先ほどからベンチでべったりくっ付いている二人を小さく指差して、恐る恐る不二に問いかけるが、

「―――んぁっ!?」

その瞬間、手塚の素っ頓狂な声が辺りに響いた。
ベタベタし合っているだけでも十分驚いたというのに、あろうことかその二人、人目を憚らずチュッチュしだしたのだ。
唖然と口を開けている手塚の横で不二が言う。

「大胆だね」
「あ、ああ。正直―――」

驚いた―――と手塚が口にしようとした時、

「まさか君から『キスすればいいのか?』なんて言われるとは思わなかった・・」
「は!?」

何ですと?
手塚は目をぱちくりさせて不二を凝視した。
それに応えるように、頬を染めてもじもじと自分を見つめ返す不二。

ち、違うぞ、不二。断じて違う!

手塚はぷるぷると首を振った。
しかし首を振るのが精一杯で、その言葉は出てこない。
冷静になろとすればするほど、頭で考えようとしてしまうのが手塚だ。

そんなことは言ってない。・・・・言ったが、言ってない。
そう、順を追って説明すれば分かるはず。
落ち着け、落ち着け国光!

すればいいのかって聞いたのは、べたべたとくっ付き合うことに対してだ。
でも、決してべたべたしようと誘ったわけではなく、一例として、不二がそれを望んでいるのか聞いただけで。
実際、べたべたをするかしないかまでは考えていなかった。
だから当然キスなんて想定外・・・というか、たまたま指差した瞬間に、あいつらがやりだしただけだ。

よし!筋は通った。
手塚の台本が完成する。が!
必死で作った言い訳劇を発表する前に、不二が小声で恥ずかしそうに言う。

「僕は構わないよ。・・・っていうか寧ろ嬉しかったり?」
「・・・ぅっ」

ちらっと見ては視線を逸らす不二。
やばい。はにかんだ仕草がちょっと可愛い。とか思ってしまった。
思わず胸を擽られて、手塚の心臓は妙な緊張感で鼓動を早めていく。

いかん、そんなことに惑わされている場合ではない。
とにかく、キスはまずい。
不二の望むようにと思ったものの、手を繋ぐのとは訳が違う。
自分はよくても必ず不二にとって後悔の種になる。

手塚は心の中で必死で自分に言い聞かせて気持ちの整理をする。
が―――、

ちょっ、ちょっと待て、自分はいいのか。
いや、そんなことはない。・・・・はずだが、困る要因も特別ない・・・ような。

なんてことだ!

手塚は両手で頭を抱えた。
自分でも予想しなかった本音、やはり不二に対して下心が存在するのかと、手塚はショックで頭がいっぱいになる。
だがとりあえず、そんな事実は置いておいて、ここはきっぱり断るのが男だと、手塚は一先ず自分の欲望に鍵を掛けた。
手塚は男の中の男、つまり男の鏡である。
不二を守るためでもあると正義感をぼーぼー燃して、女の子に恥を掻かせるという辺りはさっぱり頭にない。

「不二!」

手塚は不二の肩に手を置いて、こんなことはいけないと告げようとしたのだが、

「誰もいなくなっちゃったね」
「え?」

手塚は不二に手を置いたまま周囲を見渡した。

いつの間に・・・???

ああでもない、こうでもないとあたふたしている間に、さっきまで近くでいちゃついていたカップルどもが皆いなくなっていた。
いつの間にか本当に不二と二人きり。しかもこのポーズは微妙に準備態勢のようにも・・・。

「何ていうかさ、誰もいないと反って照れちゃうね・・・」
「そ、そうだな。だったら人のいる所へ行こうじゃないか。そうだ、今度は南側に行ってみよう」

不二の言葉を利用して、家族連れで賑わっているはずの南のエリアにさり気なく促してみる。
散々男だなんだと言ってた割りにはこすい理由で逃げようとする手塚。しかし、

「でも、考えたらチャンスだよね」
「いっ?」
「だって人前でするものじゃないでしょう。それに二人だけの想い出にもしたいし。ね?」

ね?と可愛く問われても返答に困る。
手塚がぐずぐず迷っていると、天使の中に悪魔がギラッと光った。

「逃げようたって無理だからね」
「・・・っ!」

よ、読まれている・・・。
笑っているのに、目から放たれる光線はまさにツバメ返し。
地を這ってでも追いかけてくるカウンター。

「さあ手塚、早くしないとまた誰か来るよ」
「うっ!」

「さあっ!」

戸惑いとあせりで手塚の喉がごくりとなるのと同時に、不二は瞳を伏せた。

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