怪我したのか?
どこも平気!ぴんぴんしてる!!
・・・そうか、なら良かった・・。


不思議とあの日の会話は今でも覚えている。

ねぇ、何か仕掛けがあるわけじゃないよね???

いきなり食いつくように聞かれた。

仕掛け?

一体何の話をしているのだろう。
しかも、こっちが首を傾げているのもかまわず、弾丸のように次から次へと喋りだす。

君、一年生だよね?
そうだけど。
凄いよ!だって僕と背も変わらないのに、あんなことできるなんて、なんだか魔法みたい!!
何の話だ?
ほら、今やってたじゃない。そのラケットでパーンッ!!って。


握っていたラケットを指差して身振り手振りで説明する。
そこで初めてテニスのことを言っているのだと分かった。

別に。毎日練習したら誰でもできる。
ね、ねぇじゃあ僕でも毎日やれば魔法使いになれるってこと!?
・・・・・。


何と答えていいか分からなかった。

変な奴。
女子の制服を着ているのに自分のことを「僕」と言う。
やたら馴れ馴れしい。幼稚園児のような会話。
それに何故かずっと笑っていて。

だが、嫌な印象ではなかった。
これから始まる学園生活がほんの少し興味深くなった。



そして半年後、


そいつは本当に魔法使いになった。

コートに立つその姿に何度目を奪われただろう―――



LOVE ATTACK52



僕は裕太を選ぶ。
裕太を選ぶ
裕太を―――

終わらないフレーズが頭の中で繰り返し再生され、揺れる思考と落ちていく感覚に暫く惑わされたが、手塚は「そうか」と短く答えた。

複雑な気持ちは否定できなかった。
だが、冷静に考えたら当たり前のことだ。
誰だって他人より家族の方が大事に決まっている。
まして、弟は不二にとって切り離せない存在だ。

「ごめん・・ね?」

ちらっと上目で伺うように見る不二に、「いや」と手塚は小さく首を振った。

「裕太君はお前にとって大切な存在だからな。それが妥当な選択だろう」

少しくらい自分に想いを寄せているからといって、あれほど大切にしている弟を谷底へ落とせるわけがない。
そもそもそんなことができる相手ならば、あんなに拗れることもなかったはずだ。
どれほど不二が彼を愛しているか、大切にしているか。
この目で見てきたばかりだというのに。

たかが夢の話。
全く馬鹿なことを聞いたものだと、手塚は自嘲するような薄笑いを浮かべた。

空はより暗くなって、雨の音も激しさを増す。
不二が待っている虹はまだ出そうにない。

「こんな話をしにきたわけじゃなかったんだが・・・」

夢の話をしたかったわけじゃない。
ただこのままここにいても、言いたかったことの十分の一も伝えられそうにない。
そもそも不二に何が言いたかったのだろう。
最後の意味を聞きたかったのだろうか。
聞いてどうしようと思っていたのか。
もう一度話をしなければならないと焦っていたが、まだ整理も付いていないではないか。

とりあえず不二は目の前にいる。話す機会はいつでもある。
もしかして、このままいつも通りに戻るのかもしれないし、
もう少し時間を置くのもいいだろう。

「もう戻ろう。風も出てきた」

手塚は不二から傘を取ると、屋上の入り口の方に向き直った。
一つ傘の下、当然不二も同じように向きを変えて付いてくるだろうと思ったのだが、

「違う・・・」

手塚が一歩踏み出した時、雨にかき消されそうな小さな小さな声がポツリと響いた。

「それは・・違う」
「今何て・・?」

ぼそぼそとくぐもった声で何かを言う不二に、手塚はもう一度視線を向けた。

「裕太の方が大切だからとかじゃない。そんなことを・・・比べたんじゃない」
「不二?」
「・・・僕・・は・・」

不二の手が手塚の制服を掴んだ。
キュッと力が込められたその手から、不二が何かを伝えたいことが分かる。
けれど、それは言葉になることはなく、不二は十文字に唇を結んだまま、ゆっくりと手を放した。

「・・・戻ろう・・か」

そう言って小さく笑った顔に手塚ははっと気付いた。
あの時と同じだ。
最後だと泣きながら笑って言ったあの時の顔と同じ。

そう思った瞬間、手塚は不二の手を掴んでいた。

「途中でやめるな。最後まで言ってくれなければテストの結果がでない」
「そんなのいいよ。自分の心理なんてそんなに興味ないし」

ね!と、再び笑って手塚を促す不二は、もう別の顔になっている。
事件の時も感じたが、こうやって不二は自分の気持ちに蓋をするのだ。
鮮やかな笑顔を作って、何もないように。誰にも気付れないように。

だが、もう知っている。
そこにいつだって不二の心がないことを知っているから。

もう、誤魔化されない―――

「俺が知りたいんだ。俺が、お前に興味がある」
「・・・・っ」

さすがにその一言には不二も目を剥いた。
手塚がそんなことを言い出すなんて思いもしなかったから。

「な、なんで手塚が?」
「何も知らないままじゃ一人奈落の底へ落ちていく俺が浮かばれないだろう」
「一人・・・?」
「そう、お前が裕太君を選んだ時点で俺は一人死んでいくんだ。理由を聞く権利がある」

もちろん本気でそこを拘っているわけではない。
多少ショックだったことは認めるが、当然だと受け止めているし、不二を恨む気持ちもない。

だが、知りたい。
不二の内側に、そこにある本音に興味があるというのは、手塚の紛れもない本心だった。

「「・・・・・」」

一つ傘の下、手塚は不二を見つめ、不二も手塚を見ていた。
暫しの沈黙が流れる。吹き込む雨に制服がじっとりと湿ってくるが、それでも手塚は1ミリも目を逸らさなかった。
手塚のその強い視線に根負けするかのように、

「そうだね・・・僕が君を殺すことになるんだよね・・・」

不二はポツリと言った。
ほんの少し遠慮がちで申し訳なさそうな小さな声。
それでも不二は手塚が求める理由をはっきと口に乗せた。

「僕、やっぱり裕太は見捨てられない。裕太の成長を認めたばかりだけど、見守るのと見捨てるのは違うから」

いくら弟が一人立ちしてようとも、姉として弟を護る義務はある。
自分がその命を握っているのなら、なんとしても生かせてみせる。

「でも・・・」

でも、それはそれ。
姉である前に一人の女の子であり、その気持ちの上で手塚はかけがえのない存在だ。

だから―――

「一人じゃないよ?」
「え?」
「君を一人で死なせたりしない」
「・・・・・」

手塚の喉がごくりと音を立てる。
不二がこれから何を言おうとしているのか。
本能で分かってしまったのかもしれない。

裕太を助けるということは、手塚を見捨てるということ。
だがそこにはもう一つ選択肢があった。

「僕も・・・」
「・・・・・」

不二が見捨てたのは手塚ではなく、

「僕も一緒に飛び降りる」

自分自身だった。


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