「僕も一緒に飛び降りる」

まっすぐ手塚を見る目には迷いなんてものはなかった。

きっと初めからそういうことだったのだ。

裕太と手塚。
どちらか一人しか助けられないなら、裕太を選ぶ。
けれど、不二が共にありたいのはどんな状況であろうと手塚だった。

本当の意味で選んだのは手塚。
共にある相手として手塚を選んだ。


LOVE ATTACK53


「・不・・・」

その答えに手塚の目力が緩む。
どうしても不二に本音を吐かせてやる。
その勢いでぐっと見つめていたが、驚きのあまりどうしても力が入らなくなった。

「手塚の居ない世界なんてつまらないもの」
「・・・・・」

想像上での話。
けれど、不二が真剣に答えていることが分かるから、手塚は何も言えなくなった。
不二の自分への恋心は何気に分かったつもりでいたが、まさかそこまで深いものだったなんて。
そこまでの想いを向けられていたなんて。

「それに絶対死ぬとは限らないじゃない。もしかしたら下には川があって、二人してどこかに流れつくかもしれないし。あ、そしたら君は僕のものになってくれるかなあ」

ラッキーと不二は悪戯っぽく笑った後、すぐにそれを苦笑に変えて「それは・・ないか」と否定した。

「「・・・・・」」

再び二人して黙り込む。
その間は不二にとって至極居心地が悪い。
できれば、心の中に止めておきたかった。
手塚を困らせたくない。
独り善がりの感情をぶつけるのは最後にしようと決めたばかりだったのに。

「やだな・・手塚が変なこと言うからだよ」

お前に興味があるなんて言うから。

軽く恨み言を口に乗せ、自ら沈黙を打ち破った不二。
「ごめん・・」と呟いて、手塚が傾けていた傘の中から外で飛び出した。
天を仰いで、雨のシャワーをその身で受け止めるように不二は両手を広げる。

「ほんとだ。ちょっと気持ちいいかも」

雨に打たれようとする手塚に、つい先程苦言を呈した不二だったが、今度は自らその中に飛び込んではしゃいでみせる。
見る見るうちにぐっしょりと濡れていく身体。そのくせ、

「手塚はだめだからね!」

と、釘を刺してくる。

手塚はそんな不二にギリッと歯を噛み締めた。

なんて勝手な奴だ。

想いの深さだけ刻み付けて、後は自己完結。
まるでなかったことにするかのように、自分だけ雨に打たれてすっきりしようとするなんて。
心の中を、洗い流そうとするなんて。

そんな勝手なことはない。

「―――――っ!?」

突然ざっと不二の視界に影が飛び込んできた。
不二は驚いて声にならない声を上げた。
一体何が起こったのか。
咄嗟のことに目を見開いたが、目の前は既に大きな壁に塞がれていて身動きもできない。

「な・・に・・?」

訳が分からない不二に応じるように、低い声が頭の上から聞こえてきた。

「勝手なことばかり言うな」
「ちょっ・・え・・?」

もぞもぞと身を捩るが、やはり思うように動けない。
目線だけで辺りを見回すと、コンクリートの地面に傘が無造作に転がっていた。

「あ・の・・」

今の状況を頭が少しずつ理解し始めると、同時に心臓もドクドク音を立てて暴れ出した。
不二の口から漏れる戸惑いの声。
しかし、ますます身体は拘束されるだけで、その声も身動ぎも、無駄な抵抗でしかない。
頑強なその力に、不二は観念して身体の力を抜くしかなかった。

冷たい雨の中、ダイレクトに伝わってくる温もりに頭がくらくらとして、まるで催眠術に掛かったかのように、不二はその壁に手を伸ばした。
ギュッと力を込めて掴んだのは手塚のシャツ。
雨に濡れて湿った感触もやはり温かくて。

「何でこんなことするの?」
「何故・・・だろうな・・」

実際手塚も分からなかった。
ただ一方的にあれこれ決断していく不二に無償に腹が立った。
腹が立って、気付けば抱きしめていた。

「折角決心したのに、思い切れなくなるじゃない」

初めて手塚のことを考えて決めたこと。
いくら好きでも、どんなに追いかけても、報われることなんてない。
本当はとっくに分かっていた。
けれど、それでも追いかけたかった。
手塚が好きな自分が一番本当だったから。
手塚が好きな自分が一番好きだったから。
その想いを大切にしたかった。手塚にも分かってほしかった。
自分の気持ちに嘘は付きたくなかった。

でも―――

どこまでいってもそこには自分しかない。
届くことがないと分かっていて、それでもいいのだと言い張るのはただのエゴだということも分かっていたから。
手塚のためにはいつかはこの恋に区切りをつけなければいけない。
同時にそんな想いも抱えていた。

手塚との仲たがい。
あの時味わった「手塚のいない世界」は、光を失ったようだった。
あんなに淋しいことはなかった。あんなに辛いことはなかった。
だから、誤解が解けてまた手塚と普通に話せるようになった時、決心がついた。

自分で決めた最後なら、きっと楽しい思い出になる。
この時を振り返える日がきたら、きっと懐かしいと微笑むことができる。
手塚を追いかけた日々を後悔することはない。
手塚を好きだった自分を、きっとまだ好きでいられる。

自分で決めた最後ならって、

「こんなのA級のフェイントだよ」

そう思ったのに・・・。

「矛盾している」
「・・・え?」
「俺が居ないとつまらないんだろう?だったら何故思い切るんだ?俺は崖から落ちるわけでも、消えるわけでもない。たった今お前の目の前にいるのに、お前の言ってることは矛盾している」
「僕は・・・」

不二はゆっくり手塚の身体を押した。
腕を伸ばしてその長さの分だけ距離を取る。

「別に友達まで返上するわけじゃないよ。君だって、これからも僕を仲間だと思ってくれるでしょう?」

例え自分が想う手塚への気持ちと、手塚が想う自分への気持ちが全く違うものだとしても。
仲間である限り、手塚を失うことはない。

「矛盾なんてしてないよ。この想いを思い切ることで、僕はこれからも君と同じ世界にいられるんだから」

仲間なら、友達なら、手塚に迷惑をかけることなく、これからも手塚の中にいることができる。
手塚という存在を自分の中に持ち続けることが許される。

「それがお前の望む形なのか?」
「そうだよ。卒業しても、君が遠くに行っても、世界の有名人になっちゃっても、友達でいられるなんて最高じゃない」
「それでお前は満足できるのか?」
「もちろんだよ。手塚国光が友達なんて、きっと凄い自慢になるよ。サインとか頼まれちゃったりして」

不二は未来を目の前で見ているかのように楽しそうに語る。

「大人になったらさ、同窓会みたいに皆で集まって・・・ああ、君はきっと忙しい人だから必死で時間を作って「遅れてすまない」ってやってくるのね。皆も有名プロ選手になっちゃった君にちょっと興奮しながらも、あの時はああだったこうだったって、お酒なんか飲みながらわいわい騒いでさ―――」

想像でしかない未来。でもきっとそんなに遠い話ではない。
その時、隣にいることができなくても、
今と変わらず「手塚」と呼んで、「不二」と呼ばれて。
今と変わらず、笑って話ができればそれで・・・

不二は何年後かの自分達を想像しながら自身に言い聞かせる。

それでいいのだ。
一欠片でいい。手塚の中にいることができるならそれでいい。

出した答えに納得したように頷くと、不二は脇に転がっていた傘に目を向けた。
仰向けになっているそれは、雨水を中にたっぷり溜め込んでいて。

「今更・・だね。駄目って言ったのに」

傘等もう何の役にも立たない。
既にずぶ濡れの手塚を見て不二は苦々しく笑った。
しかし手塚は雨に濡れた身体を気遣うこともなく、さらに振り続ける雨にも構うことなく「俺も・・」と話を続けた。

「俺も、いずれ別々の道を歩む日がきても、今の仲間とはずっと友人でありたいと願っている」
「でしょう。僕もそのうちの一人に入ってれば嬉しいけど」
「もちろんお前とも大切な友でありたいと思っている」
「・・・うん」

大切な友。
手塚から望んだ言葉をもらった。
今はまだちょっぴり複雑だけど、でもいつかそれは宝物に変わる。
変わるはずだから―――こみ上げてくる涙はこの雨に隠してしまおう。

容赦なく降りつける雨も今はありがたい。
不二は前髪から垂れてくる雫を拭う振りをして目元を擦ると笑顔を作った。そして、

ありがとう。

そう言って終わろうと思った。
終わるはずだった。

「だが・・・」

だが、手塚の唇がまだ許さないと、不二より一瞬早く言葉を繋げた。

「もしもその時、俺が恋人を連れていたら?昨日の映画のように誰かと結婚していたら・・・それでもお前は最高なのか?」
「え・・・・?」

ざあざあと激しい音を立てて降り落ちる雨、その中でもはっきりと聞き取れた。
それは予想もつかなかった内容。不二は一瞬、目を瞬かせた。
はっきり聞き取れたにも関わらず、頭がその意味を理解するのに時間がかかる。
不二は無意識に額に手を添えて、言われた台詞を呆然と繰り返した。

「・・誰かと・・結婚・・手塚が・・」

つまり・・・

手塚とはこれからもずっといい友達でいられる。
卒業して別々の進路を歩んでも、近くにいることができなくなっても、共に青春時代を送った仲間としてまた逢うこともできる。
でも・・・、

その時手塚には特別な誰かがいて、それでも仲間であることを満足できるのか、ということ。

―――らしい。

正直そこまでは考えていなかった。
だけどまあ、そういうこともあるだろう。
その前に、結婚式なんかにも呼ばれているかもしれないし。
だって、友達ってそういうものだもの。
そういうもの・・・だよね?

「・・うん。それは―――」

しかし、頭で考えたことはスラリと言葉にならず、不二は言いかけた言葉を止めた。

「・・えっと・・・なんだっけ?」

止めたというよりは、何を言おうとしたのか分からなくなった。

それは仕方がないことだよ。だったかな?
そんな先まで引きずってるわけないし。とか?
僕にも恋人がいるかもしれない。ってのは?

「あれ・・・あれ?」

どれも違う・・・ような気がする。
どの言葉もしっくりこない。だって、

もしまだ手塚が好きだったら?
ずっと心の奥で恋焦がれていたら?

ちょっと考えただけで簡単にそこに行き着いてしまう。

映画では語られなかったシーン。
実らなかった初恋を美しく飾ったラストに、主人公は本当に満足したのだろうか。
初恋の人との口付け。
でもそれは主人公を好きになれなかった彼の罪滅ぼし。偽善でしかない心。
二人の未来はどこにもない。
そんなものが本当に嬉しかったのだろうか。
最高だったのだろうか。

忘れたくても忘れられなかった恋。
彼に恋人ができても、結婚しても、やっぱり好きだった人。

違う。

嬉しいわけがない。
悲しくないわけがない。
泣かないわけがない。

そんな恋が美しいわけがない。

もし、自分の未来もそうだとしたら。
ずっと手塚を忘れられなかったら。

多分そこにあるのは、最高なんて程遠い負の感情だ。

仕方がないと思っていても、手塚の隣にいる人をきっと妬ましいと思う。
自分から閉じた恋でも、好きになってくれなかった手塚を憎いと思う。

それが恋というものじゃないのか。
美しいのは想いが叶ったときだけ。
届かなければ、大好きだった人も、その人が選んだ人も、自分のことですら蝕んでしまう醜い心が恋だ。

でも・・・、

「だって・・・、でも・・じゃあどうしたらいいの?」

手塚が好き。ずっと同じ世界にいたい。
けれど届かない。
どんなに想っても、どんなに願っても届かない。
だから友達でいようって。
友達でいるしかないんだって。

「やっと決心がついたんだよ?」

そこに残るものは現実でしかなく。
手塚を忘れられなければ、結局最後になんてできないのだ。

「どうしたら・・・」

様々な感情の狭間で葛藤して、行き場を見失ってしまいそうだ。
ふるふると首を振って迷いを見せる不二に、手塚はもう一度その肩を掴んで言った。

「お前の気持ちを素直に言えばいいだけじゃないのか?」

雨の音に紛れて静かに帰ってきた声。

「お前が本当はどうしたいのかを、そのまま言えばいいんだ」
「その・・まま・・?」

戸惑いがちの不二の目を見つめて手塚は深く頷く。
少し上にあるその顔は、落ち着いた声とは裏腹に、いつもの仏頂面以上に険しい。

「そうでなければリアリティがない。そこにおまえ自身がいないからだ」
「僕は・・・」

不二は手塚から目を逸らすように顔を俯けた。
不自然なその仕草から不二にも自覚があるのだと分かる。だから、

「お前の人生だ。何かを思う前に自分のことだけ考えろ」

手塚は敢えて厳しい言葉を続けた。

「本音を言わない奴を俺は信用しない。仲間とも友人とも思わない」

自分の気持ちなど、二の次、三の次。不二は恐らくずっとそうしてきたのだろう。
明るく、物怖じせず、ポジティブで。
そんな表面とは裏腹に、内側は決して見せない。
不二が本当は自分の殻に閉じこもってしまう性格だなんて、ずっと気付かなかった。
頑強な仮面に惑わされて、気付いてやることができなかった。

君が導いてやってくれないかなあ。

佐伯に言われた時、何故俺なのか、と疑問だった。
だが今は心からそうしたいと思う。
それができるのは自分しかいないとも思う。
きっと自惚れではない。
不二の心を開く鍵を自分だけが持っているのだ。

そして、今がその時―――、

「だが、本音でぶつかってくる奴には本気で付き合っていく。これからもずっと」

手塚は強く言い切った。
芯のある、真っ直ぐな手塚らしい言葉で。

その声に導かれるように不二は顔を上げる。
手塚は駄目押しとばかりに不二の目をしっかり見つめて、もう一度強く言った。

「ずっとだ、不二」

引き出したい不二の心を。
不二自身を。
自分の人生は自分のものだと知って欲しい。
誰のためでもなく、自分のために頑張ることは間違ってないのだと気付いてほしい。
そのためには不二自身が自分を認めないとだめだ。
自ら殻を破って、外に出てこないとだめだ。

「不二!」

そこにあるのは強い強い眼差し。
不二は自分を見つめるその瞳に見入ってしまう。

ああ、出逢ったあの日と同じ目をしている。
一点を、強く真っ直ぐ見つめる光の矢のような眼差し。
その眩しさに一瞬で恋に落ちたのだ。

不二の唇が何かに誘導されるように動き始める。

「ほ・・しい・・」

不思議と雨音が弱まった。
不二の邪魔をしないように、不二の勇気を掻き消さないように。

「手塚が欲しい」

テヅカガホシイ

はっきりと紡がれた言葉。
それは、とてもとても短い言葉だったが、手塚には分かった。
それが全てだということ。

笑った顔も、涙に濡れた顔も、強きな態度も、優しさも。
最後にするのも、一緒に飛び降りる意味も、全てそこに答えがあった。

「分かった。やる」

手塚の応えに不二が一瞬目を見開いたのも束の間、濡れそぼった髪に大きな手が差し込まれ、そのまま身体ごと一気に引き寄せられた。


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全部不二に言わせる手塚さん・・・(^_^;)