「分かった。やる」

その言葉の直後、何かを考える間もなく手塚との距離がこれ以上ないくらいに縮まって。

「・・・・っ!」

不二が声にならない声を上げたと同時に手塚の影が落ちてきた。
いつの間にか雨は止んで、雲間から光が差し込んでいる。
足元には二つの影。
昨日と同じように少しずつ重なっていくそれはお芝居でもなんでもなく。

本当に初めての―――


LOVE ATTACK54


初めての・・・?

キ・・キス?

「ちょっ、ちょっと待ったぁ〜〜〜!」

不二は慌てて手塚と自分の唇の間に掌を差し込んだ。
サンドウィッチのパンに挟まれたハムのように、自分の唇と、手塚の唇の間で押しつぶされている手。

不二も手塚も予想外のこの状態。
二人は掌一つ分の至近距離で互いを見つめながら瞳をぱちくり瞬かせたが、
不二はパニック寸前の思考を何とか整理して眼前の手塚をぐいっと向こうへ押しやった。

「あ・・・あの・・・これ・・は、一体どういう―――?」
「それは・・・空気を読んでくれ」

まさかこの流れで阻まれるとは思ってなかった手塚はほんの少し不機嫌そうに言った。
「く、空気って言われても」
「言葉通りだろう。俺をやると言ったはずだ」
「や、やややるって・・・物じゃあるまいし!それにそんな単純なことじゃないでしょ」
「俺がいいんだから構わん」
「いやいや・・・だから・・何ていうか・・つまり・・」

こういうことは気持ちがあって初めて成り立つもので。
欲しがってるからやる、じゃない。

・・・・って分かってるのかな?

不二は手塚をじっと見つめて言う。

「僕、同情とかってヤダよ?」
「同情?俺がお前に何を同情するんだ?」

ムン!と腕を組んでえらそうに言い切る態度からして、情けを掛けられたわけじゃなさそうではあるが・・・。

「君、僕のこと好きなの?」

万に一つの可能性。まさかとは思いつつ、そうであったらこの展開も納得がいく。
そう思ったのだが―――。

あろうことか手塚は「う・・・ん?」と首を傾げて考え出した。
そして、暫く考えた挙句、分かったとばかりにぽんと手を叩いて、

「嫌いな相手にこんなことはしない。・・・・と思う」
「思・・う?」

不二の顔がぴくぴく痙攣する。
笑おうと思っても笑えない。・・・・というか、

笑えるわけないじゃん!

とどのつまりこういうこと。

「ああ、そう。でもその「嫌いではない」は「大石が好き」ってのと同じようなレベルの「嫌いではない」ってことだよね?」
「ややこしいな」

誰がややこしくさせてんだっ!誰がっ!
心の中で喝破しても、この唐変木相手に空しいだけ。

「だからっ!大石を好き程度の好きじゃ駄目なのっ!僕を特別に思ってるんじゃなきゃ、いくら君でもヤダよっ!」
「俺にとって大石は結構特別だぞ。少なくとも菊丸よりは・・・あ、いや」

まさに開いた口がふさがらないとはこのことだろう。
何が「あ、いや・・」だ〜!
比較対照にする相手をそもそも履き違えてることに気付かない手塚に不二は呆れて反撃する気力も失せた。

「僕、教室戻るっ!」

さっきまでの雨が嘘のように空に明るさが戻ってきた。
なんだか太陽にまで笑われている気がする。
不二は脇に転がっていた傘を拾って畳むと、シャッと振り払って雫を切る。
そして、手塚を振り返りもせず、ドシドシと校舎に入る扉へ向かった。

「待て、不二っ!」

手塚はそんな不二を慌てて呼び止める。
珍しく焦り口調の声に不二は闊歩していた足を止めた。

「な、何さ?」

平静を装いつつも不二の中に微々たる期待が走る。
どうしても自分に都合のいいように考えてしまうのだ。
恋愛に免疫がなさそうな手塚のこと。
もしかして照れ隠しであんな言い方をしただけとか・・・。

トクントクンと脈打ち出した心音。
意識していることを手塚には気づかれないように、ぎりぎり視界に入る程度に振り返ってみたが、

「先に着替えた方がいいんじゃないか?」
「・・・・っ!」

こいつ・・・。
不二はわなわな震える掌をぐっと握り締めた。



・・・・・・



「何だよ、手塚のバカっ!」

感情に任せて不二は乱暴にロッカーの扉を開けた。が、

「あ・・・」

しまった。
いつも朝練の後、放課後用の着替えをロッカーに入れておくのだが、今日の朝は部活に出なかったことを今思い出すなんて。

「どうしよう」

フジはぐっしょり濡れたブラウスを胸元でひょいと摘む。
早く着替えないとさすがに風邪を引く。かといって、このまま教室に行くのは躊躇うところだ。

「っていうか、授業始まったし・・・」

手塚にむかつきながらも一緒に部室まで来たはいいが、そこで予鈴がなってしまった。

『授業始まっちゃうけど?』
『仕方ないだろう。このまま行くわけにはいかない』

部活では1分の遅刻も許さない手塚の台詞だろうか。
不二は一瞬手塚を無言で見つめたが、

『俺は正当な理由があれば遅刻も認める』

不二の言わんとすることが分かった手塚は、平然と言い切った。

雨が降る中、傘もささずに屋上で延々と話をしていたことが、果たして正当な理由になるのかどうか疑問ではあるが。
別段優等生を気取るつもりもない不二は、

『君がいいなら僕は別に・・』

そう残して女子部の部室へ向かったのだが・・・、

「なんて間が悪い・・・」

着替えもなければタオルもない。
友人のものを黙って拝借しようかとも思ったが、後からあれこれ聞かれるのは面倒だ。

不二は盛大な溜息を一つ落とすと、やむを得ず再び部室の外へ出た。

「手塚、入っていい?」

やって来たのは隣に並ぶもう一つの部室。
ノックをしながら中の主に声を掛ける。
このタイミングで手塚を頼るのはものすごく悔しかったが、今はそれしか思いつかず。
「ああ」と中から短い返事が聞こえた後、不二は不本意ながらその扉を開けた。

「お前、まだそんな格好してるのか」

手塚の第一声は予想通りだった。

「着替え、教室だった」

悪いけどタオル貸して。
手塚は眉間にキュッと皺を寄せて、手にしているタオルを渡す。

次は大方その辺りだろうと待っていたのだが―――、

「・・・え?」

予想に反して手塚はつかつかと不二の目の前まで歩み寄り、少し大きめのスポーツタオルを不二の頭にすっぽり掛けて、

「少し湿ってしまったが・・」

我慢してくれと、不二の髪を拭き始めた。

決して丁寧な扱いではない。

ブラシも持ってないのに、この後どうして髪を整えようか。と思うほどガシガシとやってくれちゃって。

「あ、あの・・・」

やはり駄目だ。
届かないと分かっていても、諦めようと思っていても
自然に高鳴る気持ちを押さえることができない。

「何だ?」

こっちの気も知らず何だとは何だ。
この空間で、この距離。
耐えられるわけがないじゃないか。

「じ、自分で・・・」

不二は自分の頭を拭いている手塚の手を押しやろうとするが、

「いいから、じっとしてろ」

まるで父親が風呂上りに動き回る幼い娘を拭いてやってるかのようだ。
大人しろと、手塚は不二を黙らせた。

「後は着替えだな・・」

髪を拭き終わると、手塚は自分のロッカーから何やらごそごそと取り出してきて、

「とりあえずこれでも着ておけ」
「これ・・・?」
「着替え、ないんだろう」
「ああ・・うん。でも・・・」

白の中に所々に施されたトリコロールカラーが鮮やかに目に映る。
手塚のレギュラージャージだった。
それは「濡れたままでいるわけにはいかない」程度の意味だろうけれど。

「洗ってあるから臭くないぞ」

戸惑う不二に手塚はすかさず言う。

「そ、そういうことじゃないってば!」

臭いなんて思ってないって言ってるのに!
不二はちゅっと唇を尖らせて、

「そうじゃなくて・・なんか敷居高くて」
「敷居?」
「だって、これは君の実績の証っていうか・・」

手塚は不二の言葉に、手にしていたそのジャージに一旦目を向けたが、僅かに首を竦めて、

「ずぶ濡れの奴を目の前にして出し惜しみするほどのものではない」

確かに消えてなくなるわけでもないものを、この状況下においてレギュラジャージだから貸したくないなんて手塚が渋るとは思えないが。
だが、これは手塚が青学に掛ける想いが一心に詰まったもの。
そんな気がして、どうしても恐れ多いのだ。

「でも・・」

煮え切らない不二に、手塚は半ば無理やりジャージを押し付けると、

「では言い方を変える。ジャージよりお前の方が大事だ。風邪をひくから早く着替えろ」

そう言って、不二に背を向けた。

「・・・・・」

不二は受け取ったジャージを握り締めたまま黙り込む。

どうしよう。
特別な意味じゃないと分かっていても、そんなこと言われたら・・・。

やっぱり嬉しい―――。

そう感じた瞬間、もういいと自然に思った。

もう、いい。
例え大石と同じ「好き」だって、もういい。
この手塚に大事な人だと思ってもらえているだけで十分だ。
叶わないとか、諦めるとか、未来の関係とか。
そんな頭の中だけで考えたことよりも、手塚が自分をあげてもいいとまで言ってくれた事実を大切にすべきじゃないか。
手塚がそんな言葉をくれるなんて、きっと並大抵のことじゃない。
それだけで、十分この恋は報われたのではないだろうか。

ううん―――報われたんだと思う。

「ありがとう、手塚」
「礼などいいから、早く着替えろ」

不二はくすっと小さく笑った。

そっちの「ありがとう」じゃないんだけど・・。

「ま、いっか」
「・・・?」

何がおかしいのだろうか。
手塚は首を傾げるが、背後から聞こえる不二の笑い声に、口元が自然に緩んでいた。


next / back

え、また振り出し?みたいな展開ですみません。でもそうじゃありません。手塚が恋愛音痴なだけ・・というか多分この手塚は最後まで音痴かも・・・。
次で終われるかなー。延びたとしても次の次の次になることはない・・・はず!(決意表明)