誰にも未来なんて分からない―――
幸せだった人が一瞬で闇に突き落とされることもある。
逆に人生が一転するかのように幸運が舞い込む人もいるだろう。
そう、明日が見えないのは僕たちだけじゃない。
この世のすべての人たちがこれから何が起こるのかわからない迷路を彷徨っている。
僕たちもまた明日を知らない。
当然のように迎える時間の中、
僕と彼の未来がもうすぐ終わろうとしていることも、
今はまだ知らなかった。
REFLECT Y 〜Happy birthday dear Tezuka〜
僕にしては珍しく早く目が覚めた。
最近少し意識が立っているのか、眠りが浅くなってることを感じる。夕べもなかなか寝付けなかった。
今日から10月に入る。
僕の学年は月中に出発する修学旅行で何となく落ち着きないこの頃だったが、僕はその間手塚に会えないと思うくらいで、別段浮かれてもいなかった。
いつものようにクローゼットの前で着替えをする。
最後に鏡で姿を確認したとき、上の方に細い筋が入っているのを見つけた。
罅割れだろうか・・・。
そっと指で触れてみたが、表面の感触はつるつると滑らかで傷が入っている様子はない。
―――――?
背伸びをしながら目を凝らしていたら
「何をしている?」と君が目の前に現れた。
「今日は随分早いな。」
「ごめん、起こしちゃったかな?」
珍しくパジャマ姿の君を見てごそごそ音を立ててしまったと気が付く。
「いや、それよりもどうかしたのか?」
「う・・ん、ここにね、傷のような筋があるんだ。罅かなって思ったけど違うみたいで。」
どの辺りかなぞる僕の指を君の目線が追う。
「これか。」
「え?手塚の鏡にもあるの?」
「ああ、確かに傷ではなさそうだ。何だろう。」
手塚もそこを指先で触れるがやはり分からないようだ。
「まあ、傷じゃないならいいんじゃない。」
「そう・・だな。」
「せっかく早く起きたことだし、早めに行こうかな。たまには大石より早く行くってのもいいかもね。」
「ああ・・・。」
特に気にもせず、次のことに切り替わっていた僕と違って、手塚は厳しい面持ちでずっとそれに手を当てている。
「手塚?」
「いや、早く用意して行け。」
「うん、じゃあ。」
僕はクローゼットを閉め、部屋を出る。
まだその時は気付かなかった。
見つけたその一本の筋が僕たちを繋ぐただひとつの場所が崩れる前の前兆だったことを。
一分一秒の時間を大切にして生きている人ってどれくらいいるのだろう。
次の瞬間何かが終わることなんて誰も想像なんてしない。
だから何も考えず時間を過ごせる。
でも明日この世が終わると分かっていたら、もし自分の命が消えるとしたら、
残された時を少しでも悔いのないように過ごそうとするんじゃないだろうか。
大切な人と少しでも長く一緒にいようとするんじゃないだろうか。
いつの間に当然と思うようになったのか。
突然現れたように突然消えてもおかしくないと、どこかで覚悟していた時もあったのに。
君との時間を惜しむことなく、次の日がまた当たり前のようにやってきて、
永遠にこんな時間を過ごしてられるような錯覚をいつから僕は起こしていたんだろう。
「ただいま、手塚、今日ね、修学旅行に持っていくものの買出しに・・・。」
手塚は朝に見つけたあの筋を見つめていた。
「ねぇ、まだ気にしてるの?」
「何となく・・な。」
「案外心配性なんだね。それよりさ、今日買い物行って英二がね、・・・・。」
朗らかに話す僕に相槌を打ちながら時々君は浮かない表情を浮かべていた。
手塚にしては本当に珍しい。
いつだって腹が立つくらい冷静だけど、マイナスに物事を考える奴ではなかった。
その彼が明らかに心配して止まないという様子で拘りを見せている。
「早起きしたからかな、もう眠くなってきちゃった。」
「そうか。じゃあもう休め。」
「うん。手塚もほどほどに寝なよ。中間テストは旅行の後なんだし。勉強も根詰めすぎると疲れるよ。」
鏡に入った筋のことはわざと触れないようにした。
手塚が変に捕らわれているようだったから、少しでも違うことに気を向けようと思った。
「ああ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
僕が部屋にいる時はいつでも手塚と話ができるようにクローゼットは開けている。
ベッドに入った後もその鏡の向こうには手塚の姿が映っていた。
一緒にいた方がいいような気もして、もう一度戻ろうか迷ったが、昨日からの寝不足の末、睡魔に襲われてそのまま僕は意識が途切れてしまった。
カタン――
微かなな物音に気づき目覚めた。
やはり僕にしては幾分敏感になっているようだ。
うまく説明できないけど、ここ最近、何か空気が違うそんな感じだった。
手塚が起きる時刻にしてもまだ少し早めだったが、鏡の中に既に君はいた。
僕はベッドからでてゆっくりそっちへ近付いていく。
そして目に映った状態に「気にしなくてもいい」とはさすがの僕も言えなかった。
「これは・・」
昨日上の方に一筋だけだった線が今日はところどころに刻まれている。
「やはりこれは罅だと思う。」
「でも、表面的に傷付いてるようにはとても見えないよ。」
「ああ、表面的にはな。」
「どういう意味?」
手塚は一枚の透明の下敷きを持ってきた。
「これを見てくれ。表も裏も何の傷もない状態だ。」
「う・・ん?」
そしてもう一方の手に持っていたカッターでまっすぐに切り傷を入れ、その上を指先でなぞる。
「触って実感できるように、ここに今俺がつけた傷がある。でも反対側はどうだ?」
「・・・・あ!」
「分かったか?内側につけた傷も外からは線に見えるだけだ。おそらくこの筋は内側に入った罅だろう。」
「でも・・でも内側って?僕の反対側は君の鏡でしょう?」
「俺も初めはそう思っていた・・だが俺たちは本来住むべき世界が違う。云わば互いの空間が偶然重なりあっただけで裏でも表でもない。」
言われてみて初めて気づく。
確かに手塚の言うとおりどちらの世界も夢でも幻でもない。異次元なだけで両方存在するんだ。
ということは内側と外側と理論付けることが間違っている。
最近は考えなくなっていたけれど、普通ではありえないこの現象。
僕たちは部屋の中の互いの鏡で通じ合っているわけだが、その中はまったく別空間だ。
鏡そのものも同じものではないはず。
だから君の鏡に付いた傷が僕から見えているのではなく、またその反対でもない。
では、互いの内側って一体どこに・・?
僕の身体が震えだした。
このまま罅が増えていけば当然――――
割れる
「ぼ・・くた・・ち、どうなるの。このままじゃ割れちゃうってことだよね。割れたらその後どうなるの?」
「俺にも分からない。もしかしたら――」
「もしかしたら何?」
「いや、何でもない。とにかくすぐ答えがでるものではない。とりあえず学校へ行くんだ。部活に遅れる。」
こんな時に、部活だなんて、学校になんて行ってる場合じゃない。
だってもしかして帰ってきたらもう鏡はないかもしれない。
すべて崩れ去って跡形もなく、君と共に消えていたら・・
「やだよ、手塚。僕行けない。こんな・・」
「大丈夫だ、不二。心配しなくてもいい。だから学校へ行くんだ。」
「でも!!」
「不二。」
強く名前を呼ばれて納得せざるを得なかった。
「・・・・分かった・・よ・・。」
どうして大丈夫なんて言えるんだよ!
君だって何も分からないくせに。
でもそんなこと叫んだところで、僕に何ができる?
学校を休んでここにいても、押し寄せてくる不安にきっとおろおろしてるだけだ。
「大丈夫」なんて何の根拠もない言葉だ。
だけど手塚が言ったから、大好きな君が大丈夫って言ったから、信じていいよね。
神様―――手塚を信じていいよね?
結局そのまま学校へ行くことになった。
授業中も腹を抉られる様な不快感がずっと付きまとう。
身体の中の方からじんわりと熱さを感じる。何となくのぼせるような感覚に襲われて頭がふらふらする。
このままでは部活も集中もできないと思っていた。
だけど、不思議なことにコートに立つとそれまでうろたえていた気持ちがすっと静まっていった。
テニスが僕を助けてくれている?
自分の身体が自分の心がこんなに黄色い球に吸い込まれているなんて、初めて気が付いた。
他の事を考えている余裕なんてない。
ただひたすらボールを追いかけて、打ち返す。それだけのことにこんなに神経を立てていたなんて。
全精神を向かってくる球だけに集める。
マッチポイントの声を聞いたときは、手塚のことも、鏡のこともすでに頭になかった。
試合終了――誰もが僕の勝利を確信していた。
今僕は青学の中ではナンバーワンの地位についていたからだ。
そしてその予想通り僕は勝った・・・・・でも何かが違う。
皆、当然の結果として特に騒ぎもしない。
けれど・・・清々しいってこんな感覚をいうのかな。
これ程充実したテニスはもしかして初めてかもしれない。
今まで、特に力を発揮せずして戦ってきた。
最終的に勝てればスコアなんてどうでもいいという考えでもあった。
例え負けても所詮部活のテニス、生活に影響するものでもなく。
遊び半分というわけでもないが、楽しければそれでよかった。
それにいつか必ず限界はくる。最後には落ちて行くだけの時がくるんだ。
その時は何の未練も持たず、あっさりと退けるのがいい、そう思ってた。
手塚が全国大会を目指していると知ったときも、正直僕は人事のような気持ちだった。
出場できることは名誉なことと思うけれど、それに向かってひたすら突き進むほど興味を持ってはいなかったんだ。
でも今の試合、ランキングでは自分の方が上。
集中力の高まる中、それなら相手のポイントは一つでも少なくと意識した。
その結果普段なら見逃す球にも食らいつき、自分のものにした。
そのやり方が正しいのかどうかは分からない。
プロテニスを見ていれば、ポイントをわざと落として体力を温存するという戦法もある。
実際自分のリードが確実の時、取れない球に我武者羅に飛び込んでいくより見送るほうが望ましい時もある。
でも、形振りかまわずボールを追いかけて、相手コートに突き刺すことがこんなに楽しいなんて。
そしてそれがポイントになったとき、こんなに満たされた気分になるなんて。
当然と思われていた勝利でも僕は勝ったことがすごく嬉しかった。
手塚は、きっとこんなテニスをしていたんだね。
全国大会――大きすぎる夢、でも叶わない夢ではない。
行きたい、僕も心から全国に行きたいと思った。
たとえ世界は違っても君と一緒に、我武者羅に戦ってみたい。
僕は初めてもっと上を目指してみたい・・・そう思った。
帰宅後、挨拶もそこそこに僕は自室に駆け込む。
試合中は考えずにすんだあの出来事も今は僕の頭を支配していた。
大丈夫――きっと何ともないはずだ。
祈りとも言える思いを繰り返しながら僕はクローゼットの扉を開けた。
「手塚・・。」
唇から彼の名と共に安堵の溜息が零れる。
鏡にはいくつかの罅が入ったままだったが、今朝の状態と何も変わってはいなかった。
「お前にしては早かったな。」
「だって、悠長になんてしてられないよ。・・でも君の言うとおり大丈夫だったみたいだね。」
考えてみれば、終わりがくると決まったわけではない。
この傷が罅ではないかと思うのも、ただの推測に過ぎない。
「案外明日になったら綺麗になくなったりするのかも。」
「・・・ああ。」
短く同調した君の顔は微かに笑みを浮かべている。
僕を不安にさせないように笑ってくれるんだね。
でも僕には君の表情なんて簡単に読めるんだよ。
心配でたまらない・・弱音を口には決してださない君だけど、僕には分かる。
それでもきっと君は僕に大丈夫って言うんだろう。
自分だって、怖いくせに、大丈夫なんて思ってないくせに。
僕は手塚の目をじっと見つめにっこり笑顔を作った。
「大丈夫だよ、手塚。きっと僕たちは大丈夫、ね?」
「不二・・。」
安易な考えで安心してそんなことを言ったのではなく。
自分も彼を支える存在でありたい。守られるだけなんて、そんなの嫌だ。
そのために僕も強くありたいと思う。
そう、今日不安と戦いながらもテニスに没頭したように。
自分で断ち切ってそうあろうと努力したように。
それは僕の強さなんだ。
「ねぇ、手塚、全国大会への切符、きっと手に入れようね。」
「・・・」
「僕さ、何となくだけど君のテニスへの情熱みたいなものが分かった気がしたんだ。ううん、テニスへのじゃなくて青学へのって言ったほうがいいかな。」
「不二。」
「大丈夫、乗り越えれるよ。乗り越えて一緒に行こうよ、全国。コートは違っても戦う舞台は同じだから。」
手塚は驚いたように少し目を見開いて僕を見つめたが、その後ふっと笑顔に戻って「強くなったな」と言った。
―――――音?
もう明け方だろうか。
何だろう?どこか地の底のから湧き上がってくるような音がする。
ゴーッと空気が振動する感じだ。
最初は遠くに感じたそれも、だんだん近づいてくるように音量を上げていく。
地鳴り?と思った瞬間、部屋がカタカタ音を立て揺れだした。
地震だ!
咄嗟のことに動くこともできず、揺れが治まるまで布団に潜っていた。
治まってみればそれほどたいした揺れではなかったんだろう。
部屋の中も特に崩れた物もなく、サボテンが一つ転がり落ちた程度だった。
そっと拾い上げて元の位置に戻してやる。
小さな地震でよかったと安心して肩の力を抜いた途端思い出した。
「あ!」
僕は慌てて電気を付け、鏡の前に駆け寄った。
「なっ・・これは・・一体?」
身体は凍りついたように固まっているのに、上下の歯だけがカチカチと合わさって自分が震えているのが分かる。
血の気が引いて、心臓がうるさい位に音を立てて。
まさに驚愕反応と言うのだろうか。
鏡はさっきと変わらず罅が入った状態のままだったが、そこに映る君が―――
「空間が歪みだしている・・」
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