最後の恋 4
とうとうここまで来てしまった。
ドアの向こうに手塚がいる。
6年ぶり・・
逢いたくて、逢いたくて、逢えなかった人。
本当に今でも好きなのだろうか。逢えない想いに幻想を抱いて好きだと思い込んでるだけではないのか。
それなら一層その方がいい。
想いが冷めていることに気付けば、この呪縛されたような長い長い日から解放される。
呼び出しベルに指を置いた。
この一押しに何を願うのか、もう自分でも分からない。
ただ無心になって、力を入れた。
「はい」
その瞬間、頭の中のぐちゃぐちゃが全て飛び散ってしまった。
共に歩んだ中学時代、遠距離でお互いを想いあった時間、悲しい別れや淋しい日々、新しい出会いと過去との再会、
全てが複雑に交差して抜け出ることができないほど迷い込んでしまったのに、
今、目に映るその人への想いはごまかすことなど出来ないほど単純で。
「不二」
好き――やっぱり手塚が誰よりも好き。
「何で?何でよ、手塚。何でいまさら僕の前に現れたりしたの?忘れることなんてできないのに。今でも君をこんなに好きなのに!!」
形振り構わず手塚に飛び込む。
過去も未来も何もない。ただ今だけを求めて、愛しい胸に抱かれたかった。
「すまない」
手塚の指が涙で濡れる頬を拭う。
拭っても拭っても後から涙は雫となって零れ落ちる。
「お前の泣き顔を初めて見た。そんな顔をさせてるのは・・俺なんだな」
手塚は涙でいっぱいの不二の顔に自分のそれを寄せ、愛しいものを慈しむように力を込めて抱き寄せた。
二人の唇は引き合うように重なり、求めあう。
何度も角度を変えて貪欲なまでに互いを貪りあった。
唇からから頬へ、頬から首筋へと降りていく。
いつの間にか剥ぎ取られていく洋服。
下着の肩紐がずれ落ちて白い肌が露になる。
信じられない声が自分の口から零れ落ちて、淫らに崩れていく自分に気付きながらも手塚に愛されることだけを願った。
手塚から聞こえてくるのも荒い息遣いと自分を呼ぶ声。
もう、どうなってもいい。
今、この瞬間この世にたった二人だけしかしないように、互いのことしか考えられない。
他に入り込む感情など何一つなかった。
「あ・・て・・づか・・もっと愛して・・僕だけを愛して・・」
「愛してる、お前だけを。不二、誰にも・・渡したくない」
何も纏わず直接肌をぶつけ合う。
産まれてはじめての行為、恥じらいも恐怖も戸惑いも痛みも、全てひっくるめて手塚に愛されることを望んだ。
そして手塚も自分を求めている。その喜びに更に愛しさが溢れ出す。
何もいらない―――優しさも思いやりも平穏な未来も。
激しく愛し合って、そして燃え尽きてしまえばいい。
眼鏡を外したところをこんな間近で見たのは初めてだった。
「綺麗な顔・・・」
切れ長の目がすっと閉じられ微かに寝息が聞こえる。
意外に無防備なんだと暫く寝顔を見つめていた。
キシッ――
ベッドから静かに降りて床に散らばった洋服を取る。
着替えを済まし、サンダルとバッグを持った。
これで本当にさよなら―――
そっと手塚に口付けて、不二は扉へと歩き出した。
「何故黙って行くんだ?」
行き成り背後から投げられた声に驚いて振り返った。
「手塚・・」
「俺のところへ戻ってきてくれたんじゃなかったのか?」
真剣な眼差しが不二に向けられる。
「さっきのお前に偽りはなかった。そうじゃないのか?」
「そうだよ。嘘なんてこれっぽっちもない。全身で愛して、全身で愛された。手塚もそうでしょう?」
「ああ・・」
「それだけでいいの。それだけで・・・。君からもらったこの思い出があればこれから頑張っていける」
静かな不二の微笑みは手塚との道を選択しないと告げていた。
「俺はお前を追い詰めただけだったのか?」
不二はゆっくり首を横に振った。
「違うよ手塚。僕はここへ来た事を後悔なんてしてない。そりゃ、苦しかったよ、切なかったよ、それでもね、僕は君が好きだった。そして君にもずっと愛されてたんだって分かった。これ以上何を求めるっていうの?後は・・・彼を傷つけたくないだけ」
「そいつを愛してるのか・・」
「そうだね・・。ねぇ手塚、愛には色んな形があるんだよ。男と女じゃなくても守りたいものってあるんだ・・」
手塚から深くて重たい溜め息が漏れた。
「ウィンブルドン、必ず優勝してグランドスラムを手に入れる。例え届かなくても、俺はお前の為に必ず勝ってみせる」
不二が綺麗に微笑む。手塚の好きだった本当の笑顔。
「ありがとう、手塚。ずっと応援してるから」
「ああ」
別れへの扉がそっと開けられた。
振り向きざまにささやくように不二は言う。
「幸せだった。世界で一番好きな人に愛されて。ありがとう、さよなら―――」
そして小さな背中は手塚の前から消えた。
××××××××
再び手塚のいない日常が繰り返される。
でも不二は以前とは変わった。いや、もっと以前に戻ったと言うべきか。
あの明るい笑顔が戻ってきた。
屈託無いその顔つきは結婚を控え、幸せいっぱいの女性と誰もが疑わなかった。
手塚との一夜を誰かに明かすことはない。もちろん寺下にも。
それが卑怯なことだということは十分すぎるほど分かっている。
けれどこの日があったからまた笑えるようになった。
今度はそれを寺下に向けていきたい。そしていつか産まれ来る新しい家族に。
それが不二から寺下への心からの謝罪と愛情だった。
「これは、どうするの?」
「うーん、もう捨てちゃって」
「じゃあ、これは?」
「うん、それも」
いよいよ寺下の出発が2週間後に迫った。
不二も夏休みを利用して暫くスイスで一緒に過ごすことになっている。
それまでに寺下のマンションの整理に不二はせっせと通いつめた。
寺下が仕事の日は不二が一人で片付けに来る。その時に取り分けておいた物を休日に一気に箱詰めするが、持って行かないものを思い切って処分する。
「なんか勿体無いなあ」
「それじゃ、周ちゃんにあげようか?」
「そんなことしたら結局また持ち主の元に返ることになるよ」
「あ、そうか」
顔を見合わせて笑い合う二人。
ゆったり流れるこんな時間が幸せに思う。
「ねぇ、これ船便でしょう?届くのはいつ?」
「1ヶ月くらいかなあ」
「嘘っ、じゃあ、最初は何もないところで過ごすの?」
「そういうことになるね」
「え〜〜〜!それなら荷物が来るまで旅行してようよ」
「あのねぇ、僕は遊びに行くんじゃないんだよ。し・ご・と!」
「ぶーっ!!」
「・・・・仕方ないなあ。それじゃ、荷物が来るまではホテルにでもお世話になりますか」
「わーーい!」
まるで父親と娘のようだ。それでもそんな関係が心地よい。
寺下は不二の我侭を聞くのが本当に上手い。
不二もいつの間にか甘え上手な女の子になっていた。
「ウィンブルドン今日からだね。日本人初のグランドスラムだっけ?きっとすごい注目だよ。何て言ったっけ、あの選手」
寺下の言葉に少しだけドキリとした。
でももう動揺したりしない。
「手塚だよ。手塚国光」
「ふーん、さすがよく知ってるね」
「そりゃそうだよ、手塚は同じ中学のテニス部だったんだ」
「嘘、マジ?」
「マジ」
こんなことを笑って話せるようにもなった。
あれからまるで何年も経ったようだ。
「そう、それは絶対応援しないと。雨で順延しなければ決勝戦こっちで見れるね」
「うん」
「優勝したら、周ちゃんサイン貰ってよ」
「やだぁ、寺下さんったらミーハーだね。でも、もう雲の上の人だから、会う事なんてないよ」
そう、もう逢うことはない。
でも胸を張って手塚を応援する。いつまでも、ずっと。
ウィンブルドン決勝―――
センターコートのくたびれた芝がこの2週間の選手達の軌跡を物語っている。
たくさんの汗と涙と努力の証。
その頂点を決める試合が今、繰り広げられていた。
セットカウント2−2
最終セット、これで全てが決まる。
「はい」
「え?」
「力が入るのも分かるけど、出発も近いんだからあまり無理しちゃ駄目よ」
リアルタイムのこの試合、放送は深夜に持ち込んでいた。
姉の由美子からホットミルクを差し出された。
「ありがと、姉さん」
一口飲んでほっと落ち着いたのも束の間、再び不二はテレビに釘付けになる。
「ねぇ、周・・ほんとにいいの?」
「何が?」
テレビに噛り付きながら話半分に返事をした。
「まだ間に合うわよ」
思いがけない姉の言葉に不二は漸くテレビから視線を外す。
「私、後悔してるの。あの時私が我侭さえ言わなかったら、あなたがこんな形で結婚することもなかった」
「何を言ってるの?姉さん」
「だって今でも彼が好きなんでしょう?」
姉の視線の先の人物はテレビの中で今熱戦を繰り広げている。
「何、言ってるの。手塚とはもうとっくに終わってるんだ。今更どうしたいとも思わない。それに僕は姉さんに感謝してるの。あの時姉さんが嫌だって言ってくれなかったら、寺下さんに出会うことはなかったもの。もしかしたらお義兄さんとして会ってたかもしれないけど」
「バカ、何言ってるの」
くすくす笑って言う不二に由美子も笑って答えるがそんな妹が不憫で涙がでそうだった。
「ほんとにバカなんだから・・・」
わぁっとスピーカーから歓声が漏れる。
手塚のスマッシュが決まった。
「――――よしっ」
手塚には珍しく声を上げてガッツポーズを掲げる。
後1ゲームだ。後1ゲームとればグランドスラム―――
今大会一番の注目選手。
もちろんナンバー1シードで上がってきたが優勝を得ることは容易なことではない。
それを彼は今、グランドスラムという最高の形で手に入れようとしているのだ。
不二にとってそんな偉業などどうでもよかった。
ただこの試合お前のために勝つと言った手塚。
もしその願いが叶ったら本当の意味で自分は手塚から旅立つことができる。
そんな想いが不二を祈らせる。
勝って、手塚。
ギュッと握り合わせた両の手を胸に祈りを込めて―――
『お前の為に必ず勝ってみせる―――』
何処からか声が聞こえた。
その瞬間、手塚のドロップショットが放たれる。
相手選手が必死でラケットを伸ばすが球は吸い込まれるようにネットの方に戻っていった。
「ゲームセット・ウォンバイ、テヅカ」
審判のマイク越しの声がセンターコートに響き渡る。
ウォンバイ テヅカ――――
会場の沸きあがる歓声と共に不二の耳にも確かにそれは届いた。
「勝ったよ、勝ったよ姉さん!手塚が勝った!!」
「うん。良かったね、周。ほんとに良かったね」
「うん!」
おめでとう手塚、本当におめでどう。この声を君に届けることはできないけど、僕は心の中で何度だって叫ぶよ。
おめでとう、
そしてありがとう・・・。
表彰式―――
ケント公夫妻がボールボーイ達の間を一人一人声を掛けながらゆっくりコートの中央へ向かう。
準優勝の選手がケント公婦人より銀のプレートが授与された。
そして手塚・・・・
大きく掲げられた金色に光の優勝の証。
会場が、ウィンブルドンセンターコートが歓声で沸きあがった。
どんな時も無表情なんて言われてきた手塚も清清しい顔をしている。
テレビのアナウンサーも興奮気味の声を出し、その栄光を称え喜びを隠せない。
日本人初の優勝、しかもグランドスラムとなれば明日のスポーツ誌やワイドショーの騒ぎようが目に見えるようだ。
こうしている間にもたくさんのカメラレンズとフラッシュの攻撃を受ける手塚に、「ああ、こういうの苦手だろうな」なんて不二はちょっぴり苦笑を洩らしてしまう。
試合後のインタビューが始まった。
「コングラチュレーション!!『おめでとうございます』」
「センキューベリーマッチ『ああ、どうも』」
同時通訳の女性の抑揚のない喋りが盛り上がるインタビュアーと相反していて、なんとも滑稽だ。
しかし手塚の淡々といた話し方には妙にマッチして思わず吹き出してしまう。
「『ああ、どうも』はないよねぇ」
一人テレビを見ながらくすくす笑う不二。
そんな妹を横で見ながら由美子は苦渋の色を浮かべていた。
由美子は寺下には会ったことがない。
幾ら不二でも嫌な相手との結婚なんて受けはしない、それは信じている。
両親の話からも寺下の人間性もきっと間違いないのだろう。
ここにきて達観したかのように落ち着いた妹だったが、それが反って由美子の中で違和感を生み出した。
演じているわけではない。不二に嘘がないことくらい実の姉だからこそよく分かる。
ただ悟ったようなその顔は女として誰かと愛し合っている表情じゃない。
人生も後半に入り、後は平穏無事に過ごせればいいと思っている年配女性の趣のようだ。
それはそれで幸せなのかもしれない。いや、実際妹は幸せそうだ。
でもまだ不二は21歳。同じ女性としてその若さで明日を悟って欲しくないのだ。
もっとどきどきするような、はらはらするようなそんな幸せを味わって欲しい。
不二は明後日、いやもう日付では明日になるのか、スイスへ出発してしまう。
このままでいいんだろうか。本当にどうすることも出来ないのだろうか。
そんな想いが由美子を焦燥させるが、当の不二にその気がないものをわざわざ事を荒立てるわけにもいかない。
由美子は見合いを跳ね除けたあの日をただただ後悔することしか出来なかった。
『この喜びを誰に伝えたいですか?』
インタビュアーのありがちの質問が始まる。
『日本にいる家族と応援し続けてくれた友人と、誰よりも不二に・・・』
通訳が代弁する不二と言う名前。
まさか世界のメディアが注目する中、自分の名前が出るなんて思いもせず、不二は生唾を飲み込んだ。
『不二さんとは?』
『誰よりも大切な人です。彼女がいたからここまでこれたと思ってます』
『手塚選手、あなたの恋人と言うわけですね』
『いえ・・残念ながら今は違います。けれど私にとっては最初で最後の恋人です。これからも彼女の為に戦い続けるつもりです』
不二はテレビの中の手塚をただ黙って見つめていた。
最後の会話を思い出す。
寺下を選ぶと言った不二に、それでもお前の為に戦うと言った。
一度別れを告げられたからこそ、その辛さはよく分かる。
今、手塚は4年前の自分と同じように苦しいはずだ。
それなのにこれからも自分の為に戦うと言うのか。自分が最初で最後の恋人だと言うのか。
そして次の瞬間、インタビュアーの信じられない質問が不二の耳を流れるように通り過ぎた。
『右に転向しての復帰、それは並みならぬことと思われましたが?』
「え・・・?」
な・・に?今、なんて・・・
右・・に転向?
そう聞こえた気がしたが、聞き違いだろうか。
『ええ、でも諦めるわけにはいかなかった。私の人生で何よりも必要なものがテニスでの成功の暁にありましたから』
『それではこのグランドスラム達成と共にあなたは素晴らしい何かを手に入れたのですね』
『いえ、それには少々遅すぎたようです』
『・・・・・・。それは・・・・不二さんだったということです・・か?』
手塚が何より欲しかったもの。
このインタビューを聞く誰もが気が付いた。
同時通訳の微妙にあいた間がインタビュアーの躊躇いを伝える。
それでも手塚は戸惑うことなく晴れやかに続けた。
『ええ、でも彼女が幸せなら満足です。それを信じて次の勝利を目指します』
『あなたのこれからの栄光をたくさんの人々が期待してると思います。本当におめでとうございました』
『ありがとうございます』
勝利のインタビューと言うより失恋会見。
手塚がここまでプライベートなことを語るなんて
それに、さっき聞いた質問、聞き間違いではなかったようだ。
不二に動揺が走る。
手塚が語った自分への想いもあったが、それよりも・・・。
右ってどういうこと・・。
さっきの手塚のプレイ、技の一つ一つは覚えていても・・・思い出せない。
不二は急いで自室に駆け上がった。
見るのも辛かったのについ買ってしまった何冊ものテニス雑誌。
手塚の記事を必死で探す。
落ち着けと自分に言い聞かせるが、高鳴る心臓と腕の震えで上手くページを捲れない。
「あー、もう!!どこなのっ」
急にリビングを飛び出した不二が気になり、後から付いて来た由美子が不二の慌てた様子をじっと見つめていた。
「あった!でもこれじゃない、これでも・・・」
捲っては戻し捲っては戻しを繰り返す不二。
紙が擦れるシャッと言う音と不二の焦った声だけが部屋に響いていた。
そして何冊目かで漸く不二の手が止まる。
「あ・・・」
ぽたり、ぽたりと大粒の涙がページに跡を残す。
その中の手塚が涙でふやけて、ぼんやりと滲んでいった。
けれどそれでもはっきり分かる。
「なんで・・なんで気付かなかったんだろう。僕は一体何を見て・・・」
ボールを捉えた瞬間が録られた写真・・・・手塚は右手でラケットを握っていた。
見たくないのに気になって手にとってしまう雑誌。
何冊も何冊も溜まっていくのに、結局辛くて全部に目を通すことが出来なかった。
記事を読めばすぐに分かっていたことなのに。
再起不能・・・左肩が完全に壊れてしまった。
4年前、再度痛めた肩を手術に踏み切りその結果、失敗に終わる。
治療とりリハビリを繰り返せば、治る可能性は十分にあった。
治療に掛ける時間を短縮したいが為に選んだことだったが、結果的にコートに戻るまで4年に渡る歳月が流れた。
何故、彼は時を急いでしまったのか――そのことが非常に悔やまれる。
それでも彼の再興は奇跡とも言える。あの若き新星は今、時を得て蘇った。
サウスポーの彼をもう見る事はできない。
だが彼は黄金の右腕を手に入れた。
何故時を急いだのか――――
聞かなくても分かる。
全て僕のせい・・・・僕との約束を守るために手塚は・・。
あの日何故、自分を忘れろと言ったのか。
『お前の人生を生きろ』それが答えだったんだ。手塚はちゃんと伝えていたのに。
今なら分かる。
ただの故障だったなら、手塚はきっとすぐに連絡をくれただろう。
でも・・再起不能。初めに下された結果はきっと彼を闇に突き落としたに違いない。
そして僕の人生も彼なりに考えたんだ。
右に転向し、成功する可能性など殆どなかったはず。
手塚は復帰できるか分からない賭けに僕を巻き込めないと思った。
だから僕自身のことを優先しろと言った。自分の事など考えず、僕の思うようにしたらいいと。
ただただ僕への思いやりだったんだ。
そして僕を迎えに行くために、必死で戦った。
利き腕の反対側を操るなんて容易にできることではない。しかも相手は世界の舞台。
それでも僕の為に手塚は乗り越えた。たった4年で・・
『確かな実績ができたらお前を迎えに行く』
不二の中に6年前の約束が蘇る―――
手塚にとってその約束は過去のものでもなんでもない、ずっとずっと「今」だった。
不二は顔を手で覆い、その場に蹲って泣いた。
声を殺すことも出来ず、自分の愚かさと情けなさと悔しさをありったけの涙に変えて。
手塚は何よりも不二のことだけを考えた。
愛しいからこそ、大切だからこそ、縛ってはいけないと思ったのだ。
それでもいつか不二を迎えに行くことだけを考えて、高い山を幾つも幾つも越えたのだ。
酷いことをしたのは自分の方だ。
手塚の想いを不幸に仕立て、悲劇のヒロインになりきって。
愛情を信じ切れなかったのは自分自身。会えなくなった事だけを真実だと決め付けてしまった。
好きならば、愛しているなら、例え嫌われても、どんなにみっともなくても追いかけることはできたはず。
結局自分がプライドを捨てられなかっただけだった。
崩れるように泣き続ける不二を由美子はそっと抱きしめる。
「姉さん、僕本当に手塚が好きだったの。だから、だから彼を許せなかった。自分のことしか考えてないって、手塚ばっかり責めて過ごしてきた。だけど自分の事しか考えてなかったのは僕だった。信じることが出来なかったのは・・僕だったんだ」
「周・・・」
「今頃気付くなんて。もう遅いのに・・。最低だね・・僕ってホントに最低・・・」
不二は由美子の胸で泣きながら自分を責め続ける。
血を分けた姉だから妹の痛みは我が物のように苦しい。
あの笑顔の絶えない春のような妹が、こんなにボロボロになって、こんなに苦しんで。
婚約さえしていなかったら、そう思って由美子もまた自分を責める。
何よりも可愛い妹を守ってやりたい。でも・・
出発は明日――時間は刻一刻と過ぎていく・・・
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