LAST DAYS 2
「ええぇっ!!!」
「その反応はどういう意味だ?不服なのか、それとも――」
周はぷるぷると首を振る。
「不服なんて!そんなことあるわけないじゃない!」
その目は驚きに満ちているが、周の言う通り不服とはほど遠い。寧ろ歓喜溢れんばかりというか・・・。
「それならいいが」
手塚は枕に新しいカバーを付けて、ぽんぽんと叩いてからベッドに置いた。
「わーい!」
みっちぃと周助を両手に抱えた状態で、周はボスンとベットに飛び込む。
「おい、それはあっちに置いておけ」
「えーっ!」
「ただでさえ狭いんだ。そんなものを置くスペースはない。それに俺が居れば眠れるんだろう?」
周はみっちぃと周助を見てから、自分の横にある空間に目をやった。
「ふむ・・・それは一理ある」
ごめんね。
二つのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめから、周はリビングのソファに置きにいった。
再び寝室へ戻ってきた時、手塚は既にベッドに入っていて、難しい顔でスケジュール表を睨んでいる。
「僕のことなら気にしなくていいよ?」
手塚は周をちらっと見遣って、
「お前の方こそ気にしなくていい。さっきも言ったが、お前が退屈しないなら連れていってやる。だが、折角来たんだから、どこか行きたいだろう?」
「ありがと。でもオフの日が来たらでいいよ」
我武者羅にトレーニングや練習を積むだけが脳ではない。
それなりに休息も必要だ。オフシーズンは特に休暇を取る選手も少なくはないが、手塚はそういう性ではなかった。
朝から晩まで、部活のように分刻みにテニスだけをしているつもりはないが、休息と言う形でラケットを握らない日は殆どない。
この先も、その考えを変えるつもりはなかったが、周の存在を無視するわけにはいかない。
暫くは調整しようかと、当面のスケジュールを見ていたのだが。
「いつまでこっちにいるんだ?」
「・・・・・」
「周?」
「ほんとに今度でいいからさ!お兄ちゃんはいつも通りしてたらいいよ。僕、留守番でも全然平気」
「だがお前も帰る都合があるんだし―――こら、聞いてるのか?」
話も途中で、周は手塚が空けていてくれたスペースに、もそもそと潜りこんだ。
実家のベッドも二人で使うには対外狭かったが、こうして堂々と横に入ると改めてその狭さを実感する。
普通のシングルベッドだ。ただでさえ身体の大きい手塚にはさぞ窮屈だろう。
「ねぇ、どうして一緒に寝ていいの?」
日本にいる時は、断固として拒否したのに。
だから手塚と居たい夜は、こっそり忍び込むしかなかった。
次の朝には懇々と説教して、暫くはやたら警戒体制に入るのがパターンだ。
だから次にお邪魔できるのはほとぼりが冷めた頃になる。
当然、ここでも同様だと思っていたのだが、信じがたい事に手塚の方から一緒に寝ようと言い出した。
さっきの過剰な反応は、それが理由だったのだが。
「ベッドがこれしかない。ソファも横になれるほど大きくない。寝具も他にない。仕方がない」
手塚はまるで箇条書きのように、つらつら台詞を並べる。
要するに、最後に言った「仕方がない」を強調しているのだ。
「何だ、つまんない」
「他に何があると言うんだ?」
「別に!何もっ!」
周は不服そうに、掛け布団を頭から被った。
手塚は首の位置までそれを掛けなおしてやり、眼鏡を外して自分も横になる。
ぷいっとそっぽを向いていた周が、すぐ手塚の方に身を返してぺっとりとくっついてきた。
「寒いか?」
「ううん」
でもくっつきたい。と言わんばかりに腕を手塚に絡める。
狭いベッド、その上布団も一組、枕も一個、離れろと押しのけるわけにもいかない。
周の肌から仄かに香るラベンダー。それがまた自制心を擽って。
まるで蛇の生殺しだ・・・。
手塚は息を深く吸い込んで、一旦呼吸を整えた。
「子供の頃以来だね。一緒に寝るの!」
「よく言う・・・」
呆れ口調で言う手塚に、周は違うと反論する。
「こうしておしゃべりしながら隣で寝るのは子供の頃以来だって言ってるの!」
「物は言い様だな」
「そうだよ」
周はくすくす笑いながら、絡めた腕に力を入れる。
「いつまでいるんだ?」
「んー・・?」
「日本にはいつ・・・」
全部を問う前に、すーっと寝息が聞こえてきて、ぎゅっと掴まれていた右腕が解放された。
「全く・・・」
おしゃべりするんじゃなかったのか。
気分は溜息ものだが、周のあどけないその姿に漏れるのは微笑み。
右も左も分からない国に、たった一人でやってきたのだ。さぞ気を張っていただろう。
言葉も通じない場所で、住所と地図を頼りに行動するのは案外心細い。
いつも自分の後ろをくっついて回るだけだった周が、そんな大胆なことが出来たのは、偏に自分に逢うため・・・。
手塚は疲れて眠ってしまった周に、胸が締め付けられる想いだった。
その身体を自分の方へ引き寄せ、そっと額にキスをする。
大人になったらな・・・
あの日周に向かって言った言葉は、自分への戒めでもあった。
******
弾けたボタンが、床にコロンと転がった。
それを視界の端に収めながら、手塚は性急に周をブラウスを剥ぎ取った。
春が近いと言っても、まだ肌寒い。
周はその下に更に衣服を纏っている。
煩わしい・・・寒さに弱い周を思い遣る気持ちも失くして、手塚は乱暴にそれを捲り上げた。だが―――、
「何だ・・・?」
何か異様な感じに手塚は身体を起こす。そして周の身体もそっと起こしてやった。
「お前・・・」
「な・・に・・?」
自分の身体を押さえながら、幾分震えた声で周は手塚を見つめた。
「え・・ちょっと何す・・」
戸惑う周を他所に、手塚は周がブラウスの下に着ていたブイネックのセーターを、まるで母親が子供にするように脱がせる。
されるがまま、万歳をしてセーターを脱がされた周は、まだ下にロンティを着ていた。
そして、その下に更に薄手の長袖シャツを着て、またその下に・・・、
「マトリョーシカか、お前は!」
「マト・・・何だって?」
「マトリョーシカ!ロシアの民芸品で開けても開けても同じ人形が出てくる・・・そんな話をしてるんじゃない!何だその服の枚数は!?」
脱がせど脱がせど一向に周の肌には辿り着かない。
突然襲っておいてこんなことを言うのも何だが、あまりにあまりではないか!?
しかもブラウスの下のセーターの下のロンティの下の長袖シャツの下は・・・
「あ、これ?ババシャツだよ、ババシャツ!これさあ、裏起毛になっててすっごくあったかいの。それでいて襟元が開いてるから外には響かない優れものなんだよ」
「ラクダ・・・あ、いや一体何枚着てるんだ?」
周は手塚の質問に、指を折って数え始める。
「1枚、2枚・・・・これで5枚で、後、下にキャミを着てるから6枚だね!」
「まだ着てるのか!?」
それだけ着こんで、ほっそりといられる周はある意味痩せすぎなのかもしれない。
などと心配している場合ではない。
この燃えたぎった熱い想いをどうしろと言うんだ。
どうしようもできない・・・な。
手塚はラクダ・・いや下着姿の周に脱がせた衣服を渡した。
それを受け取って、無言のまま周はじーっと手塚を見つめてくる。
気まづい・・・。
あのまま最後まで突っ走っていたら、周を壊したかもしれない。
だが、男の面子というか、プライドは守られたような・・・。
いや、分かっている。それがどれほど身勝手な想いであることは。
だがそれでも、もうどうなってもいいとまで思って挑んだ勝負だったのだ(理性が切れただけだ)。
しかも、周を傷つける行為であることは、途中で止めても同じ。
周が今何てことないように振舞っているのは、自分に気を遣ってのことかもしれない。
手塚は何も言わない周に我を恥じた。自分がしたことは利己的な行為にすぎない。
それだけでなく・・・・、
呆れるほど着込んでいる周を見て、手塚は幼い日の周を思い出したのだ。
冬になると、白い肌が痛々しくなるほど赤らんで、寒い寒いと暖房の前から離れない周。
彩菜が用意した(実際は爺さんが買っていたのだろう)人形のような洋服よりも、手塚のお古の大き目のセーターやズボンを好んで着た。
可愛さよりも、下に何枚も着れるというのが、周には重要だったようだ。
年頃になってもそれは全く変わってなかったというわけだ。
途端に、手塚は周を穢したような罪悪感に襲われた。
男と女である限り、いつかは越える壁かもしれない。
だが、幼い日の天使のような周までも、自分の欲望で汚してしまったような錯覚に捕らわれた。
「早く着ろ、風邪をひく」
「え・・・でも・・・?」
渡された衣服を自分に手繰り寄せて、周は戸惑いを見せる。
やはり気を遣っているのだ。
「すまない。どうかしていた」
周はほんの少し目を見開いた。
そして、じわりとその瞳を潤ませる。
「お、おい・・」
手塚は焦る。自分がしてしまった行為で周を泣かせてしまったのだ。
「わ、悪かった。お前の気持ちも考えず―――」
「なんで、やめちゃうの〜!?」
・・・へ?
うわーんと声を上げて泣き出した周に、手塚はきょとんとなる。
「折角いいとこだったのにぃ〜っ!ババシャツ着てたからぁ〜?わーん!ばかばかぁ、僕のばかぁ・・・」
「いやっ、だから、こういうことは軽はずみに考えるんじゃない・・・」
説得力ゼロ。
どの口が言ってやがるのか。
だが、やだやだと駄々を捏ねる子供のような周に、なんと説明すればいいのか。
「確かに、お前のラクダが原因かもしれないが、それは穢れないお前の顕れなのだから、そんなに自分を責めなくても・・」
責められるべきは手塚だろう?
しかも穢れない姿がラクダというのも、如何なものか。
だが手塚は真剣だ。というか必死だ。支離滅裂だ。
「だって、硬質でがちがちで融通利かない唐変木のお兄ちゃんが、この先僕に何かするとは思えないもん!!チャンスだったのにぃ〜」
「相当のモラルハラスメントだぞ、それ。・・・・というか、チャンスって何だ、チャンスって!?」
「だって〜〜〜っ!!」
手塚はまるで小動物を狙う野生の獣のように変身を遂げ、怯えるその姿にあろう事か一層の欲望を掻き立てられた。
言わばあの時は獲物を捕らえた百獣の王だったのだ。それが・・・、
怯えていたのではなく、期待に胸を弾ませていたと言うのか。
手塚は周が抱える洋服を一枚ずつ広げて、着せてやった。
その間も周からはすんすんすすり泣く音が聞こえてくる。
「泣くな」
涙を溜めた瞳で上目遣いに見つめてくる周に手塚は言う。
「まだ時が早いと思っただけだ。ラクダは関係ない」
「だって・・・」
「・・・・大人に・・なったらな」
未練たっぷりに唇を尖らせる周に、手塚は小さな声でボソリと告げた。
「大人になったら?」
「ああ・・・。大人になったらいつでも愛してやる」
「ほんと?」
「ああ」
あの日、涙の残る目で「約束だよ」と笑った周が今でも甦る。
約束・・・そう、言わば大人になるまで周には手を出さないという意味でもある。
子供の頃以来だね・・・
だが、隣で無邪気に眠る周は、子供の頃と何も変わっていない。
自分に腕を絡めながら、眠るところも、あどけない寝顔も、何もかも昔のまま―――。
子供から大人へ・・・いつかその境界線が見える時がくるのだろうか。
その時が訪れたら、本当に周を抱くのだろうか。
その日が来るのを望んでいるような、このままでいたいような。
周が側にいるほどに、複雑になっていく。
ただこの穏やかな寝顔は、いつまでも自分が守りたい。
手塚は枕もとの明かりを消して、瞳を閉じた。
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