LAST DAYS 3
「ああっ!!」
突然の大声に、持っていたカップがガシャンと音を立てて、周の手から滑り落ちた。
上手い具合にソーサーに乗っかって、なんとか割れずに済んだのだが、
「何なの、急に大きな声出して?びっくりするじゃん・・」
周は手塚をきゅっと睨みつけるが、そんなことは我関せずと、普段冷静な手塚が頭を抱えている。
一体どうしたのか、さすがに周も少し心配になって、手塚の顔を覗き込んだ。
「何かあったの?」
「誕生日の・・・」
「誕生日?」
目を見開いてきょとんと首を傾げる周に手塚は落胆ともいえる溜息を吐き出した。
「もうすぐお前の誕生日だろう」
「何だ、そんなこと」
何事かと思ったら・・・。
周は肩をひょいと竦めた。
「そんなことじゃないだろう。今年で二十歳になるんだ」
「二十歳ったって、何が変わるわけじゃないでしょ。お酒だって飲ませてもらえそうにないし」
「区切りは区切りだ。俺もそれなりに準備をだな・・・」
「っとに、そういうことになったら、お兄様になるんですね・・。準備って何さ?お赤飯でも炊いてくれるの」
ぷっと吹き出しながら冗談を言う周は、自分の誕生日などまるで意識していないことが伺える。
だが、手塚にはそれなりの想いがある。
二十歳といえば、成人になる記念すべき日。
周の言う通り、だからと言って何かが変わるとは思えないが、意識を変えることはできる。
ただでさえ遠距離の関係。自分の精一杯の気持ちを伝えようと思っていたのだが、
「送ってしまったじゃないか・・」
「何を・・?」
「プレゼントだ。お前が来るなんて思わないから―――」
不機嫌そうに語る手塚は、まだ黙って来たことを根に持っているようだ。
心配してくれる気持ちは嬉しいが、こうして無事着いた事だし、いい加減割り切ってくれたらいいのに。
「それはどうも。でも、プレゼントなんて要らないのに。また無理して高いもの買ったんじゃないの?」
手塚からの贈り物が嬉しくないわけではない。
ただ、手塚が気にしてくれるほど、周は物に興味がなかった。
それよりも、一緒に過ごす時間が欲しい。
電話で一言「おめでとう」だけで構わない。手塚と触れ合うことの方が大切なのだ。
だから、入れ違いで送ってしまったプレゼントより、今自分が側にいることを喜んで欲しいと思うのだが。
どうもこの堅物は、乙女心が分かっていないようだ。
「お前はすぐその辺りを気にするからはっきり言っておく。確かに少し高価なものだ。だが、驕っているわけではないが、今の俺が出来る贈り物だと思っている」
手塚が何をくれたのかは知らないが、確かに今の手塚を思えば、家を贈ったと言われても有り得なくはない。
郵送したということは、さすがにそれはないだろうが・・・。
家が郵便で届くのを想像して、周はクスクスと笑った。
「ありがと。有難く頂きますよ。で、何買ってくれたの?」
「それは・・・帰ったら分かるさ。出来れば当日に受け取って欲しかったんだが、仕方ない」
手塚なりに少しは感動してもらえるようにと、精一杯女性の気持ちになって演出したつもりだった。
というか、本当は直接渡す事が出来たら一番よかったが、テニスへの決意を揺るがすようでは意味がないと散々迷った挙句、当日に届くように指定したのだが。
結局当の周はここにいて、ブツだけが日本に行ってしまったという、考えたらひどく滑稽な話だ。
「ごめんね?」
仕方ないと言いつつ、眉間に深く皺を刻む手塚を見て、さすがの周も申し訳なくなる。
手塚のことだ、自分の誕生日を何よりも大切に考えてくれたのだろう。
「まあ少し遅れるだけだ。当日はその分大きいケーキを買ってやる」
「うん!」
嬉しそうに笑う周に手塚も目を細める。
何だかんだ言っても、二十歳の記念日に直接祝ってやれる方が、手塚も嬉しいのだ。
「それより、お前いつまでこっちにいるんだ?」
突然やってきたように、突然帰ると言い出しかねない。
自分とは違って、困ったくらいに風来坊なところがある。
行き当たりばったりというか、成せば成るというか。
見方を変えれば自立心が強いのかもしれないが、心配する側にとったら溜まったものじゃない。
せめて帰国の予定くらいは押さえておきたいと手塚は思うのだが・・・・。
「心配しなくても29日はちゃんとここにいますからー!ね、ちょっと散歩してきていい?」
「それは分かっている。その後のことを―――こら!周、聞いて―――」
また話半ばで中断してしまった。
どうもこの件に関してはぐらかされている気がする。
手塚はまた深い皺を刻んで、周が今出て行ったばかりのドアを見つめていた。
大方、予定を決めずに来たというところか。長い付き合いである。
やっぱり・・というのが本音だったが、春休み、特別予定がないのならぎりぎりまで放っておいやるのもいいかもしれない。
何よりも周が近くにいることに、少なからず浮かれている自分を否定できないでいるのだから。
しかしそんな手塚の思惑を他所に周は・・・。
「いつまでなんて・・・分かんないよ」
公園のベンチに座ってボソリと呟いた。
足元の土を、意味もなくつま先で掘るように蹴る。
来た日から手塚には帰国のことをやたら問われた。当然といえば当然だが、こっちも言いだすタイミングを見計らっているのだ。
手塚には対外の我侭は通る自信がある。子供の頃から渋々であっても最終的に折れてくれるのが手塚だ。
だが、ただ我侭で片付けられたくない。仕方がないではなく、手塚も同じ気持ちで受け入れて欲しい。
そう、周は帰らないつもりでやってきた。
それがどんなに身勝手で中途半端なことかは分かっている。
大学もまだ半分、折り返し地点に立ったところだ。
テニスも2年連続インカレに出場して、今年こそは優勝をと、取り込んできたのも事実。
趣味から始めた写真も、未だその域を脱するまではいってない。
今、現在の自分が胸を張って言えるようなことは何一つない。
しかし、それでも手塚のいない日々は自分にとって空虚なだけだった。
やるべきことは沢山あっても、そのどれもが満たされない。
勉強でいい成績を取っても、テニスの大会で上位に食い込んでも、どんなに納得できる写真が撮れても、
隣で見ていてくれる手塚がいなければ、何も輝かなかった。
端から見ればただの我侭。でも自分にとってはそれは大きな問題だ。
何をやっても熱が入らない状態で、この先花が開くとは思えない。
このままでいれば潰れてしまう。きっと手塚の足元にも辿り着けないような、そんな人間に成り下がって・・・。
日が経つにつれ、不安は恐怖に変わっていった。
いつか二人を割いてしまう、そんな空気が恐くてたまらなかった。
それなら一層手塚の元へ行ってしまおうか。手塚の隣で一から始める方が、きっと頑張れる。
手塚に相応しい自分になれる気がする。
思い立ったら早かった。後先考えずに出てきてしまった。家族にも・・・何も言っては来なかった。
けれど、後悔はしていない。置いてきたものに未練もない。後は手塚だけだ。
ずっと側にいてくれなくてもいい。何ヶ月も遠征に行ってしまっても構わない。
それでも、自分が手塚の帰る場所だと思えば、立ってられる。
でもそれをどう説明したら分かってもらえるのか。
自分がいなくても、ちゃんと前へ進んでいる手塚にどう言えば・・・。
夢を着実にその手中に収めて、プロとしてますますの活躍を遂げている手塚は、周の中でほんの少し遠い人になりかけていた。
なんて違うのだろう。もうすく二十歳になると言うのに、いつまでも支えがないと生きられない。
子供から抜け出せないでいる。
抜け出せなければ、ずっと妹のままということだ。
周もあの日の約束を覚えている。
身体の繋がりだけを思っているわけではない。
仕方ないと受け入れてくれる間は、手塚にとって自分は妹なのだ。
この想いが妹の我侭であるのか、一人の女としての恋情なのか、その違いはとても大きい。
いつまでも黙っているわけにもいかないが、恋人として受け入れて欲しい気持ちが強いだけに、言い出しにくいのも事実である。
「ハードル高いよ・・」
妹の方がずっと気楽だな・・・
周は自嘲気味に笑った。
*********
2月29日―――
20年前の今日、自分はこの世に生を与えられた。
複雑な生い立ちであったことは否めないが、今は生まれてよかったと、心から思っている。
「お母さん、今日で二十歳になりました。僕を産んでくれて本当にありがとう」
周は胸の前で小さなクルスを握り締めながら呟いた。
生みの母のことを聞かされた時、肩身の品だと渡されたペンダント。
カトリック信者の家庭だったそうだが、幼い頃に手塚家に引き取られた周にその宗教心はない。
ただ、本当の母親のぬくもりだと思って、その日からずっと肌身離さず身に着けていた。
「お母さんもきっと喜んでいらっしゃるだろう」
「そう思う?成長のない二十歳だって呆れてないかなあ」
「お前が健康で幸せな二十歳を迎えたのなら、それだけで喜んで下さるはずだ」
手塚は周の肩を抱き寄せた。
周は手塚の胸に頭を預けて言う。
「それなら大丈夫だね。僕は健康だし、こうしてお兄ちゃんの隣で迎える二十歳はとっても幸せだもの」
「・・・ああ」
手塚の戸惑うような返事に周はくすりと笑みを漏らす。
顔を見なくても照れているのが分かった。
自分もどちらかといえば、こういう状況は苦手だ。
普通のカップルと違って、兄妹として育ってきたせいか、男と女の雰囲気に包まれるのは妙な気恥ずかしさがある。
それでも、このままでいたい。
気まずい反面、この上なく幸せでもあり。
手塚の腕の中で溶けてなくなってしまってもいいなどと、乙女チックなことすら思う。
周はゆっくり手塚を見上げた。
20センチ以上上にある顔は、背伸びをしても届きそうにない。
強請っているように思われるだろうか。いや、実際そうなのだけれど。
どうしても手塚に酔いたくて。周はそっと瞳を伏せた。
降りてきた唇は優しくて甘い。
手塚とは何度か唇を合わせたが、こんなに甘いキスは初めてだ。
気持ちが高揚していく。全て委ねていいと本能が叫んでいた。
唇が離れた瞬間、息がほんの少し荒くなっていることに気づいた。
かっと熱を持った頬を押さえて、周は手塚から視線を逸らす。身体の芯が熱くてたまらない。
おかしい。自分が自分でなくなっていく。
「やだ・・・どうしよ」
身体の変化に焦る周。
自分の中の女の部分が芽を出し始めているのが分かる。
望んできたことでもあるのに、同時に罪悪感や不謹慎な気持ちに支配されるのは何故だろう。
どこかで兄妹を意識してしまう。欲望や感情を抑えようとしてしまう。
でも、その枷を外さなければ、前には踏み出せない。
「周・・?」
「おに・・ちゃん、あのね・・・。僕、日本には―――」
帰らない・・・。
続けようとした言葉がタイミング悪く掻き消された。
それでも、張り詰めた気持ちが解放されて、どこかホッとした。
鳴り続けるベル。いつもと少し様子が違う周に手塚も動くことを躊躇う。
「電話・・・鳴ってるよ」
「あ、ああ」
手塚は戸惑いながらも周の身体を放し、電話を取りに行った。
「はい。はい・・・今からですか?今日はちょっと・・・いえ、そういうわけではありませんが・・・」
電話に困った表情を向ける手塚。
何やら穏やかではなさそうだ。
「はい・・・、分かりました、少しだけなら・・・はい、失礼します」
手塚は受話器を置くなりすぐ、嘆息しながら首を振る。
そんな手塚に周も少し心配になる。
「どうかしたの?」
「すまない。ちょっと事務所に行って来る。スポンサーの事情で来週の打ち合わせが早まったらしくて・・・」
不愉快そうに言う手塚に周はほっと笑みを漏らした。
「なんだ、そんなこと。まあ、そういうこともあるって。急に休み取ったのはお兄ちゃんも同じでしょ」
尤も、自分のために取った休暇だということは周も重々承知している。
だが、スポーツ選手とはいえ社会に出ているのだ。融通を利かさなければならないことも多々あるだろう。
「終わったらすぐに帰るから、それまで―――」
「大丈夫だよ!僕のことは気にしないで」
折角の誕生日に一人家に残して行くことを気にする手塚を、周は笑顔で見送った。
「ほんとに過保護だねぇ、国光くんは」
周は言いながら、本名国光というみっちぃの鼻に自分の指をぐりぐり押し付ける。
「さて、帰ってくるまでどうしようか」
片付けをするほど散らかってない部屋。テレビを見ても言葉がさっぱり分からないし、一人で遠出をすればまたやかましく言われそうで。
また近くの公園にでも行くかと、窓の外を見ると、アパートの中庭が飛び込んできた。
「そういえばここの中庭ってゆっくり見たことないな」
こじんまりとした小さな庭だが、色とりどりの花がいっぱいでなかなか見ごたえがある。
ドイツという国は非常に外観を大切にするらしく、窓にプランターをぶら下げて花を飾っている家も多い。
そういえば日本のように洗濯物が靡いているのを見ないと不思議に思っていたが、手塚曰く、洗濯の殆どは乾燥機を利用するそうだ。
それも、外観を損なわないのが理由らしく、布団などもお日様に当てることはまず考えられないということだ。
一長一短はありそうだが、花が多いのは気に入った。
このアパートも例外ではなく、アパートの住人しか目にしない中庭も、きちんと手入れが行き届いたちょっとした庭園だ。
中庭なんて自分の家も同じ。気軽にサンダルを引っ掛けて、周は外に飛び出した。
一通り庭の様子を見て回った後、写真でも撮ろうと思立って、カメラを取りに部屋へ戻る。
しかし、―――
「あれ・・?」
ノブを動かしてみるが空回りするだけ。
すぐ下だからとキーは掛けずに外に出たのに。
「なんで閉まっちゃってるの!?」
周は知らなかった。
ドイツのアパートの殆どがオートロックシステムになっていることを。
ガチャガチャと幾分乱暴に動かしてみても結果は同じ。
「嘘ぉ・・・」
ちょっと庭にでるだけだからと、周は何も持っていなかった。
上着も財布もハンカチさえも。
手塚が出て行って、まだ小一時間ほどしか経っていない。
「どうしよう〜!」
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