聖なる夜になる鐘を・・・   中編


妊娠した―――


不二の口から漏れた一言。
二人の間になんとも言いがたい沈黙が流れた。
手塚のレンズ越しの瞳は僅かに見開かれ、いつもはきりりと閉じられている口も何か言葉を発したいのに出てこないと言わんばかりに開かれたまま。

「手塚・・?」

不二に名前を呼ばれてはっとした手塚は

「ああ、すまん。少し驚いて・・。本当なのか?」
「うん。病院に行ったら2ヶ月だって」
「2ヶ月・・」

手塚は額に手を当てて、らしくなく落ち着かない様子を見せる。

「そ、そうか。急なことで・・いや、こういうことは元来急な事なのかもしれないが。その・・大変な事になったな・・」
「うん。まだいろんなごたごたも片付いてないのに、どうしようかな。とりあえず早くご挨拶に行かなくっちゃ」
「いや、ちょっと待ってくれ。行き成り妊娠の挨拶に来られたらさすがに戸惑うだろう。年寄りの心臓にも悪いかもしれん。前もって話をしてみて―――」
「うん、分かってるよ。元々二人の事を認めてもらえるようにお話するつもりだったから、まずその事を。でも年寄りってのはちょっと言いすぎじゃない?まだまだお若いよ。」
「いや一見元気そうでも、年齢には勝てないこともある。だが心配するな。俺達の事はすでに認めてくれている」

「それならいいけど・・。って、誰の事だって?」

話が今ずれたような気がしたが?
手塚は至極真面目な顔で尚も続ける。

「両親も祖父も喜んでくれてるんだ。一時俺の事でお前にはすまない事をしたと―――」
「ちょ、ちょっと待って!!君のご家族が僕を受け入れてくださるのは嬉しいけど、話がなんでそっちへ飛ぶわけ?」
「二人の事を認めてもらえるようって、お前が言ったんだろう?」
「だからそれは、姉さんと寺下さんの・・」

そこまで言って、手塚が何を勘違いしてるのか大体の察しがついた。

「ねぇ、まさかと思うけど妊娠したの僕とか思ってない?」
「違うのか?」

真剣に答える手塚に、不二の顔は見る見る真っ赤になっていく。
正に茹で蛸のようにといっても過言ではない。

「ば、ばっっかじゃないの!?あの流れから行くと姉さんに決まってるでしょっ!!」

恥ずかしさのあまり、不二はつい暴言を吐いてしまう。

「そうなのか?」
「そうだよっ!」
「そうかな?」

しつこいっっ!!!

未だ釈然としない表情の手塚に不二は自分の気持ちをきっぱりと言い切った。

「とにかくっ!僕は妊娠なんてしてないから。大体結婚だってまだまだ先の事なのに、子供なんて!!」
「先の事?」
「そうだよ。仕事だってしたいし、その前にまず大学も卒業しなきゃなんないんだよ。」
「・・・・・」

それを聞いて暫く考えるように手塚は黙り込む。

「・・手塚?」
「ああ、すまない。そういえば聞いた事がないと思ってな。お前何かやりたいことでもあるのか?」

手塚は不二が仕事と言いだした事に反応したのだ。
大学を卒業して就職するなど極当たり前の事だが、ある意味手塚も俗世間からはずれた生活を送っている。
不二が社会に出て働くなどと今まで想像した事もなかった。

「そう言われると辛いんだけど・・。だって結婚する予定だったしょ、就職活動とか何もしてなかったし」

もごもごと声のボリュームが下がっていく。
手塚は何もかも知っているとは言え、やはり自分が違う男性と結婚する予定だったなどと口にしたくはないものだ。

「周りは殆ど進路決まっちゃって、正直焦るとこだけど就職浪人も覚悟で頑張るつもり」
「そんなに就職したいのか?」
「そりゃあ、いつまでも親の脛噛りでいるわけにはいかないし、それに一人前になるためにはもっと世の中を知らないといけないと思うの。就職はその第一歩でしょ。」

だって手塚に相応しい人間になりたいから。
敢えて口には出さないが、それが不二が社会へ出て一人前になりたいという一番の理由だった。
手塚の隣にいてせめて彼が恥ずかしい思いをしないですむ程度に最低限の常識やマナーを身につけたい。
もちろん就職することだけが全てじゃない。大事なのは自身の人間性であることも分かっている。けれど何もかも未熟な今は、それを磨くためにも社会へ出る事は必須だと思うのだ。

手塚は不二の話を黙って聞いていた。というより不二の将来への考えを初めて聞いて少し動揺していたのだ。
何となくだが不二は大学を卒業したら自分の元に来るのではないかと思っていた。
本当に根拠もなにもない、何となくだったのだが。
でもそれを今、不二自身にきっぱりと否定されたも同じ。結構な打撃を食らった気分だった。
ただそれが不二の望むことであれば、応援してやりたいという気持ちもある。いつかは不二を自分の元へと思う気持ちに変わりはない。
だったらそれまでは不二のやりたい事を自由にさせてやりたいとも思うのだ。
もちろん一緒になったからといって縛り付けるつもりはないが、結婚は思わぬ自由を奪うこともある。妊娠もその一つ・・。
そう思えばこの話が不二の事でなかったのは、良かったのかもしれない。

「そうだな。とにかく、勘違いで良かった。俺達にはそうだな。まだ荷が重い・・な」
「・・・・・。」

荷が重い・・。
確かにそうだ。
結婚をしてないカップルの妊娠は昨今では珍しい事ではない。
でもその事実を手放しに喜べた人はどれくらいいるだろうか。
結果的に幸せになっている人たちも一時はきっと何かしら悩みを抱えたに違いない。
姉や寺下さんのように社会的にも年齢的にも何も問題はない二人でも結婚をしていないというだけで超えなければならないハードルがある。
手塚が荷が重いというのは最もなことで、それは自分に置き換えてもやっぱり同じことなのだが・・・何故だろう?
妊娠が自分じゃなかった事に胸を撫で下ろす手塚が不二は何故かショックだった。

「そう・・だね。」

乙女心とは実に複雑なものである。
ほんの少し淋しげに不二は手塚から視線を逸らした。




×××××××××





重厚な門の前でごくりと唾を飲み込む。
以前ここを訪れた時は、この家の一員になるものとしてその敷居を跨いだものだった。
そして、その時の不安な気持ちも隣で優しげな瞳が大丈夫と見守ってくれていた。

ああ、自分はいつも誰かに守られていたんだ。と一人になると痛いほど実感する。

不二は今、寺下の家の前に一人で立っている。
けれど大好きな姉と寺下のため、そして婚約解消という最大の不始末を詫びるためく通らなければならない扉である。
まだまだ子供の自分がこうやって直談判に乗り込むなんて世間的には非常識なことかもしれない。
お詫びにしてもきちんと両親とやってくるのが筋だろう。けれど、どう咎められても構わない。
精一杯の気持ちで話せばきっと分かってもらえる。そう信じて不二はインターフォンのスイッチに手を掛けた。



「まあ、周ちゃん。いらっしゃい、よく来てくれたわ」

寺下の母の思わぬ歓迎の言葉に一瞬面食らってしまう。

「こんにちは。今日は突然お邪魔して・・・」
「堅苦しい挨拶はいいから、さ、上がって頂戴。お父さんもいるのよ」

リビングに通された不二に温かいお茶と菓子が差し出された。
重苦しい雰囲気を覚悟してやって来ただけに、婚約者としてこの家に訪れた時と何変わらないご両親の態度に反って胸が痛む。
聞かされていた話によると、婚約解消は寺下の都合になっているらしい。
ご両親は自分に申し訳ないと思っていらっしゃるのかもしれない。
事実を知ったらどう思われるだろうか。こんな風に穏やかには笑ってくださらないかもしれない。
それでもきちんと本当のことを話して謝らなければ、きっと後悔する。
意を決した不二は寺下の両親に向かって頭を深く下げた。

「この度は本当に申し訳ありませんでした」

寺下の両親は行き成りの不二の行動に驚き頭を上げさそうとする。

「まあ、何なの周ちゃん。やめて頂戴な。ねえ、お父さん。」
「ああ、まさか婚約解消の事を気にしてやってきたんじゃなかろうね?」

「寺下さんはご自分が責任を被って下さったようですが、原因は私のほうにあるんです。だから・・。」

だから頭を下げに参りました。と続けようとした言葉は二人の笑い声で掻き消されてしまった。


「ええ、聞きましたよ。貴方の方も他に想う方がいらしたようね」
「・・・え?」
「3日前にいらっしゃいましたよ。手塚さんっておっしゃったかしら」
「なっ・・・」

手塚がここに来た?
3日前といったら彼が帰国した日ではないか。でもそんな事は一言も・・・。

「正直、驚いたわね?お父さん。」
「ああ。行き成り世界の有名人がやってきて、目の前で土下座をするもんだから何かのどっきり番組の撮影かと思ってね・・」
「くすくす・・お父さんったらやたらキョロキョロするもんだから何かと思ったらカメラ探してるのよ。私はそんな有名な方とは知らないものだからただ唖然として・・」

二人目を合わせながらその時の事を思い出して笑い続けている。
不二は思わぬ展開に何と言っていいか分からずそんな二人の姿を交互に見つめるばかりで。

「でも私達もほっとしたのよ。息子のいたらなさでお若いあなたに傷を付けてしまって、どう償いをしようかと思っていたから」
「そんな・・・」
「いや、実はわし等も晴海の本音は知っていたもんでね。とんとん拍子に結婚が決まってどうなるものかと思っていたが案の定の結果で、こんなことなら初めからお姉さんの方だとはっきり申し上げておけば。君には本当に申し訳ない事をした」

逆に頭を下げられて不二は慌ててそれを止めた。

「やめてください。本当に悪いのは私のほうなんです。寺下さんは十分良くしてくださいました。私はその気持ちに甘えるばかりで何もできず、こんなことに・・」

不二の瞳から透明のしずくがぽたぽた流れ落ちる。
泣くことだけはダメだと決めていたのに、今更ながらに寺下の思いやりが蘇ってくる。ご両親の寛大な優しさも胸に響く。
そして手塚・・・。何も言わず自分を後ろからいつも支えてくれている。いつだって一人にはさせない。
自分はなんて皆から大切にされているんだろう。手塚になんて愛してもらってるんだろう。
そんな想いが涙に代わって止める事ができなくて。
寺下の母がそっとそれを拭って言った。

「いいのよ。女の子は好きな人と幸せにならなくちゃ。ね、今幸せなんでしょう?」
「はい。はい、とっても」
「そう。それなら何も問題ないわ。これが一番よかったのよ。ね?」
「はい。はい」

震える声で返事をする事が精一杯で、まるで幼い子供が大人に宥めてもらっているような感覚だった。
けれどそれが妙に心地よくて、人から大切にされる嬉しさを、人から貰う優しさを、不二は愛しくてまるごと抱きしめたい気分だった。

でもそれで話が全て終わったわけではない。
寺下の両親は寺下が由美子を好きだったことをご存知のようだが・・・。

「あの・・・寺下さんが姉のことを・・というのは?」
「ええ、お恥ずかしいことなんだけど、あの子ねお父さんの仕事関係の席で由美子さんを見た時、見初めちゃったみたいでね、一時の想いだろうとこちらも真剣に取り合わなかったんだけど、お見合いのお相手が不二家のお嬢さんならなんて言い出すものだから、まだ忘れてなかったんだと私達も気付かされて・・。」
「それでそちらさえよければと思ってお願いした見合いだったんだがね・・・」
「私が来てしまった・・・って事ですね」

今となれば笑い話と言わんばかりに寺下の両親は朗らかに笑い飛ばす。
結局一人者を通していると思ってる両親にとって、本当は笑ってもいられないはずだが、不二にも気を遣ってくれているのだろう。

「でも、いくつになっても息子ですからね。今からでも望むお相手が見つかればって思うのだけど」と、ちらと母親が本音を漏らした。

ということは寺下さんと姉が一緒になることはご両親も望んで下さるのではないか?
そう直感した不二は寺下家を訪れたもう一つの理由を口にした。

「筋違いな事と重々承知してるのですが、もし姉が寺下さんとってことになったら、その・・・賛成してくださいますか?」

不二の言葉に寺下の両親は互いを見遣り、もう一度視線を不二に戻した。

「それは、どういうこと?」






不二は今、手塚に逢いたくて仕方がなかった。
もちろん当然のように手塚の所へ向かっている最中であるのだが。
こんなに上手く事が運んでいいのだろうか。
何もかもスムーズに流れすぎて、しかも皆が幸せという最高の状態でちょっぴり怖いくらいだ。
思わず浮かれそうになる状況にすっかり興奮して、何よりも手塚に一緒に喜んでほしくて軽い足取りで手塚の元へ急いだ。

なのに不二の報告を受けた手塚の顔には渋面がありありと貼りついている。
事の結果よりも、不二が一人で寺下家に行ったことに不服を感じたようだ。

「何で、そこで怒るかなー」
「行く時は言えと言ったはずだろう」

手塚は一緒に行くからと言ってくれていたが、そこまで頼るのは嫌だったのだ。
寺下との問題は自分との事、手塚は関係ない・・・ことはないが、それでも直接は関わりのないことだ。

「だって、これは僕の問題だよ。君が行くなんて普通考えないでしょ?」
「普通とか世間的なことで物事を考えるな」
「何でだよっ!相手がある事なんだから考えて当たり前じゃん!!」
「全く、ああ言えば、こう言う。たまには素直に『はい』と言えんのか?」
「納得できないからでしょっ。僕はいつだって素直だよっ!!」
「どこがっ!!」

どうしてこんなくだらない事で言い合いをしているのだろう・・。
分かっていても互いに止まらない。
不二は手塚がこの結果を共に手放しで喜んでくれるものと思っていただけに、思わぬ反応が返ってきた事に納得いかず、手塚は手塚で寺下の両親の人柄は分かっていたものの、不二に一人で頭を下げさすような事はさせたくはなかったし、もう少し自分を頼って甘えてくれてもいいんじゃないかというもどかしさを感じていたわけだ。

だが、ぷいっとそっぽを向いて拗ねてる不二を見れば、さすがに意地を張り続けるわけにはいかない。
ここは男として少し大人になることにしよう。引き際も大切だと手塚は、

「まあ、お前が何の考えもなしに行動することは昔から分かっているのに、それに気付かなかった俺が浅はか・・・」
「何だって〜〜〜!!」

さらに不二を噴火させることを口にしてしまった。

「大体ねぇ!手塚は昔から僕のやることなすことにケチ付けすぎなんだよ」
「何だと?自分の恋人が無鉄砲なことをするのを止めるのは当然だろう?」
「違うよっ!信用してないだけだよ。温かく見守る気が全くないってことなの!!」
「お前の問題は俺の問題だ。見守っててどうするんだっ」
「どうって―――」

お前の問題は俺の問題・・・そう言えば寺下さんのご両親に土下座したんだっけ。
さっき聞かされた事をふと思い出して、不二は言いかけた続きを飲み込んだ。

土下座なんて男として決して簡単なことではないだろう。
しかも世界に名が知れ渡っているほどの立場で、プライドの欠片もないその行為を自分のために出来てしまう人だ。
たまたまいい人達だったから良かったものの、彼らが手塚の名を売ってしまうような人間かも分からなかったはず。
そんな彼に包まれて自分は幸せ以外何ものでもない。こうやって怒るのも自分を守ろうとする手塚の愛情なわけで。
そう思ったら上がった熱もスーッと冷めていく。

「ごめんなさい」
「・・・・・は?」
「だから、ごめんって。僕が悪かったです」
「あ・・いや・・その・・俺も少々言い過ぎた」
「ううん、そんなことないよ。僕のためだもん。ありがと、手塚」
「いや、まあ、うん」

急に素直になってにっこり微笑む不二を『可愛い』と思ってしまう手塚は、そこで機嫌もすっかりよくなってとても単純なものである。
不二本人は策略も何もなく至って本気で謝っているのだが、多分不二のほうが相手の操縦は上級クラスであろう。

「お姉さん達に報告しなくていいのか?」
「うん、しなきゃね。でも今は君とこうしていたいな」

不二が手塚の首に腕を回す。
もちろん手塚もそれに答えないわけがない。
先ほどの言い争いはなんだったのかと言うほど、二人の仲は深まっていく。
やっぱり不二が手塚より一枚も二枚も上手のようだ。




近くまたアメリカへ戻ってしまう手塚に若干寂しさを覚えながらも、不二は幸せいっぱいの時間を過ごした。




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