麗夢(れいむ) 

平安時代末期の白拍子。綾小路麗夢の前世。平家の御曹司、平智盛の恋人です。
 ビデオ「夢隠首なし武者〜」での登場シーンからすると、普段から白い水干(すいかん)という衣装をまとい(首元の、大きな赤いぼんぼりのついたリボン(?)がアクセント)、カーテンの様に顔を覆う薄い紫の紗が付いた市女笠(いちめかさ)と言う帽子を目深にかぶって歩き回っているようです。要するに男の格好、即ち白拍子の姿ですね。持ち物は横笛1つ。これは、後に美衆家に伝わり、怨霊と化した智盛を救う重要な小道具になります。
 顔立ちは麗夢(レム)にそっくり。髪が漆黒で麗夢(レム)のより癖がなさそうなのと、前髪の跳ね方が少し違うだけです。ただ、身のこなしは麗夢(レム〕よりも優れているようです。合気道のような体術を身につけているらしく、お話の冒頭で、油断していたとはいえ大の男があっさりと投げ飛ばされています。
 智盛との出会いは、壇ノ浦の合戦を遡ること5年前。満開の桜が咲き誇る春でした。つまり、治承4年(西暦1180年)の春です。この年は記録に残る猛暑であり、桜の花も早めに咲いたと思われますので、その出会いは太陽暦4月初めに定めることが出来るでしょう。当時の暦なら3月初ですね。
 さて、この年は2月11日(旧暦)に時の天皇高倉帝が清盛の圧力や何やらで東宮、つまり清盛の孫、安徳天皇に位を譲ると宣言し、平氏が「自分たち以外は人ではない」と豪語したまさに権勢の絶頂期に当たります。そんな風潮は平氏の末端まで行き渡り、名もない雑兵まで肩で風を切って都を闊歩していました。そんなやくざまがいの3人連れが罪もない町人に因縁を付けていたのを麗夢が見とがめ、一触即発のところに通りかかったのが智盛。瞬く間に二人は互いに一目惚れし、楽しい生涯を暮らしましたとさ、と言いたいのですが、歴史の流れはそんな幸せをいつまでも許してはくれませんでした。
 この年の4月には源頼政と以仁王が都で反旗を翻し、6月に福原遷都、8月には頼朝が挙兵、10月、富士川合戦で平氏大敗、という忙しさで、智盛も席を温める暇もなかったことでしょう。その後状況は一方的に源氏有利に動きだし、1183年5月、木曽義仲討伐軍の敗滅をきっかけに源氏の圧力に耐えかねた平氏は同年7月、都を捨てて西国に落ち延びました。この逃避行に麗夢も智盛について都を立ちます。二人にとっては手に手を取っての愛の逃避行と言うところでしょうが、そんなロマンチックな日々もつかの間の幸せに過ぎませんでした。運命の日、1185年2月18日(旧暦)。勢いを盛り返して四国の屋島に布陣した平氏軍は、突如源義経の奇襲にあってまたも散々に討ち破られます(屋島の合戦)。その混乱の最中、麗夢(れいむ)は身を挺して敵の矢から智盛を守り、短い一生を閉じました。ムックでは何故か「鳥井の合戦」となっていますが、ビデオではちゃんと美衆桜花老が「屋島の合戦」と言明していますし、ムックの方は単なる誤植と思われます。
 ところで、麗夢(れいむ)は麗夢(レム)と同じ様な特殊な能力を持っていたのでしょうか? その姿をかたどった夢見人形や形見の笛には特殊な力がある、と鬼童や円光が見ていますから、その元である麗夢(れいむ)もやはり常人ではなかったのではないか、と推測は出来ます。また、ビデオのラストで正気を取り戻した智盛が、変身した麗夢(レム)のビキニスタイルを見て全く驚く様子もなかったところから、智盛は生前麗夢(れいむ)のそんな姿を見たことがあったのではないかと考えられます。平安時代末期にあんな刺激的な姿で現れれば、驚かない男はいないでしょう。つまりあの戦闘衣装は少なくとも800年前から夢守に伝わる先祖伝来の武具であり、麗夢(れいむ)もまた、魑魅魍魎が闊歩する平安京の闇を、あの姿と夢守の力で切り裂いてきたのではないか、とかっこうは考えたいです(その方が創作のやりがいもあるし)。

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