(仏道要集)  

 四、肝力

 鎌倉円覚寺の開山無学祖元(むがくそげん)は、北条時宗の坐禅の師である。無学祖元が中国の温州の能仁寺で、元兵の侵入を避けて坐禅をしていたとき、元兵が寺内に入り込み、祖元の首を切ろうとした。そのとき、祖元は落着いて顔色一つかえず、動ずることなく次の偈を唱えた
という。

   乾坤(けんこん)、弧笻(こきうょう)を卓(た)てる地なし
   且喜(しゃき)すらく人空(にんくう)、法も亦た空なり
   珍重す、大元三尺(だいげんさんじゃく)の剣
   電光影裏(えいり)、春風を斬(き)る

 一行目。「乾坤」は天地のこと。「弧笻」は一本の杖のこと。したがって、「天地には一本の杖を立てることもない」となる。つまり、天地いっぱい微塵も隙がないので、一本の杖でも動かすことができない。坐禅している自分も、剣を持った元兵もいない。斬る人も斬られる人もいないとの意である。
 二行目。「且喜すらく」とは、そうであればとのこと。「そうであれば人も空、法も空である」となる。ここにいう法は、一切の存在するもののことである。森羅万象もその中の人間もすべては空であるとの意になる。
 三行目は、元兵の三尺の剣をいただこうとのことである。
 四行目。電光の影のように、一瞬きらりと光ったならば跡には何もない。それは春風を斬ったにすぎないということである。
 つまり、打つ刀も、切る人も、切られる自分もすべてが空であることを言ったものである。
 この無学祖元の静かで落着いた態度にうたれた元兵は、祖元の首を切ることなく礼拝して立ち去ったということである。心を静める禅定の大切さを学ぶことができる。