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眞言律宗 | 観音寺 |
Original: 2005 / 9 / 6 Copyright © 2005 Kannonji Temple All Rights Reserved. |
私の仏道(5)三昧は、自己の境地を深める最上の手段である。本から宇宙法界の三昧に入っているので、自己も三昧になるのだと気づいた。自己の三昧は、宇宙法界の三昧、如来の三昧である。三十八年間毎日工夫して三昧を深めようと努めてきたが、三昧を求める心が消えてしまった。なるようにしておけば自ずと三昧に入り、境地は深まってくるので、三昧を求める必要は無いのである。(平成26年10月更新) 私の仏道(4)真言密教の五大願に、「法門無辺誓願覚」、「菩提無上誓願証」がある。仏法は無辺であり、悟りは無上であることをいう。この無辺・無上の真理を自覚して限りのない道を進んでいくのが仏道である。 境地を深めても限りがないという真実に気づくとき、歓びがわいてくる。境地の深さが有限であれば、歓びがわくことはないし仏道とはならない。如来にしたがって限りのない仏道を歩むことのありがたさを感じるのである。 (平成23年1月更新) 私の仏道(3)私の修している冥想は、如来を念じることである。呼吸は、真如の出入りである。心を出息に集中することは、如来を念じていることである。念じるとは如来をたよりとし、如来のはたらき、慈悲を信じ、如来を心にとどめることである。これによって如来にうち任せることができる。 つまり、念じるとはどこまでも如来にただうち任せることである。うち任せていると、うち任せることすら忘れはてている。 (平成21年2月更新) 私の仏道(2)
『維摩経(ゆいまぎょう)』に、維摩居士(ゆいまこじ)が、文殊菩薩に次のように言っている場面があります。 私の仏道(1) ブッダ(釈尊)に帰ろうということである。 ブッダに帰ろうとは、ブッダの根本精神に帰ろうということである。 ブッダの根本精神は、如来にめざめることである。 |