(仏道要集)  

 五、不生

 盤珪禅師(ばんけいぜんじ)が、京都山階の地蔵寺に滞在していたときのことである。当時、真言宗の碩学(せきがく)と言われていた御室(おむろ)真乗院の孝源大僧正の来訪を受けた。孝源僧正は、次のような疑問点を抱えていた。
 「空海によれば、真言宗は諸宗よりも勝れており、天台や華厳の上に位し、十住心の中で第十秘密荘厳心として至極の立場にある。それなのに一方で、禅宗は教外別伝(きょうげべつでん)の最上乗であるといわれている。この点を疑問に思い、『碧巌録(へきがんろく)』を読み、『臨済録(りんざいろく)』の講釈を聞いても納得できず、隠元隆琦(いんげんりうゅき)や木庵性瑫(もくあんしうょとう)に相見してもうなずくことができない。近頃は鉄牛道機(てつぎうゅどうき)に親近しているが、どうも通徹できない。一体日用の工夫・用心はどのようにすればよいのか」と。
 この質問に対して盤珪禅師は、
 「此(この)心本来不生、纔(わずか)に擬(ぎ)すれば即生死(そくしょうじ)、元(も)と自ら円明(えんみうょう)。知覚すれば即隔礙(かくげ)をなす」と答えた。
 「この心は本来不生である。わずかでも思案すれば即座に迷いとなる。本から心は円満である。分別すればたちどころにさまたげとなる」との意である。
 孝源僧正は大いに感動し、「わが宗の阿字諸法本不生の義を今始めて信得し、如実知自心も初めて信徹したと喜んだという。

  碧巌録   十巻の公案集。公案を参究し工夫することによって自己を究明するという看話禅(かんなぜん)の基本の書。
  臨済録   唐代の禅僧臨済義玄の言行録。臨済は独自の禅思想を展開した一大思想家。
  隠元隆琦  1592-1673。1645に渡来。宇治に万福寺を創建した日本黄檗宗の開祖。
  木庵性瑫  1611-1684。黄檗宗の僧侶。江戸時代前期に明の国から渡来。
  鉄牛道機  1628-1700。石見出身の黄檗宗の僧侶。木庵性瑫の法を継いだ。多くの黄檗宗の開山となった。