(やすらぎの信条)  

   二.先のことをあれこれ思い煩って悩まないようにしよう

 先のことは確定しておらず現実ではないのに、人はあれこれと思い煩うものである。 それは、自分の立場を確かめて安心したいからである。今の立場が良いか悪いかを知りたいからである。
 悪くて不利益にならないか。もし不利益になれば、よくなるように改めなければならない。そうであればどのようにしたらよいのか。今の立場が悪いのであれば、どの程度悪いのか。努力すればよくなるのかどうか心配である。今よりもっと悪くなるのではなかろうかなどと思い煩う。
 このように思い煩う心には、自己を守ろうとする心がはたらいており、 その心の底には不安な心がある。常に不安な心がはたらいているから先のことが気になるのである。
 たとえば、病気をせずに健康である。 仕事は順調で対人関係もよく、生きがいを感じている。経済的に安定していて家族は円満であるといった境遇であれば、心はやすらぐであろう。
  だが、現実はどうなのか。加齢と共に体力が衰えて病気がちとなる。 仕事がうまくいかず対人関係も思うようにならない。孤独感を味わうことがある。経済的に不安定で家族間が不和である。このような境遇になれば不安な心となる。
 また、ものごとが具合よく運んで順境であっても、この状況がいつまで続くのか。財が有っても財が無くなりはしないか、盗まれはしないかなどと思い煩って心が休まることはない。反対に逆境であれば、このままの状態がずっと続いて逆境を克服できないのではないかと不安になる。
 人は順境であればあるで思い煩い、逆境であればあるで思い煩うものである。境遇に左右されると人は迷い続けることになる。 人の現実はこのようなものである。
 人は誰でも何らかの不安を抱えて思い煩っていると思われる。 たとえ一つの不安が解消されても、また次に不安が出てくるというように心の休まる暇がない。常に不安におおわれて思い煩っているといえる。
  それでは不安な心となる根本原因は何なのか。それは、根底に死があるからだ。人には死の意識がある。つまり、死がある限り人は不安から逃れられないということである。
 死への不安があるといっても、死にとらわれていれば何もできない。 死から逃れられないのであれば、死を思うことよりも今しなければならないことに心を向けることしかない。 人は迷うと過去の思いにとらわれ、未来を空想したりするのであるが、それらは現実ではない。
 あれこれ思うことよりも今をいかに生きるかが大切である。今を大切にすることは、一瞬を大切にすることであり、一時間を大切にすることであり、今日一日を大切にすることである。一瞬の積み重ねが今日一日を形成するからである。結局、今行なっていることに力を集中するということに尽きる。
 一日一生という言葉がある。これは一生は一日一日の積み重ねであるとの意になる。一日が大切ということは、今の一瞬が大切ということである。そのために一日をどう過ごすかということではなく、一日をどう生きるかということが求められる。
 生きていると実感できるのは今だけである。 過去も未来も実感できない。今を大切に生きることは、輝きであり、歓びである。