(やすらぎの信条)  

  四.他人への余計な干渉、批判、中傷、悪意のある噂などは慎もう。

 他人の生き方に干渉する人がいる。そういう人は、自信過剰なタイプの人に多い。本人は親切心のつもりなのであろうが、人の人格やプライドをかえりみないので嫌悪される。また、そのような人は、自分に自信があるので、押し付けがましくなるのである。相手を軽視して自分の優位性を誇る心があるので、干渉して自分の思い通りにしようと考えている。その底には自己満足の心がある。
 自分の思い通りにならなかったり、苦悩したりすると、不平不満の心が生じる。その不平不満を外に向ける人がいる。誰が悪い、彼の所為(せい)だ、世の中がおかしいなどと何でも外に向けて批判する。 そして、不都合になれば親しい人とも対立し、非難するようになる。このような人は、他人ばかり責めて自ら反省しようとはしない。
 根拠のない悪口を言って他人の人格、名誉を傷つけるのが中傷である。中傷には相手を憎む心、嫉妬心から出る場合が多い。自分にとって不利益となり、思い通りにならないこ とから相手を憎む心が起る。また、相手が自分より優位にあれば妬む心が生じ、悪口のもとを捏造してまでおとしいれようとする。
 悪意のある噂は憎しみの心や嫉妬の心から生じ、相手に不利益を与えようとして、嘘の作り話を他人に伝えることである。嘘の内容であるから罪は大きい。相手の心を傷つけるだけでなく、自らの心をも傷つけることになる。
 以上の四例は煩悩のはたらきであり、これらを抑制することが求められる。ブ
ブッダの弟子にピンドーラという修行僧がいた。悟りを得た後、故郷コーサンビーに帰り、ブッダの教えを広めようとした。コーサンビーの郊外にやしの林があった。夏のある日、ピンドーラは林の中の木陰で冥想をしていた。大河ヤムナー河から涼しい風が吹いてくる冥想に適した場所であった。ちょうどこのとき、国王ウダヤナ王は妃や侍女たちを連れて林に入り、管弦の遊びに疲れて、涼しい木陰で昼寝をした。妃たちが、王の眠っている間に林の中を散歩していたとき、ふと樹下で冥想するピンドーラを見た。彼女たちはその姿に心をうたれた。そして、説法することを願い、彼の教えに耳を傾けた。
 眠りから目覚めた王は、妃たちがいないことに気づき、林の中を捜した。妃たちに囲まれている ピンドーラを見たとき、前後の見境もなくの炎を燃やして、「わが女たちを近づけて雑談にふけるとはけしからぬ奴だ」と悪口を浴びせた。ピンドーラは眼を閉じ、黙然として一言も発しなかった。
 その様子に怒った王は、剣を抜いてピンドーラの顔に近づけたが、彼は何も言わず岩のように動かなかった。怒りに狂った王は、近くの蟻塚を壊して多くの赤蟻を彼の身体にまき散らしたが、それでもピンドーラは坦然(たんねん)として坐ったままそれに耐えていた。ここに至って、王ははじめて自分の怒りを恥じ、行なった罪を詫びて許しを請うたのである。
 心を制することをしなければ、王のようにたちまちに煩悩に支配されてしまう。ブッダの教えに、
 「心は極めて見難く、極めて微妙(みみょう)であり、欲するがままにおもむく。 英知ある人は心 を守れ。心を守ったならば安楽をもたらす」がある。心を知ることは大変難しいことであり、そのままにしておくと勝手なふるまいをする。知性ある人は、心を制しなければならない。制することができたならば安楽となるとの意味になる。
 この言葉は、心を制することの大切さを説いたものである。この教えにあるように、自分の心を知ることは難しい。だが、知ろうとしなければ心の汚れに気づくことはない。そのためにいつの間にか心を汚すことになる。
 たとえば、人を中傷しておとしいれようとしたとき、そのときは溜飲が下がるかもしれないが、決してそれで終わることはない。その行為が宿業(しゅくごう)となり、いつかは悪業(あくごう)の報いとなって自分に返ってくる。このことを知っておかなければならない。