(やすらぎの信条)  

  八.いつも明るい心、前向きな考え、強い信念をもち、積極的に行動しよう

 人は、人生の変化に悩まされるものである。そのため、ものごとに動じない心を持つ必要がある。たとえば、人から悪口を言われても動揺してならない。人にほめられたいという気持ちがなければ、人から悪口を言われても平気である。 ほめられたい、よい評価をされたいとの心があるから、悪く言われると腹が立つのである。儲けたいとの心がなければ、儲からなくても気にすることはない。このように動じない心が人生には必要である。 人生の変化に心が動じないというのは、宝を得たことに等しいといえる。心が動揺すれば、前向きな考えとはならない。前向きな考えをもち、積極的に行動することによって信念ができるものである。
 信念のある人は、ものごとに動じない心を持っている。人の意見や境遇に左右されることはない。これと決めたら一貫して進む行動をとる。信念のない人の心は揺れ動きやすく、安定しない。そのため一つのことを続けることは難しく、中途半端になることが多いものである。
 山本安英 (やまもとやすえ) (1902 - 1993) という俳優がいた。新劇女優であり、朗読家でもあった。彼女を有名にしたのは、日本民話「鶴の恩返し」を題材とした戯曲「夕鶴」であった。木下順二が書き下ろした作品で、つうの役を演じていた。一九四五年以来、四十年間にわたって一千回以上も上演された。山本安英は、質素な古びた日本家屋に住んでいたという。ふだんは低い声でボソボソと言うだけの物静かな、控え目で、清楚な人であったらしい。日常生活では、普通の老婆と少しも変わらない目立たぬ人であったとのことである。
 ところが、ひとたび舞台に立つと、突然若返り、ふだんは低い声でボソボソ言うだけの人が、明瞭にマイクなしに舞台の隅々にまでよく通る声でせりふを言った。多くの人々は、鍛えられた芸のすごさに感動したのである。 山本安英くらい発声の見事な美しい日本語を口にする女優は他にいないとさえ言われていた。 鍛錬と努力によって完成されたものになったと評価されている。 芸に完璧を求めたのである。確固たる信念がなければ、ここまで追求しないと思われる。 山本安英は、芸の真理を求めていたのではなかろうか。
 信念は、一朝一夕(いっちょういっせき)にできるものではない。一つのことを根気よく続けることによって身についてくるものである。 『遺教経』(ゆいきょうぎょう)に、次のようなブッダの教えがある。
 「比丘(びく)たちよ、もし勤めて精進すれば、すなわち事として難しいものはない。このゆえに汝らは、勤めて精進すべきである。たとえば少水が常に流れて、よく石を穿(うが)つようなものである」
 比丘とは、修行僧のことである。怠けることなく熱心に修行に励むならば、「事として難しいものはない」、つまりどんなことでもできる。そのため精進を続けなくてはならない。喩えて言うと、少しの水でも常に流れていれば石に穴をあけるようなものであるとの教えである。毎日わずかな努力でも続けていけば、どんなことでも成就できるとのことである。この教えを知って、僧侶たちは修行に励んだという。
 平安時代の初期、奈良に明詮(みょうせん)という僧侶がいた。唯識(ゆいしき)という学問を学んでいたが、いくら勉強しても理解できないので、自分は駄目だと思った。もう寺を出ようと決心して、身の回りのものを持って寺の門までやって来た。雨が降っていたので、少し雨やどりをしていこうと思い、門の下にたたずんでいた。門の屋根から雨水が落ちて、その水滴が落ちている石に穴があいていることにふと気づいた。その様子を見ていた明詮は、この『遺教経』の教えを思い出した。そして、寺を出ることを止めて、再び学問に励み、後に大僧都(だいそうず)にまでなったのである
 明詮は、あきらめずに続けることによって信念ができ、それが力となり、さらに続けることによってますます信念が確立して大成したものと思われる。