(ミニ法話)  こころの泉

   4.正しい教え

 他所のある集まりで話をしたことがあります。話が終わった後、一人のご婦人が、質問があるのですがと控えの部屋に訪ねてこられました。
 法話の中で、私は「仏教の教えに運命論はない。すべては因縁(いんねん)によって変化するものである。一見運命論に見えていても、良く分析すれば、因縁によって変化していることが分る」と話をしました。彼女は、私の話を聞いて迷ったらしく、そのいきさつを私に語ってくれました。
 彼女の長男が、病気で亡くなったということでした。葬儀の後、檀那寺の住職に、子供が亡くなったのは運命であるからあきらめなさいと言われました。運命だとすると、自分の家系の先祖に何か悪いことをした人がいたのかと疑うようになりました。そのことがずっと頭にこびりついていて、何かことがあると運命だろうと自分に言い聞かせていたとのことです。しかし、すべて運命だとしても、何か釈然としないものがあり、そのことが悩みとなっているとのことでした。
 仏教では、ものごとの結果はすべて運命づけられているとする運命論、すべて神のおぼしめしだとする神意論を否定しております。ものごとには原因があり、そこに縁がはたらいて結果となるという因縁の説をとっております。
 もし、すべてが運命によって定まっているならば、幸・不幸、成功・失敗もすべて運命ということになります。初めから決っているならば、努力も必要ないということになってしまいます。神意論も同じことが言えると思います。
 以上のような内容をご婦人に、具体的な例をあげて説明しました。彼女は、納得して喜んで帰られました。
 世の中には、間違った教えが多くあります。正しい教えを学ばないと、誤った教えに引っ張られて苦悩になってしまいます。
 人は、自分にとって都合のよい教えを求めるものです。都合のよい教えには、危険がともないます。正しい教えを求める心を養う必要があります。
        (平成17年12月)