(ミニ法話)  こころの泉

   14.順逆二境

 人の一生には、順境のときがあれば逆境のときもあります。
 「逆境にあるときは、身の周りのすべてのものが針や薬のようなもので、それで節度を守り、行いを磨いているようなものだが、本人にはそのことが分っていない。
 順境にあるときは、目の前のすべてのものが刀や矛のようなもので、それで肉を溶かし、骨を削っているのだが、本人はそのことに気づかないでいる」
 との古人の教えがあります。釈読すると、
 「逆境にあるときは、つらく苦しいものであるが、実は自己が鍛えられ、磨かれているのである。ところが、本人はそのことに気づかないでいる。
 順境にあるときは、実は自己が駄目になっているのである。だが、本人はそのことに気がついていない」
 ということになります。
 普通、逆境に陥ると、自己の思い通りにならないことから苦しんだり、将来を悲観して絶望的になって悩むものです。ところが、置かれている境遇に耐え、前向きにとらえ、積極的に行動することによって、良い縁がつくられることになり、逆境から脱することができるようになるものです。つまり、心がけ次第で逆境によって自己が磨かれ、そのことによって逆境を変えることができるということです。
 逆に、順境にあるときは、楽に満足して安住したり、謙虚さを失って慢心が生じたりすることがあります。このような心の状態が続くと、やがて油断となり、行為にほころびが出てきて、破滅へと進んで逆境に陥ってしまいます。心がけ次第で知らず知らずのうちに駄目になっていくということです。
 逆境だからといって悲嘆するのではなく、順境だからといって油断してはならないと思います。
        (平成18年10月)