(ミニ法話)  こころの泉

   17.知の巨人

 唯識の本を読んでいるとき、ふと14年前の1月7日にご逝去された井筒俊彦先生のことを思い出しました。生前、井筒先生から唯識の重要性について伺っていたことがありました。先生のご専門は、イスラム哲学・言語哲学でした。戦後、理科系の学者の頭脳流出という現象がありましたが、哲学者で流出したのは井筒先生が最初だといわれています。
 慶応大学からカナダのマッギール大学に移り、ヨーロッパの多くの名門大学で講義をし、最後にイスラム哲学の本場であるイランの王立アカデミーに教授として招かれました。日本より世界で有名な学者でしたが、わが国の学士院会員でもあり、会員の選考委員も務めておられました。
 語学の力は、天才でした。三十数カ国語ができるとの評判でしたので、このことをお尋ねすると、「ほとんど忘れました。いま使えるのは、英・仏・独・伊・スペイン・ロシア・ギリシャ・ラテン・サンスクリット・パーリ・アラビア・ペルシャ・中国・ヘブライ語ぐらいなものです」と事も無げに言われたのには驚きました。
 人に会うことをあまりせず、ひたすら研究にのみ集中しておられました。夜7時から翌朝6時まで思索研究され、午前7時から午後1時頃まで睡眠をとられるという毎日でした。学問を名誉や出世の手段にするという気持は全くなく、ただ学問研究が好きで、そのことにのみ没頭されていました。緻密な論理と卓越した思考力、それに該博な東西の哲学の知識で真理を生涯にわたって追求された世界的な碩学でした。
 晩年には、「東洋哲学の共時論的構造化」を思索し続けておられ、その最後に真言哲学をもってくるという構想を立てられていました。司馬遼太郎氏は、井筒俊彦先生のことを「おそらく世界の人文科学史上、唯一で最初のひとだろう」と高く評価されています。
 私は、井筒先生から真理を徹底して追求するという強い姿勢を学ばせていただきました。永眠される少し前に、「観音寺へ一緒に行こう」と奥様に言われていたそうです。最晩年にお会いすることができなかったことを、今でも残念に思っております。
        (平成19年1月)