(ミニ法話)  こころの泉

   24.一事に専念

 人が一心不乱に励んでいるときには、心は充実感と光に満ちて明るくなっております。他人と比較したり、妄想が涌いてきたりすることはありません。他人の評判が気になったり、妄念に支配されるのは、仕事などに真剣に打ち込んでいないからだといえます。本当に取り組んでいれば、他人の眼など全く気にならないものです。
 孔子がそうだったと思えます。孔子は、十五歳で学問を志したのですが、十五歳から七十歳にいたるまで、十年毎に自分の心境が深まっていることを自覚して、一生懸命励んだために年をとっていくことに気づかなかったといわれています。
 わが国の道元禅師も一事に専念することの大切さを説いています。人は、器用で能力があると、色々なことに手を出したくなります。学問をやりたい、絵を習いたい、詩も作りたい、俳句や短歌もやりたい、文章も書きたいなどとあれこれ手を出したくなります。
 ところが、道元禅師は、「それはいけない。能力などあまりないのだ。能力のない者が色々なことをやったのでは余計駄目である。自分には能力がないと自覚したならば、一事に専念しなければならない」と述べています。
 私欲を離れて一事に専念し続けていると、必ず成果を得ることができるものです。ものを創作している人、書を書いている人、絵を描いている人など一事一芸に専念している人の顔や姿にすがすがしさを感じることがあります。私欲を離れて没頭している雑念の無さが顔や姿を変えたものと思われます。これは誤魔化しがきかないものです。
 一日一日の歩みは小さくても、こつこつと続けることで大きく花開いていくものと思います。このことは、充実した人生そのものといえます。
        (平成19年8月)