(ミニ法話)  こころの泉

   26.言葉は生きている

 われわれの聞くことのできるすべての音声(おんじょう)は、大日如来の声であると空海は説いています。その内容からすれば、心のこもった言葉は如来の分身であり、音声仏といえます。
 「おはよう」「こんにちは」の挨拶、「ありがとう」の感謝の言葉、「ご苦労さま」のねぎらいの言葉に触れると、心がすがすがしくなり、励まされるような思いがします。
 言葉はそれぞれ意味をもっており、生きています。二千数百年前のブッダの言葉に教えられ、救われている人が今でも多くいます。このことからしても、本来言葉は重いものであり、短い言葉でも大切にしなければと考えてしまいます。
 人生に苦悩している人の中には、悪い言葉、嘘の言葉、言葉の使用を誤って人と対立したり、信用を失ったりした人がいるのではないのか。あるいは不快な言葉をはきかけて人から憎まれ、相手にされなくなった人がいるのではないのかと思ったりします。
 また、日常何気なく相手が困惑するような言葉を使ったりしていないか、人を傷つけるような言葉を発していないか、よくよくかえりみる必要があります。
 ある女性が、いつも通る道で「おはようございます」と初老の女性に挨拶したところ、「私はあなたを知りません。挨拶は結構です」という返事がかえってきたといいます。数日後、また会ったので再び挨拶したところ、ぷいと横をむかれてしまったとのことです。
 挨拶を拒否した女性は、相手の心を傷つけただけでなく、自己の悪業(あくごう)をつくってしまいました。このような心をもっているこの女性は、いつの日か必ず苦悩することになるでしょう。
 一日に一度でもいいから人の心を温かくする言葉を使いたいものです。それが難しいのであれば、人の心を傷つけるような言葉を使わないようにしたいものです。
        (平成19年10月)