(ミニ法話)  こころの泉

   27.地獄・極楽のありか

 江戸時代、彦根にある武士がいました。仏法に疑問が生じ、白隠禅師(はくいんぜんじ)の名声を聞いて、江戸に行く途中、原の松蔭寺を訪れました。
 禅師に会って尋ねました。
 「私には地獄・極楽がどこにあるのか分かりません。教えていただきたいのですが」
 禅師は、逆に問いました。
 「そうですか。それではあなたは何者ですか」
 意表をつかれた武士は動揺しました。
 「私? 私は武士ですが」
 「なに? 武士か。それでも武士ですか。武士は武士らしくしていればよい。何を迷って地獄だとか極楽だとか探しまわっているのか。そんなことを尋ねるのは恐らく腰抜け武士であろう」
 この言葉を聞いて武士は怒りました。
 「腰抜け武士とはなにごとか。白隠たりとも許さぬぞ」 
 と刀の柄に手をかけてにらみつけました。
 「骨があったか。腰抜け武士」
 この言葉を聞いて武士は刀を抜き、禅師に切りかかりました。禅師は逃げ出し、武士は刀を抜いたまま追いかけます。追いつかれたとき、禅師は、
 「それ、そこが地獄だ、地獄がそこだ」
 と大喝一声を放ちました。その声の大きさにはっとした武士は、しばらく動かなくなりました。しばらく後、「ありがとうございました」と刀をおさめて身を整え、一礼をしました。
 「よく分かりました。拙者はまことに腰抜け武士でした。地獄のありかが分かりました。一時の怒りで身を滅ぼすところでした」
 すると禅師は、
 「それ、そこが極楽じゃ」
 と言って笑みを浮べて去ったとのことです。
 地獄・極楽はわれわれの心の中にある、心の状態のことをいうとの教えです。
        (平成19年11月)