(ミニ法話)  こころの泉

   28.純化

 私は、熊谷守一(くまがいもりかず)翁の絵が好きです。以前に熊谷翁の郷里、岐阜県付知町の記念館で作品に初めて接し、強い感銘を受けたことがあります。衝撃的な感銘です。
 明治十三年に生まれ、昭和五十二年に九十七歳で亡くなられています。途中で西洋画から日本画へ転向した影響なのか、独自性が感じられます。記念館や展示会で作品の変化を拝見していると、年齢と共に単純化されていったように思えます。晩年になればなるほどその傾向が強くなっているように感じています。かって昭和天皇が岐阜県庁で熊谷翁の絵をご覧になって、「これは子供が画いた絵か」と聞かれたほどでした。
 「日輪」という題の絵は、太陽を白くまん丸に画き、その周囲を一面ピンク色に塗っているだけです。また、「百合」の絵は、赤いクレパスで花と葉の輪郭を画き、黄色や緑色、オレンジ色をただ塗っているだけです。あまりにも単純化された絵ですが、強い印象を受けました。作品を見ながら、なぜ単純化されていったのか考えてしまいました。
 単純化されていったのは、例えば花なら花の本質を画こうとしたのではないのかと気づいたのです。見栄えよく画こうなどの気持はさらさらなく、対象物の本質を画くことの一点のみではなかったかということです。
 亡くなられるまでの三十年間、一度も外出したことがなく、名利には目もくれず、文化勲章を辞退し、都内の草庵に住んで小動物や草花を観察していたとされています。正に求道(ぐどう)そのものの人生でした。
 熊谷翁の写真を見たとき、心の底から熱いものがこみあげてきました。執着を断ち切ったような清浄な輝きのある眼でした。翁の心が清浄になっていったから、絵が純化されていったのではないかと思えるのです。
        (平成19年12月)