(ミニ法話)  こころの泉

   35.多聞の人

 ブッダには、十人の勝れた弟子がいました。その中で最も優秀な弟子は、シャーリプトラであったとされています。智慧第一と称され、ブッダも智慧の深さを高く評価されていました。
 あるとき、シャーリプトラは他の修行僧から「あなたはまだブッダのそばを離れられないのか」と笑われたことがありました。するとシャーリプトラは、「どうしてブッダのそばを離れることができましょうか。われは師の乳を離れず」と返事しました。
 「師の乳を離れず」とは、珍しい表現です。ちょうど子牛が母牛の乳をあきることなく飲み続けるように、豊かで奥深い教えを私は学び続けている。いくら学び続けても、限りがない。どうしてブッダのそばを離れることができようか、と答えているのです。シャーリプトラは、これほどまでに法を熱心に求め続けていたのでした。
 現代のわが国の風潮で気になることがあります。仏法に限らずものごとの真理の求め方が弱くなっているように思えます。しかも、自己の狭い範囲内でしか求めようとはしない人が多くなっているように感じています。つまり、自己の理解できる範囲、都合のよい教えはよい教えであり、理解のできない教えは難しくてよい教えではないと初めから決めつけているといえます。
 理解できないのであれば、普通理解しようと努力するものです。ところが、努力することを放棄してただ愚痴っているだけということです。
 「多聞(たもん)の人」、「聴聞の人」という表現があります。昔から、これらの人は、勝れた人間になり得ると言われています。シャーリプトラもブッダの教えを学び続ける多聞の人であったわけです。
        (平成20年7月)