(ミニ法話)  こころの泉

   38.いのちを生かす

 昔、ある人が田んぼのあぜ道を歩いていたとき、現代の言葉に言い換えますと、百円玉か何かを田の中に落としてしまいました。探したけれども見つかりません。そこで何人かの村人にたのんで探してもらいました。当然、御礼として手当てを支払います。他の人から「何という馬鹿なことをするんだ」と言われましたが、彼は、「百円玉は百円玉としてのいのちがある。それを落としてしまったら百円玉としてのいのちは無くなってしまう。殺してしまうことになる。ところが、村の人に払ったお金は、御礼を言ってもらった上に使ってくれるので、お金のいのちは失われない」と返事をしたといいます。損か得かを計算すれば、こんな損な話はないわけですが、うなずける話でもあります。
 日本の曹洞宗の開祖、道元禅師に次のような逸話があります。道元禅師が永平寺におられたとき、谷川の水で洗面をしていました。柄杓で水を汲んで使った後、使い残しの半分の水を地面にまいて捨てずに、川にもどせと教えられたということです。つまり、水にはいのちがある。そのいのちを使わせてもらったのであるから、余ればそのいのちを地面に捨てて殺さずに、川の流れに返して生かさなければならないというわけです。
 私事になりますが、かつて14日間、21日間と断食をしたとき、一日に約
350ccの水を五回に分けて飲みました。水を飲むというより、水を少しづつ口に運び、味をかみしめるという飲み方でした。そのとき、水のいのちによって生かされていると感じました。この水が私のいのちをささえてくれていると感謝していました。そのため、道元禅師のこの話にうなずくことができるのです。
 田の中にお金を落とした話も、道元禅師の逸話も、もののいのちを大切にするという心があります。もったいないと言って節約するだけの話ではありません。

(平成20年11月)

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