(ミニ法話)  こころの泉

   39.大乗の心

 

中国は唐の時代に趙州(じょうしゅう)という大変勝れた禅僧がいました。ある僧が、「禅師(ぜんじ)のように悟られた人でも、死ねば地獄に落ちるようなことがあるのでしょうか」と尋ねたとき、「ああ、まっさきに落ちる」と答えました。質問した僧は驚いて、「大善知識といわれる禅僧が、それはまたどういうことでしょうか」と問うと、趙州は、「わしが先に行って待っていなかったらお前のような者が地獄に落ちてきたとき、一体誰が救うのか」と言いました。
 別の僧が禅師に、「お釈迦さまは覚者でこの世の指導者ですから、一切の煩悩を離れておられるでしょうか」と問うたとき、「いや、釈迦はこの世の中で最も大きな煩悩の持ち主だ」。困惑した僧がその理由を聞くと、「釈迦は一切衆生を救いたいという煩悩をもっているではないか」と答えたそうです。
 趙州の言っていることは、決してでたらめではありません。この話は大乗仏教の根本的な精神を述べたものです。
 「自未得度先度他」という教えがあります。「自分はまだ救われていないが、まず先に人を救う」という意味です。
 一切衆生を救うことは不可能かもしれませんが、砂浜の砂を一つ一つ数えるような空しい努力、愚かしいと思われるような行為をしようとする心は人々への慈悲心から出たものです。自らすすんで地獄に落ちこみ、後から落ちてくる人々を救おうという慈悲の心が尊いのです。
 多くの人々が、この大乗の心をもち、小さな実践を積み重ねていけば、世の中は変わっていくものと思われます。

(平成20年12月)

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