(ミニ法話) こころの泉
41.学び努める
昔。インドのある国に民衆の信望を集めていた王がいました。人々は王ができるだけ長くその地位にとどまっていて欲しいと願っていました。ある日、王は理髪師に、「もし私の髪の毛に一本でも白髪が混じっていることが分かったら、それを私に見せてくれ」と伝えました。
後日、理髪師は王の髪に一本の白髪を見つけて、それを王に見せました。すると王は、「白い髪が出てきたのであるから、これからは学道に努めなければならない」と誓いました。
以上は、ブッダが修行僧たちに話した内容です。古来、インドでは若い時は一所懸命働き、壮年期になると仕事をまとめるようにし、次の段階では家族のことや仕事上のことを仕上げるようにします。そして、老いてくると林の中に入って静かに冥想しながら死を迎える、といったように自分の人生を四つに分けて生きることを目標にしていました。
修行僧たちはすでに学道に精進しているわけですから、努めることの大切さをわざわざ言う必要はないと思います。だた、ブッダが言われたということは、在家信者が死を迎えるまで励んでいるのだから、出家者である汝等も励むように、と伝えたかったのだと思います。
わが国の江戸時代の儒学者、佐藤一斎は、
少にして学べば 壮にして得るあり
壮にして学べは 老いて衰えず
老にして学べは 死して朽ちず
と言っております。若いときに学んでいると、壮年になって得るところがある。壮年のときに学んでいると、老年になっても衰えることはない。老年になって学んでいると、死んでもその人の徳は後々まで伝え残されていくと説いているのです。
佐藤一斎の言葉は、ブッダの話された内容と通じるものがあります。ブッダは、老いても学ぶことの大切さを語られているといえます。
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