(ミニ法話)  こころの泉

    42.心の自由さ

 中国は唐の時代に白楽天という詩人がいました。その詩は流麗で広く愛誦され、わが国の平安時代の文学にも影響を与えたとされています。
 白楽天は、鳥か道林(ちょうかどうりん)という禅僧と親交がありました。鳥か道林の本当の名は道林で、鳥かはあだ名です。道林は、鳥と同じように松の枝の上で坐禅を修していたので、鳥?和尚と言われるようになりました。
 あるとき白楽天は、「仏法の根本は何でしょうか」と鳥か道林に質問しました。すると鳥か和尚は、
  「諸悪莫作(しょあくまくさ)
   修善奉行(しゅぜんぶぎょう)」
と答えました。「一切の悪行をしてはいけない。もろもろの善を行いなさい」という意味です。これを聞いた白楽天は、「そんなことは三歳の子供でも分ることではありませんか」と反問しました。これに対して鳥か和尚は、「悪いことをしてはいけない。善いことをしなさいということは三歳の子供でも分っているが、それを実行することは、八十歳の老人でも行うことはできないのだ」と答えました。頭で分っていても、実行することは難しいとの教えです。
 ものごとを実行することは簡単なことではありません。人は多くの制約の中で生きていかなければなりません。また、多くのしがらみの中で行動も制限を受けます。
 しかし、もっとも大きなしがらみは、自分の行動を自分の心が制約していることです。先のことや結果を妄想して、自ら行動を縛っているともいえます。水槽の中の魚は自由に動くことはできませんが、海の中に放してやると自由に動くことができます。水槽の中で動いているのがわれわれの姿といえます。水槽は制約している心そのものです。自らの心が行動を制約しているのです。しがらみにとらわれない心の自由さが必要であるといえます。


        (平成21年3月)