(ミニ法話)  こころの泉

    43.いのちの軽視

 日本人は、生まれて飼いきれなくなった犬や猫を殺さずに捨てたりします。ダンボールの箱にミルクや食べ物を一緒にいれてやり、遠くの山や野原まで運んで、「生きのびてくれ」との思いで置いてきたりすることがあります。殺すことが忍びないので、どのようなかたちでも良いから生き延びて欲しいとの思いでこのようにするわけです。欧米人は、このような行為を残酷だとします。一日か二日分の食事を与えても、結局死んでしまうではないかというのです。ではどうするかというと、毒薬を注射して殺してしまうとのことです。
 欧米人には、あくまでも人間が中心であって、動物や自然は人間のために存在するのだとの考えがあるようです。日本人はそうではありません。動物だけでなく、木や他の植物にもいのちが宿っていると考えてきました。つまり、人間と自然は対立するとの考えをとってきませんでした。

 インド人にもこのような考え方があります。インドでは動物のいのちを奪うことに複雑な考えをもっております。現在でもレストランや飛行機の機内食には菜食主義者のための食事が用意されております。
 古来、日本人は感性が豊かで桜の花が散るのを見て、「桜の花が泣きながら散っている」というような表現を残しています。日本人は、生き物のいのちを大切にしてきた一面をもっています。ところが、現代の世相はどうでしょうか。子供のいのちが奪われる事件が増えております。子供だけでなく、弱い立場の人のいのちを奪い取るという風潮が強くなっております。いのちを大切に思ってきた日本人は、いのちを軽視するようになってきました。
 モノ・金を追い求めて、自己中心的な生き方をする人々が増えてきている世の中の傾向と関係があるように思えます。

        (平成21年4月)