(ミニ法話)  こころの泉  

    46.真理への姿勢

 あるとき、ブッダは病気の修行僧を見舞われました。
 修行僧は長い間、人里離れた場所で修業を続けていました。ブッダが訪れると、汚物で汚れたままの枯草の上に僧は臥していました。
 ブッダはこれを見て、病気の修行僧を抱えて他の場所に移し、汚れた枯草を取り去り、新しい枯草と取り換えて、再びそこに戻してあげました。
 臥している僧の横に坐って、「これまで私が説いた法を記憶しているか」と問われたので、修行僧は、「世尊から四諦・十二因縁の法を聞いて、それを記憶しています」と答えました。
 四諦とは、苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦のことです。諦は、真理の意です。苦諦は、苦とは何かを説いています。集諦は苦の原因は何か、道諦は苦の滅とは何か、道諦は苦を滅するための実践を説いたものです。その実践は、八つの正しい道です。十二縁起は、人間に苦悩の根元は何なのかを系列的に説いたものです。そして、苦悩の根元は無明にあるとしました。これら四諦・十二縁起は、ブッダの思想の中心となるものです。
 ブッダは、「それでは、その四諦・十二因縁を説いてみなさい」と言われました。病気の修行僧は、枯草の上に坐し、説き始めました。僧が途中でふとブッダを見ると、ブッダは合掌して頭を垂れて説法を聞いておられました。
 修行僧は、ブッダのこの態度に心を打たれて修行に励み、阿羅漢(あらかん)の悟りを得たということです。
 真理を求める者にとって、真理ほど価値のあるものは他にありません。その真理の表現に対して、自分の説いたものでもブッダは合掌し、頭を垂れて聞かれたということです。
 生涯真理を追究されたブッダの姿勢がうかがわれる興味深い話です。

        (平成21年7月)