(ミニ法話)  こころの泉     

    48.無常の理

 あるとき、ブッダは、修行僧たちに次のように語りかけられました。 
 「私が悟りを得て、仏となった地であるマガダ国もいつの日にか滅びるであろう」
 苦行をし、悟りを開いた地であるマガダ国もいつかは無くなってしまうとの言葉です。縁の深い地がいつか滅びてしまうとの思いを語られることはつらかったに違いありません。そして、次のように言葉を続けられます。
 「一切のつくられたものは無常であり、ことごとく皆消滅するものである」
 人間は、生まれて死ぬ。あらゆるものごとは生成し、発展し、滅亡していく過程をとるという真理を語っておられるのです。したがって、マガダ国もいつかは無くなってしまうことも無常の理なのです。
 ブッダの弟子にシャーリプッタ、モッガラーナという勝れた修行僧がいました。モッガラーナは、ブッダの教団を憎んでいた異教徒に毒殺されたとか殴り殺されたとも伝えられています。また、シャーリプッタは病のためブッダより先に亡くなってしまいました。二人の死を聞いてブッダは、「私は大いなるものを失ってしまった」と嘆かれました。
 だが、嘆き悲しんでいる弟子のアーナンダを見て、「憂いてはならない。二人の死は、灯の油が尽きて滅するようなものだ」と教えておられます。さらに、ブッダには悲しい体験がありました。出身のシャカ族が、コーサラ国に滅ぼされてしまったということです。このような悲しみの体験を経た後に出たのが冒頭の言葉なのです。
 ブッダといえども、無常の悲しみを受けざるを得ませんでした。ただ無常をどうすることもできないからといって、虚無的にとらえてはいけないのです。無常から目をそらさずに、無常の理を受け入れて、生きていかねばならないと思います。

 
        (平成21年9月)